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Tactics ONE Short Side Story



Hearts Diary


〜椎名繭〜

by T.横島



 ○4月5日
 「ずっといってなかった学校にいきはじめる。しらないひとばっかで、こわかった」

 椎名繭の日記はこの一行から始まっている。
 字としてとれない字、文として読み取れない文、与えられた行からはみ出した文字がノートいっぱいに広がる。まだ字を習い立ての子供が書いたような文は、所々が欠けながらも「一生懸命書いた」という跡が残っていた。
 小さく笑みを浮かべてページをめくる。日付が変わる、また新しい日の日記。
 ただ、今日あった出来事がほんの少しだけそこに語られている。24時間という一日の時間が刻む中の、ほんの一行の思い出。
 「もうすこしがんばることにする」、「はなしができた」、「おねえちゃんが電話してきてくれた」、「ハンバーガーたべたい」。小さな願いとがんばる心。
 その日記も一週間を過ぎたところで小さな変化が起きる。

 ○4月13日
 「いやなこといっぱい。たのしくないこといっぱい」

 この前後から、学校の中でなにかに対するいじめにあっていたらしい。悲痛な思いが日記に続いている。
 そういえば、と思い出す。あの頃の繭は学校に行きたての頃にあった元気が薄れていた。学校へ行こうとせかすと布団にしがみついてしばらく離れなかった。朝食も亀のようにのんびりとした動きで口に入れるだけ。帰ってきた後も暗い表情しか見せてなかった。
 なにも出来なかった自分に心が痛む。
 それを受け止めながらさらにページをめくった。

 ○4月24日
 「ともだちができた。ともだちになろう、ていってくれた。みあっていう子。きのうはなした子。すこしだけ学校にいくのがいやじゃなくなった」

 この子が学校で出来た初めての友達らしい。きっかけは唐突なものだったが、そんなことはとくに問題でもない。どこでなにが大きくかかわってくるか解からないのだから。
 友達が出来た後の繭は一転した。
 人とかかわり会うことで、今まで補えなかったものが少しずつ埋まっていく。話をすることでいろいろなものが打ち解けていく。日が通りすぎるのを忘れるくらい、止まっていることさえも解からずに。繭は元気に語る。
 楽しい日々がそこから延々と綴られる。
 5月・・・、6月・・・、7月・・・、8月・・・、9月・・・、10月・・・。
 11月・・・
 12月・・・
 1月・・・
 春風が仰ぎ、新緑が芽生え、紅葉が咲き、葉が落ちて、雪が積もる。
 駆けぬける季節と共に日が通りすぎていく。
 2月・・・
 ここで日記は終わっていた。そのページから、季節を逆戻りしながらノートを閉じる。表紙に「にっきちょう」とひらがなで書かれたノート。
 それにそっと手を乗せて小さく呟いた。
 「がんばったね、繭」
 伏せた目をあけて机から離れる。きれいに片付いた部屋を見渡してから掃除機を手にして、繭の母親は部屋を出た。

 授業終了のチャイムが鳴ってしばらく時間が経った。
 誰もいない教室に残って話をする繭とみあの姿がそこにあった。閑散とする室内に響く、みあの声。時折、繭の相槌がそこに加わる。
 「そろそろかえろっか」
 教室の時計を見てみあが先に席を立つ。それに続くように繭も鞄を手にして教室を出た。
 「でもね、繭と友達になろうって思ったのはね。強い子だって思ったからだよ」
 先ほどの話の続き。みあが繭との出会いを懐かしく語る。卒業が近いということもあってか、会話は自然と過去の思い出に向けられていく。繭が自分の学校に復学した頃、それより前の別の学校にいた頃、そして・・・浩平の話し。
 「つよいこ・・・?」
 みあの言葉にほけっとした顔で繭が答える。
 「ほら、クラスの男の子たちに嫌がらせみたいなことされても、じっと我慢してたよね?」
 「我慢・・・・・・」
 復学したての頃はクラスの男の子の趣向なのか悪ふざけなのか、よくいじめられたいた。新しく入ってきた人間への洗礼のようなもので、指では数え切れないほど色々ないじめにあってきた。それを繭はじっと耐えていた。反撃ができないということもあったが、自分が彼らよりの大人であるということを自覚していたのかもしれない。
 だから・・・耐えていた。
 「繭と友達になりたかったの、別に同情とかじゃなかったんだよ。立派だって思ったからだよ。見習いたいっておもったからだよ」
 「ほえー・・・」
 「ほえーじゃないよ、繭。自分で思っている以上に強いんだよ、繭は」
 廊下を通りすぎて昇降口で靴を履き替える。
 「あたしなんかね、すぐ泣いちゃうのに。繭は強いよ」
 外に出ると一陣の風が二人を通りすぎた。冷たかった風も今はなんとか持ちこたえられる。気温のほうも徐々にだが暖かくなってきている。冬を越えた木々に小さく芽が咲いている。春の訪れは近い。
 「繭、最後に泣いたの、いつ?」
 みあの質問に繭は空を見上げた。雲がまばらに散らばる青い空。すこしオレンジ色がかかっている。それでも、あのときよりは明るい空の色。
 さいごに泣いた日・・・
 もう季節がふたつもまえ・・・

