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Tactics ONE Short Side Story



Rainy Day


〜里村茜〜

by T.横島



 季節は秋。そして気温もまた寒くなり始める。夏の森林が色を変え始め、紅葉が広がる時期。冬の足跡も近づく折り返しの季節。
 10月。衣替えも終わり、再び長袖のブラウスに袖をとおす。クリーニングされた服が新鮮さを帯びていた。上着のボタンを閉じ、リボンを結ぶ。腰まで伸びた長い三つ編みをかき上げて背中に流し、姿見の前で居住まいを正した。
 机に置いた鞄を手にしたところで外の音があらためて聞こえてきた。閉じたままのカーテンを左右に開く。窓を打つ音に流れる水たち。
 「また・・・雨」
 灰色の雲が広がる空。昨日までの晴天が嘘のような空だった。悲しい表情のままそれを見上げる。そして何かを振り払うかのようにカーテンを閉めて部屋を出た。
 1階の台所では母親が忙しく動いていた。茜に「おはよう」と声をかけてから洗面所のほうに走っていく。
 食卓に人の姿はなかった。茜と母親以外は今だ布団の中らしい。鞄を隣の椅子に置き、もう隣の椅子に座った。テーブルに置かれた朝食のひとつに無言で手をつける。ご飯とみそ汁にハムエッグと、和食にふさわしい朝御飯だった。
 ご飯を口に運ぶ手を止めて窓の外を見る。庭に落ちてくる水の雫。濡れた葉がそれらをはじき返していた。2階から見たときと変わらない雨がここにもあった。
 「久しぶりの雨ね。今月に入って初めてじゃないかしら。たまにはいいかもしれないけど洗濯物がたまっているときは控えてほしいわね」
 洗面所から戻ってきた母親が茜と同じく庭の様子を見て溜息をつく。手にはかごに入った洗い立てのシャツやスカートを抱えていた。
 「茜、今日は早めに出なさいね」
 そう言い残し、再び台所を出ていった。2階への階段を上っていく足音が返ってくる。
 時間をかけた朝食を終え、食器を台所の水おけに浸しておく。それから弁当を作る作業に取りかかった。
 昨日のうちにこしらえておいた材料を出して、それぞれに調理する。まな板にリズムよく打ち付けられる包丁の音、フライパンを焦がす油の音、そして沸騰した湯がふたを叩く音。それらが消えた頃には、小さなランチボックスに色とりどりのおかずが並ぶ。最後にふたを閉じてハンカチでくるんだあと、それを鞄に入れて台所を後にした。
 玄関で通学用の革靴を履いて外に出る。ドアを開けたところで立ち止まり、再び玄関に戻って傘を手にする。愛用しているいつものピンク色の傘。玄関の前でその花が開いた。
 傘に当たる雨音を聞きながら門を出る。2階を見上げるとベランダの軒下で母親が洗濯物を干していた。茜の姿を認めると「いってらっしゃい」と声をかけて手を振っていた。茜も傘を少し傾かせて手を振る。いつもの朝だった。雨さえ降っていなければ・・・。
 通学路はこの雨で水たまりができていた。その上を落ちてくる雨を遮る傘の群があちこちでできている。その中に混じり、茜も学校へと向かっていく。
 「また・・・雨」
 朝の時と同じ言葉を呟く。灰色の空を見上げたあと、学校へ続く道を途中で折れた。
 草が無造作に生えた、それ以外なにもない、誰もいない空き地。その中へ茜は入っていった。水たまりを避けながら草の中を進んでいく。そしてその中の、草の中のぽっかりと空いた空間。茜はそこで立ち止まった。
 「また・・・ここに来ている」
 傘を少しあげて自分の立つ空間を見回す。茜の背丈ほどもある、人の手が加わることなく成長した雑草。それが四方八方に広がる。周りに立つ家の明るさとは対象にここだけがやけに暗さを帯びていた。人の交わりを拒絶した空間。そして、今そこに居る茜の雰囲気が更にそれを悪化する。
 打たれる雨が更に増し、傘を叩く音も大きくなってきた。動くこともなく、茜はただその場に立っていた。道路を走る車の音も、その脇の歩道を歩く登校中の生徒の笑い声も気にしないで・・・。
 どのくらいそうして居ただろうか。茜は時計を見る。1時間も居たような錯覚に陥っていたがまだ10分も経っていなかった。もう少しここにいたかったがそれは無理だった。
 「時間・・・」
 時計の針は、そろそろ学校に向かわないと間に合わない時間を射す。
 「いつまでも・・・ここにはいられない」
 そう呟いてから、茜は再び草をかきわけて道路に出た。一度空き地を振り返ってから学校の方に歩を進める。同じ傘の群へと混ざりながら。
 校門に差し掛かったところで茜の脇を男の子が通り過ぎていく。そして、それを追いかけているらしい女の子が息を切らしながら昇降口へと入っていった。茜もそれに続いて入っていく。
 雨の日の特徴でもある水の斑点を作る昇降口。あちこちで傘を叩く音がする中を、水を切った傘を整えながら靴箱に向かう。その前で、先ほど茜の横を通り抜けていった男の子と女の子が場に合わない口喧嘩を披露していた。顔は見たことがある。そう、同じクラスの子。確か名前は・・・。
 「みろ、長森が起こしに来るのが遅いからまた遅刻寸前じゃないかっ」
 「わたしはちゃんと時間どおりに来てるよっ。なかなか起きない浩平が悪いんだよ」
 「俺だってちゃんと起きてるぞ。それに長森がもっと早くくれば問題ないじゃないか」
 「それは責任転嫁だよっ。起きない浩平が悪いっ」
 「い〜や、来るのが遅い長森が悪いっ」
 「浩平がっ・・・」
 「長森がっ・・・」
 そんないつまで続くか解らない言い争いの中を静かに通り抜ける。茜が通ったことも気にならないのか、靴箱を出た後も喧嘩は続いていた。
 『今の私には・・・口喧嘩をする男の子もいない』
 教室への廊下を歩きながら俯いた表情で茜は考える。あの2人の光景が今の茜にはうらやましく思えた。
 そして登校時刻のチャイムがなった。

