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Tactics ONE short story



PURITY


〜願い〜

by 五穀豊穣



 …後から回想してみると、やっぱり今日この日は折り返し地点だったんだと思う。私にとっても浩平君にとっても。
 少し前に卒業式が終わって、私は浩平君を探して校舎を歩いた。いるのなら、多分この場所だと思って。そして浩平君はやっぱりここにいた。

 空はおそらく辺り一面の夕焼けで、スカートを少し揺るがすくらいのいい風が吹いていた。
「…先輩、卒業おめでとう」
 中を見られてからでは遅いんだけど、スカートの裾を押さえてこころもち浩平君から遠ざかる私に、その浩平君が言った。
「あ、ありがとう。───ちゃんと約束、守ってくれたんだね」
「…ああ」
 わずかに遅れた浩平君の返事は、よく聞いてみるとその声にちょっぴり苦いものが混じっているような気がした。…やっぱり浩平君は卒業式には来れなかったんだね。だから、ここにひとりでいたんだね。でも、私は───。

『あのね、浩平君。約束ってね、結果より守ろうとしたかどうかってことが大事だと思うんだよ』

 だから私はもう一度言った。
「本当にありがとう」
 風が頬を軽くなでてゆく。少し桜の匂いを残していって。
 やっぱり今日はとてもいい天気なんだろうね。後ちょっとで沈む夕陽は、これまでで一番暖かくこの場所にいる私たちを照らしてくれる。
 それでだろうか、まだこの夕陽がある内に、もう一度だけ校舎の中を歩いておきたかった。


 キィィ、と軽く鉄のきしむ音がした。
「ほら先輩、こっちだ」
「うん。ありがとう浩平君」
 そして屋上から校舎に繋がるドアをくぐろうとして、今さらだけど気付いたことがあった。
「あ。そう言えば校舎の中を外履きで歩いちゃいけないんだったね。───浩平君は?」
「…オレもだ。だけど上履きを取りに帰ってる時間はないぜ、どうする?」
「……う〜ん、仕方ないね。今日は大目に見てもらおっか」
「そうだな。卒業式だしな」
 そう言って、二人して靴の裏の土をできるだけ落とす。パンパンと壁に靴を打ちつける音が風に流されていく。
 ここに雪ちゃんがいたら、何となくだけど怒っていたような気がして、思わず笑いがこみ上げてきた。
「…? どうしたんだ先輩」
「ううん、何でもないよ。行こっか」


 思った以上にまだ廊下は温かった。
 廊下に平行して張られた窓から射し込む夕陽の、ささやかなプレゼント。
「ここの廊下って、長いよね」
「そうだな」
 切り出した言葉に短い相づちが返る。
「昔ね、ここを走り回ってよく怒られたんだよ」
「先輩・・・昔から同じようなことしてたんだな」
「…そうだね」
 自分でもそう思う。思わず出た苦笑のため息に、思い出が重なってそして巡っていった。

 コツコツと、いつもより硬めの足音を鳴らして廊下を歩く。
 昔はよく走り回っていたずらをして、時々怒られた懐かしい場所。
 ふいに思い出が強く灯って、私は足を止めた。
「…どうした?」
 いぶかしむ声がして、浩平君の足も止まった。
「ここにね、落書きがあるんだよ」
「昔のか?」
「うん。あちこちに書いたんだけど、ほとんどが見つかって消されちゃったんだよ」
 いま思うとたわいないことだけど、あの当時は毎日のように描いては怒られて…ひとつだけ残っているはずの、落書き。
「…まだ残ってるかな?」
 問うように浩平君の方を軽く見上げたけど、答は返ってこなかった。つまりそれが答で…。
「そっか……やっぱり消されちゃったんだね」
「…どんな落書きだったんだ?」
 再び歩き出そうとしたところへ、興味深げな浩平君の声。けれど私は応えるのをためらった。言えばきっと浩平君は大笑いするに決まってるし。
 それでも恥ずかしさをこらえて言うと、案の定浩平君は廊下に笑い声を響かせた。
 …ひどいよ、浩平君。そんな私の心中を知らず、笑いをこらえて浩平君が言う。
「…そ、それで、誰の名前を書いたんだ…?」
 咳き込む声がちょっぴり憎らしく、応える気にはなれなかったけど……。
「…気になる?」
「ああ、気になるぞ」
 ドキドキする私に、それが返ってきた答えだった。
 ……そっか、気になるんだ…。
 夕陽とは別のほんわりとした暖かさが、瞬間胸にひろがる。
「…うー、でもやっぱり嫌だよ」
 いま私はどんな表情(かお)をしているんだろう? 見られるのが恥ずかしくて廊下を走った。
 …嘘をついちゃったけど、浩平君もだからおあいこだよね。