 「てりやきバーガーのセットを二つに、単品でポテトのLひとつに、なげっとひとつ、てりやきバーガーを六つ、お待たせしました」
 レジの前でそわそわしているとカウンターの向こうから声をかけられる。注文した品物がこげ茶色のお盆にぎゅうぎゅうに乗っていた。
 支払いをしてお盆を受け取る。手にずっしりとした重みが走った。
 「ありがとうございました」
 店員の言葉を背にして品物を運びながら空いている席を捜す。カウンター付近は埋まっていたのでそのまま奥のほうへと移動した。
 「・・・よいしょっ・・・よいしょっ・・・」
 顔が隠れるくらい積み込まれたお盆を運びながら進む。そして、壁際の二人分空いた席を見つけてそのテーブルにお盆を置く。置いた拍子に積み重なっていたハンバーガーのひとつがテーブルに落ちて床を転がる。慌ててそれを拾って軽く埃を払う。
 顔を上げて起き上がったところで何か足りないことに気づく。・・・浩平がいない。
 「ほえ?」
 拾い上げたハンバーガーを手に持ちながら店内を見まわす。にぎわう店内の中にその姿は見当たらなかった。
 「みゅーっ・・・」
 そのままその場でぐるりと一回転する。ちょうどそのとき、視界の中にお手洗いの標識が目にはいった。そこにいるであろうと思い、とりあえず椅子に座って先に食べて待っていることにした。
 店内には最近はやりの音楽が静かに流れていた。その下で繭はもくもくとハンバーガーを食べている。いくらか口に入れたところでジュースを飲んでのどを潤す。氷で冷えた甘い味が口の中に広がった。そしてまたハンバーガーをかじる。
 「・・・こない」
 ふと、お手洗いのドアを見る。まだ浩平が出てくる気配はない。再び食べることに集中した。少しずつお腹が満たされていく。
 ハンバーガーの山が残り5つになったところで繭は手を止めた。
 「もー、おなかいっぱい・・・」
 目の前には食べつくした袋が小さく山になって出来ていた。残り少なくなったジュースを一気に飲み干して伸びをする。向かい側には座る者がいない椅子が繭を見上げていた。浩平はまだ来ない。
 少し気になって立ち上がったが、そのまま動くことはなかった。
 そして・・・。
 「あの、もう本日は閉店となりますが・・・」
 声をかけられ、ふと顔を上げる。注文をしたときにレジに立っていた店員が繭の顔を見下ろしていた。耳を傾けると店内には閉店を知らせるアナウンスが流れている。
 「こちらのほうは、どうなさいますか?」
 店員が手を指したもの。まだ手付かずのものを含めた品物が乗っているお盆。その半分は、浩平のものだった。店員の対応に小さく答えながら繭はお手洗いのドアを見ていた。
 やがて袋に詰められた品物が繭の手に渡される。それを受け取ってから椅子を立って出入り口へと向かった。
 「ありがとうございました」
 自動ドアを通ったところで後からさきほどの店員の声がする。ドアが閉まるのと同時に店内に流れていた音楽が消え、代わりに外で音を上げる雨が聞こえてきた。雨のカーテンの中にも、浩平の姿はない。
 「みゅー・・・」
 その中へ一歩足を踏み出す。服に雨水が染みこんでいった。
 「浩平ーーっ!」
 そのまま歩道へ出て、行く宛てもなく駆け出す。冷たい雨が容赦なく繭の体を突き刺す。それでも傘をさすことも忘れて、浩平の名を呼びつづけながら商店街の中を駆けていった。服が重くなる、足元がぬかるみにはまるような感覚もする。それでも走りつづけた・・・。
 「うくーっ・・・」
 気がついたときには自分の家の玄関に立っていた。どこをどう走ってきたのか解からないまま。
 家に入るとリビングで洗濯物を畳んでいた母親が繭の姿を見て不安げに声をかける。
 「どうしたの、繭・・・?」
 すぶぬれのまま、繭は戸口に立っていた。俯いたままで小さく鼻をすする。
 「なにか悲しいことあった・・・?」
 母親の言葉に繭は小さく頷く。髪をつたって雨水が床に落ちた。
 「そう・・・可哀想にね。・・・繭・・・ほら、おいで」
 子犬のような繭に母親の暖かい手が差し出される。
 「ほんとうに悲しいときはね、泣いたって構わないのよ。・・・おかあさん、怒らないよ」
 「うぐっ・・・」
 その言葉に、繭が顔を上げて母親のほうへ駆け出す。手に持った袋が床に落ちて小さく跳ねた。倒れ込みながら母親の膝に顔をうずめる。
 そして、堰を切ったように声を上げて泣いた。室内に溢れんばかりの、外の雨さえもかき消してしまうほどの大きな声で。繭の頭を撫でる母親の体をしっかりと掴みながら。いつまでも泣きつづけた。

 さいごに泣いた日・・・
 おかあさんのひざではじめて泣いた日・・・
 もう季節がふたつもまえ・・・

 繭は、空を見上げていた。



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