Back/Index/Next
Tactics ONE short story



巡りくる春・・・




by 高槻涼一



 「ねぇ、澪。急がないと部活に遅れちゃうよ。」
 私は答えを返すために、自分の手元にあったスケッチブックを広げ何事かを書き込み、そしてそれを胸元に掲げ呼びかけた女の子に見えるように広げた。
 「用事があるの」
 そこには短く用件だけが書かれていたが、彼女は何かを悟ったのか「うん、わかった。」とだけ言い残すと、あっという間に教室から姿を消していった。
 私は彼女の姿が見えなくなるのを確認すると、自分の荷物を抱えて彼女とは反対の方向へ廊下を歩き始めた。

 下駄箱で靴を履き替え真っ直ぐに中庭へと歩いていき、元々決めていたベンチに座る。 まだ春には早いというのに暖かい陽気の中、目を閉じて周りの音に耳を傾けてみる。
 「・・・」
 取り立てて何かを聞こうとしているのではない。
 だが、このような意味のない事も日々の日常の中に有っても良いと思う。
 そうこうしていると「澪?」と呼ばれたことに気付いた。
 少し微睡みながら声のした方に顔を傾げてみると、そこには少し心配そうな顔をしたあの人が立っている。
 「どうしたんだ、こんな所に呼び出して。」
 声をかけながらあの人は私の隣に座り、手を私の頭の上に軽く乗せてくる。
 「話したいことがあるの」
 私はスケッチブックに大きな字で書いた。
 あの人は不思議そうな顔をして一言「聞いてやるよ。」と言うと、優しい顔をしてくれた。

 「えっとね、今度主役をやることになったの。」
 私はいつも使っている色鉛筆を取り出すと、いつもの丸文字をスケッチブックに書き込んでいった。
 「そうか、良かったな。澪が主役を任せられるのは俺も嬉しいよ。」
 あの人が優しく笑った後、少し寂しそうに顔をして呟いた。
 「だけど・・・その時には俺はもう卒業しているな。まぁ、一般の人も見れるから大丈夫か。残念な事と言えば、澪の練習に付き合えないことかな・・・」
 その言葉を聞いた後、私は新しいページを開き、あの人が見ている前で色鉛筆を動かしていった。
 「それでね、お願いがあるの・・・」
 どう答えてくれるのか、ドキドキしながらあの人の答えを待っていた。
 「俺が澪の頼みを断ると思っているのかい?とは言っても、俺にできることだったらいいんだけどな。」
 そう言いながら私の頭の上をゆっくりと撫でてくれる。
 私は思わず抱きついていた。
 「お、おい。恥ずかしいって。」
 あの人が慌てて声を掛けてくるけど、私はあの人を離すのではなく、より強く抱きしめてそのまま体を離そうとはしなかった。

  私は暫くあの人に抱きついていたが、程なくして顔を上げると「また、コーチをして欲しいの。」と書いてスケッチブックを見せた。
 「えっ。」
 あの人は驚いたのか声を上げていた。
 「何故?。今更俺に頼まなくても今のままでも澪は十分役を演じられるじゃない
か。前にコーチをしたといっても1年も前の事だし・・・。」
 あの人が慌てて言葉を捲し立てくるのを見て、私ははにかんだ様に笑いながら「これからもずっと側にいて欲しいの。」と書いてあの人にスケッチブックを差し出した。
 それを見たあの人は暫く空を仰いでいた後、私に顔を向けて言葉を紡ぎだしていた。
 「おまえだけを見ていて欲しいってことか?」
 うんっ、私は恥ずかしそうな顔をしてうなずいていた。

 春らしく暖かな風が穏やかに私の横を吹き抜けてゆく。
 あの人と待ち合わせている公園へと、歩みを進めていく。
 公園の中を見渡すと芝生の横のベンチにあの人が座っていた。
 私は後ろからゆっくりと歩み寄り、目隠しをしてみる。
 「澪・・・か?」
 優しい声・・・
 目隠しをしていた手を離し、改めて背中から手を回し抱きついてみる。
 「今日は遅れずに来たんだな。」
 抱きつきながらあの人の横から頭を出して頷いてみる。
 「映画にでも行くか?少し前に新しい映画が封切られていたと思ったが・・・」
 私は抱きつくのを止めてあの人の前に行き、「今日はね、ずっと此処でのんびりしていたいの。」と書いてあの人に見せた。
 「そうか。じゃあ今日はひなたぼっこでもしながら話でもするか。」
 私は恥ずかしげに笑いながら横に腰を下ろした。
 たわいのない話をしながら時に笑い時に頷きながら時間だけが過ぎ去ってゆく。
 暖かな日差し・・・
 穏やかに流れる風・・・
 小鳥達の囀り・・・
 身の回りの全ての事が春が来たことを告げてくれる・・・
 冷たく心を冷やす「冬」が過ぎ去ったことを表すかの様に・・・ 



Back/Top/Next