 今日で最後になる学校の中を、とりとめもなく思い出話をしながら歩く。
 浩平君とこうして歩けるのも、これが最後だから…。
 今日という、この学校で残された最後の時間を噛みしめて、歩き、話した。
 だんだんと夕陽が沈んでいくのが肌に伝わる。そして砂時計の砂が落ちきったように、ふいに伝わる夜の気配。
「ごめんね、こんな遅くまで」
「オレのことなら気にしなくていいぞ」
 できるだけ、学校に、そして浩平君と思い出を残しておきたくて。
「だったら、もう一つだけわがままを言わせてくれるかな・・・」
「一つでも二つでも好きなだけ言ってくれ」
 少し寒くなった廊下に私たちの声が響きとおる。
「最後に行きたいところがあるんだけど…」
「分かった、つきあうよ」
「ありがとう、浩平君」
 これで、私も本当に卒業できる気がするよ…。


 一階まで下りていたのを、再び3階に向けて階段を上って。そうしてやって来た、思い出のしみこんだ場所。
「…ここが先輩の教室か。ここで勉強してたんだな」
「…うん」
 自分のつぶやきに、驚くほどに懐かしさがこみあげる。たとえ一週間しか経っていなくても、本当に懐かしい気がして、最後に座っていた席へと向かう。
「…いい席に座ってたんだな、先輩」
「これはこれで困ることもあるんだけどね」
 窓際の前から3番目が私の席だった。
「…どんな?」
「だって、授業中に居眠りしてたら怒られるからね」
「オレなんかしょっちゅう居眠りしてるけどな」
「……それは浩平君がいつでもノートを借りることが出来るからだよ」
 私がそう言うと、「あ」と浩平君はつぶやきをもらした。
「…そっか、そうだよな。ゴメン、先輩。…オレ、約束するよ。……3年になったらきちんと勉強するって」
 浩平君の声がふいに、ひどく真剣みを帯びて聞こえた。
「うん。そうだね、それがいいよ。…じゃあ、約束ね」
 そう言って浩平君の方に見当をつけて、右手の小指を差し出す。
 ちょっと間があって、最初はためらいがちに、でもしっかりと指が絡んできた。
「…ああ、約束な」
    その声とともに指がきゅっと締まる。その感触に、帰り際手を繋いだことを思い出して、私も指に力を込める。あの時と一緒でちょっぴり照れくさいけど、大切な思い出になるよね、きっと。

 ガタリと椅子を引く音がして、浩平君が私の隣りに腰を下ろしたみたいだった。
「…ね、浩平君。電気を点けてないみたいだけど暗くない?」
「ん? ああ、大丈夫だ。今日は満月だから」
「…そっか。満月なんだ───きれいなんだろうね」
 その満月が見える窓に背を向けて、子供の頃の思い出でを思い出す。
「そう言えば子供の頃、町内会でお月見があってね、雪ちゃんと二人で行ったことがあったんだよ」
「先輩はずっと深山さんと一緒だったんだな。…でも、子供の頃って月見なんかして面白かったか?」
「確かね、月見団子が食べ放題だったんだよ」
「なるほどな」
 …なにがなるほどなんだろうね。
「で、どのくらい食べたんだ? いくら先輩でも全部ってことはないよな」
「うん。いくら私でもそんなことはしないよ。だって他の人の分が無くなっちゃうからね」
「……そ、そうか。それで先輩は次の年も行ったのか?」
「ううん。その次の年は雨でお流れになっちゃったんだよ」
「まあ雨が降ってちゃ、月見は出来ないもんな(町内会の人達はホッとしただろうな)」
   そう言って浩平君はなぜか苦笑したようだった。どうしたんだろうね?

 他には誰もいない校舎の中で、二度どない夜のとばりの下で、浩平君ととりとめのない話をする───ありふれたささやかな幸せ。でもこれで最後なんだね…。

『…どうだ? いっそのこともう一年勉学にいそしんでみないか?』
  『…そうしようかな?』

 ───あの時、冗談に紛らわすことが出来なかったのは、もちろん卒業するのが怖かったからだけど、でもそれだけじゃなかったみたい。今日はっきりと気付いたよ。私は浩平君のことが好きなんだってこと…。