 この空き地に立つようになってからずいぶんと長い時間が過ぎた。始まりはいつの頃からだっただろうか。記憶が少しだけうやむやになる。
 茜は雨の日になると決まってここに立つ。この場所で、雨が降っていたこの場所で、茜の目の前で、靄がかかったように薄れ、消えていった幼なじみ。その子が帰ってくるのを待つために。
 帰って来るという確証はなかった。しかし待たずにはいられなかった。茜の目の前で消えたから、今この世界で彼を知る人間は茜ひとりしかいないから。一緒にいた詩子さえも、生まれてからずっとその生涯を見ていた親兄弟でさえも、彼の記憶は手のひらからこぼれ落ちた水のように水滴のひとつさえ残さず消え去っていた。
 見えない呪縛が茜の体を捕らえていた。あの時、茜がこの空き地と隣接する歩道を通っていなければ。雨の中、傘も差さずに俯いている幼なじみに気づくことがなければ。そして茜の前で何も言わずに消えることがなければ・・・。今の茜は違う世界を歩いていたのかも知れない。
 夢を見ていた。安らぎを与える暖かい羽の中で。
 いつもの空き地で、雨の中でたたずむ茜。その雨がやんで茜が傘を閉じたとき、木々の向こうから手を振って茜に駆け寄ってくる幼なじみ。茜にむけた笑顔、それに答えるように茜も笑みを返す。草をかき分けて茜のもとへくる。途中で何度も雑草に足を引っかけながら、それでも前に進みながら。
 あと数歩で茜と手が交わる。そこまで来たら自分から抱きついて満面の笑みを浮かべて迎えてあげよう、過ぎた時間を一言で埋めるように。
 『おかえりなさい・・・』
 茜の手が触れる瞬間、それは閃光を発してその場から消える。まるで、そこには始めから何もなかったかのようにまやかしの雑草が消えて黒い背景が広がっていた。茜ひとりを残し・・・。
 そこで・・・目が覚めた。
 「また・・・雨」
 窓を叩く雨を見ながら茜はそう呟く。
 そして家を出た後、いつものようにあの空き地へと向かう。
 戻ることのない幼なじみを待ちながら。それでも戻ってきてくれると信じながら・・・。雨の一日が、また始まる。



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