「ね、浩平く…───あ…」
 言葉をつむごうとして、何気なしに触れた机の中の感触に、私は大事なことを思い出した。
「…? どうしたんだ先輩?」
「…返却するの忘れてたよ」
 と中にあった3冊の本を取りだし、浩平君の方にかざしてみせる。
 ───入学してからずっとお世話になってた図書館の大事な本。この先、私の他にこの本を読む人がいるかは分からないけど、きちんと返しておかなくちゃね。…これまでの感謝をこめて。
 私がそう言うと、
「それならオレが今から行ってくるよ。───先輩、借りるな」
 と浩平君は私の手から本を抜き取った。
 どうしようかと迷ったけど、その言葉に甘えることにした。もう浩平君も迷わないだろうし。
「だったらお願いしようかな」
「ああ、まかせとけ───すぐに戻ってくるからな」
「うん。いつまでも待ってるよ」
 そうして浩平君は、本と図書室の合い鍵を受け取って、廊下へと続く戸を開けて、やがて足音も小さくなっていった。


 誰もいない教室で、ひとり浩平君が帰ってくるのを待ってる…。前にもこんなことがあった。
「クリスマス以来だね」
 懐かしさを、ぽつりと呟いた言葉に込めた。
 あれから2ヶ月と少し。色んな事があった。

 お正月。一枚目の年賀状が来たとき、お母さんに色々聞かれたっけ。

 2月に入ってからは、今度は朝早くにもう一度浩平君とおでこをぶつけ合って。本当にビックリしたよ、あの時は。…よく気絶しなかったよね。

   そして浩平君に抱きしめられたのも、やっぱり2月…。
 きっかけは、ふいにひらめいたささやかな仕返しで。…初めはただビックリして黙ってるだけだと思ってた。けど、浩平君はあの時泣いていた。
 今でもしっかりと思い出せる、締めつける、浩平君の腕の強さ…。コツンと私の肩におでこを乗せて、声をころして泣いていた…。
 あの時にすごく切なくなって、恥ずかしさで満たされて、でも私は動けなかった。動いたら、何だか壊れてしまいそうな気がして。そんなこと、あるわけないのにね。

 そして今日、卒業式を迎えて。
 今こうして浩平君を待っていることが自分でも不思議に思えて。
 本当はひとりで校舎を巡って、これまでのことに区切りをつけるつもりだった。
 あの時、浩平君が一緒について行くって言ったとき、断れば良かったのかな?
 そうすればきっとそのまま別れ別れになって、いつかは思い出になったかもしれないのに。
 …でも、私はそれが出来なかった。叶うはずのない、叶えてはいけない想いが胸でうずく。

『そうだな…先輩ってつきあってる奴とかいないのか?』

 もしかしてって思った。あれ以来、時間が経てば経つほど浩平君の言葉が鮮明によみがえってきて、もしかしたら、浩平君も私のことを好きでいてくれるんじゃないかって……。

 カタカタと、外で吹く風が窓をかすかに揺らす。
 暗闇の中で、椅子の上で、私はひとり膝を抱える。
 …浩平君、遅いね。そう思ったとき、耳がかすかな音をとらえた感じがした。
 ……姿勢を元に戻し、息をころして耳をすませてみる。
 けれど、耳に聞こえるのは、やっぱり窓が揺れる音だけだった。…気のせいだったのかな?
 結局、私は浩平君が気になって、図書室まで行くことにした。


 一階の廊下まで来たけど、今のところ浩平君とは行き会ってない。
 図書室までの道順は限られてるから、行き違いもないだろうし、何より少し先から聞こえる音が浩平君がいることを示していた。
 本当にかすかな音だった。こんな夜じゃなければ、私でも聞き逃しているくらいの、小さな物音。
 一瞬、泥棒さんがいるのかな、と思ったけど、よく考えてみたら図書室に忍び込んだってしょうがないよね。

 戸口に手をかけると、すでに戸は開かれていた。───やっぱり浩平君?
 けれど、私が来たことに気付かないのか、カリカリと床を掻くような物音は今も続いていて。
 思わず首を傾げたけど、不意にひらめくものがあった。思い出の風景を脳裏に浮かべながら、手探りで壁を探る。
 スイッチはすぐに見つかった。ためしに反対側に押してみると、「あ」と浩平君の声がした。
 確かめてみると、やっぱり浩平君だった。
 いつまでもここにいると宿直の先生に見つかっちゃうかもしれないし、戻ろうとすると浩平君に呼び止められた。少しして、ストンと本をしまう音。
 ……もしかして、浩平君……。

 カチャリと鍵をかけ終わった後、ポツリと浩平君が言った。
「…先輩、オレ嘘ついてた」
「卒業式に来てくれなかったってこと?」
「え、どうして…?」
 …分かるよ。だって……。
「浩平君、嘘つくの下手だからね」
「…ごめん…」
 ただ一言、浩平君が言った。
 私には初めから浩平君の顔や姿を浮かべることは出来ないけど、でも分かる。たぶん口惜しそうに唇をかんで拳を握りしめて…。きっと自分を責めて……。
 言い訳することなく、ただ自分を痛めるような沈黙が愛おしくて。
「浩平君、やっぱり嘘つくの下手だよ」
「…いや、悪いのはオレだから…」
 …何が浩平君にそう言わせるのだろう。それは分からないけど、私はそんな浩平君を何とかしてあげたかった。
「…卒業式を見て貰えなかったのは残念だけど、その後私のために一緒にいてくれたから、それだけでも嬉しいよ」
「…ごめんな…」
 まだ言ってるね、浩平君。…あ、そうだ! いい事を思いついて私は声をはずませる。
「だったら、これから卒業式しようよ」
「…これから?」
「うん。この前のクリスマスの時みたいに、二人だけの卒業式」
 本当にあの時は嬉しかったから。だから、今度は私が…。
「…二人だけ卒業式か」
「どうかな?」
「…在校生代表がオレだけで良ければ」
 何かを吹っ切った浩平君の返事を合図に、私たちは歩き始めた。


 …教室に戻ってきて、二人だけで卒業式をしたのはいいけれど、あっという間に終わってしまった。
 それでも、私にとっては大事な卒業式だった。
 人生に、『もし』はあり得ないと知ってはいるけれど、これまでの事が時間を超えて脳裏に灯る。

 …はじめは何気ない出会いだった。それももう一度出会わなかったら、すぐに忘れてしまったことだと思う。そんなささやかな事の積み重ねが、いつしか私にとってかけがえのない物に変わっていった。
 それはクリスマスのひととき。それは二枚届いた年賀状。
 ちょっぴり恥ずかしい、手をつないだこと。痛いくらいに抱きしめられた肩。
 不器用かもしれないけれど、私にはとてもとても大切な思い出として刻み込まれて。
 …でも、それも今日でおしまい。この後別れて、少しベッドで泣いて、さよならしなくちゃ……。
   ───そのはずだった。

 ほこりっぽい、教室特有の空気の中で、唐突に浩平君が言った。
「……先輩───キスしてもいいか?」
 冗談だとは思えなかった。
「…理由によるよ」
「先輩のことが好きだから」
「…卒業式の後に告白なんてドラマみたいだね」
 胸が早鐘を打つ。だけど……。
「こんなベタベタなのドラマでもやんないって」
    そう言って苦笑のため息をもらす浩平君に、私は言わなくちゃいけなかった。
「……浩平君。前に言ったよね…? ───絶対に断るって」
「オレは、先輩の側にいたい」
 …ダメだよ浩平君。そんなことを言っちゃ…。言わないでよ。
「先輩の一番近くに居たい」
「……」
 沈黙する私に構わず、浩平君が言った。
「もちろん、オレのことを何とも思っていないのなら断ってくれて構わない。でも、もし…」
「私はね、好きな人を束縛したくないんだよ」
 最後まで浩平君に言わさず、言葉をかぶせてしまった。でないと…。
「だから浩平君の気持ちに応えることはできない…」
「迷惑がかかるからか…?」
 少し、浩平君の声のトーンが変わった。
「そうだよ…」
「そんなことで断るのなら、オレだって怒る」
「…でも」
「オレはずっと先輩の側に居る」
 その声の熱に、閉じようとした想いが揺れる、揺れる…。
「何があっても、必ず最後には先輩の側に居る」
 いっそ、肩をつかまれないのが不思議なほどに強い言葉。…ダメだった。もう、自分をごまかせないんだね。
「……私、バカだから言葉通りに受け取るよ」
「ああ」
「後で…今の言葉を後悔しても知らないよ」
「ああ」
 応えてくれる返事の短さに、最後の抵抗が消えていって…。
「本当に、信じていいんだよね」
「…ああ」
 私はその返事の方に向けて、ゆっくりと目を閉じた…。

   …キスをするのはもちろん初めてで、知らず知らずの内に息が苦しくなっていた。
 そんな私に浩平君はゆっくりと、優しく両肩に手を置いた。心もち上を向いたとき、唇に触れる物があった。
 思った以上に柔らかく、少ししめっていて、とても暖かい。…浩平君の唇なんだね。
 胸の前で手を合わせて、ただ身をまかせる。窓が揺れる音が遠くて、確かなのは暖かな温もりだけだった。

 どのくらいそうしていたんだろうか。
「……浩平…君?」
 私は浩平君に押されるようにして、壁際にまで来ていてペタリと座り込んでしまった。どうして? と思っていると、ゆっくりと、前から後ろから、横から私を包みこむ感触がした。
 二度目だった。私の身体はすっぽりと浩平君の腕におさまったみたいだった。
「…暖かいね」
 肩に頭をあずけて、私も浩平君を抱きしめる。床は冷たかったけど、それを忘れるくらいの温もりを二人で共有する。…本当はずっと憧れていた。私を抱きしめてくれる人。ずっと側に居てくれる人。そして…。

 浩平君の手が、左の胸に当てられた。今はまだ触れているだけの。
「…浩平…君」
 恥ずかしさに押し退けようとしたけど、だけどまるで意識してなかったと言えば、きっと嘘になるね。
「私も…女の子なんだよ」
「知ってる」
「…恥ずかしいんだよ」
「それでも、オレは先輩が好きだから」
 そんなこと言うなんてずるいよ、浩平君…。
「…きっと風邪引くよ」
「オレは構わない」
「…私も…構わない…かな」
 とぎれとぎれに私は言った。ドキドキしてるだけじゃなくて、やっぱり怖くもあったから。だから…。
「ありがとう」
 浩平君が言ったとき、少し救われた気になって、身体から力を抜くことができた…。


 服がたくし上げられた途端、さっきまでの温もりが去って冷たい夜気が肌に触れた。
 予想に反して、浩平君はすぐには触れてこなかった。どうしたんだろ、浩平君?
 恥ずかしさと寂しさが同時に去来する。
「ね……私、変じゃないかな」
「変な性格だとは思うけど」
 浩平君だって人のことは言えないよ、と思いつつ言い直す。
「性格じゃなくて…」
 性格なら分かるけど。私には見えないから。自分も浩平君も。
「私が知ってる私は、小学生までの私だから…」
「大丈夫だって」
「…ほんと?」
「ああ、オレが保証する。…もっとも、これに関してはオレの保証なんてあてにならないけどな」
 浩平君は笑ったようだった。…もしかして、照れてるのかな?
「…いいよ。浩平君がそう言ってくれるのなら、それで充分だよ」
 そんなやり取りの後、私は私を浩平君にあずけた。


 …浩平君の手が触れるたびにぴくりと身体が反応する。
 身を包む夜気は冷たいのに、手の重なるところだけが熱い。
 そのうちに身体の奥が熱くなってきて、だんだんと床の硬さとか冷たさが気にならなくなってくる。
 その分、余計に浩平君の手や吐息に敏感になって、そんな中でひとつのことを願う。
「…浩平君…だよね?」
「…え? ああ…」
 少し戸惑ったような声で浩平君は応えてくれた。少し目尻に涙が浮かべて私はホッとした。
「良かった…。浩平君、喋ってくれないから…」
「オレ以外の誰が居るんだよ」
「…そうだよね」

   『一度だけ光を取り戻せるとしたら』───残酷だけど、本当にそんな願いが叶うなら。

 今、この時に浩平君が見たかった。私を好きだと言ってくれた人。私を抱きしめてくれる人。
 だけど、それは叶わない。
「あ……」
 これまでにないくらい、ぴったりと私と浩平君の身体がくっつく。腰に手が回されて、強く私は抱きしめられた。
 私の不安を溶かすように、強くしっかりと浩平君は抱きしめてくれる。そして先輩と呼んで、側に居ることを教えてくれる。
「…先輩」
 …私の大事なところに、何かが当たる。さらに強く抱きしめられて、当たった何かが身体の奥に入ってきた。
 頭の中が白くなるような、赤くなるような、痛さが続く。きっとお母さんも体験した痛み。
 それを堪えようと、しっかりと浩平君にしがみつく。

 私は願う。
「…浩平君で良かったよ。今、目の前に居てくれる人が、私を抱きしめてくれる人が浩平君で」
 見えないから。離さないようにしっかりと確かめるようにしがみつく。
「一緒に居てくれるんだよね?」
 今、浩平君の姿を見ることは叶わないけど、将来、昔お医者さんが言ってたように目が治るとしたら。
 光が戻るとしたら。
「…ああ」
 短い返事に重なる抱擁。
「約束したんだよね?」
 …見たい。一度じゃなく、ずっと見たいよ。
「ああ…」
 浩平君と、そして───。
「後悔…してないよね…」
 言葉の終わりにしっかりとお互いを感じるような抱擁があって、そして熱いものを身体の奥に感じた。


 ───いつか、見れるといいな。

 お父さんとお母さんがいて。雪ちゃんもいて。浩平君と私、そして───。


                                                              (Fin)





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