Back/Index/Next
Tactics ONE Short Side Story



Rainy Day


(reprise)

by T.横島



 頭上では重苦しい空が絶え間なくうねり声をあげていた。
 宙では水が粒となって、土の上に地響きのような音をこだまさせる。
 雨の中だった。 
 さえぎるものが何もない体に水は容赦なく降り注ぐ。地面は土から泥に代わり、服は水分を含んでおもりとなり、髪からは水の雫が途切れることなう流れ落ちる。だが、もはやその感覚すらもなかった。
 いつからここにいたのかさえも解からない。
 気がついたときにはこの場にいた。
 一面、人の手が加えられずに伸びに伸びた雑草が生える土地。肩ほどもある草木が自分の周りを捕り囲んでいた。
「ふぅ・・・」
 小さく吐いた息も雨の音にかき消された。
 視界がぐらりと歪む。
「近い・・・な」
 見下ろした右手が霞み、その先にある地面を映していた。
 いつの頃から、この予感は漂っていた。
 薄れゆく存在と消えていく自分というものが。
 しかし、それもどこかで望んでいたことかもしれない。

 ・・・最初は柚木詩子だった。


 穏やかな晴天の下、芝生に寝転がり空を見上げてていたときにふと影が覆い被さる。
 そのまま視線をずらすと見知った顔がそこにあった。
「何しているんですか?」
 声をかけてから答えを待たずに隣に腰を下ろしてきた。長いお下げを背中に回す。
「家に行っても、いなかったから」
「そうか」
 長いスカートを膝で折りたたむようにして里村茜は同じように空を見る。
「なにか見えますか?」
「いいや、なにも」
 耳をすませば、風に揺れる草の音が風景の中に響き渡る。それに混ざって鳥の囁きが重なった。
 土曜の昼下がり。
「学校、どうして休んだんです?」
 茜の言うとおり、今日は朝からここでこうしている。学校は校門すらもくぐっていない。家から出て、そのままここにやってきて空を見上げていた。
 芝生の上には今日なんの役にも立たなかった通学鞄が放り投げてあった。
 答えを求めるように、茜が肩を遠慮がちに揺すってくる。
 その手をそっと避けると茜の座る反対向きに寝返りを打った。草の匂いが直接鼻に当たる。
「なんとなく・・・行く気が起きなかったんだ」
「そうですか」
 叱ることもせずに茜はぽつりとそう言った。
「最近、元気ないみたいでしたから」
 少し体を起こして茜の方を振りかえる。 
 俯き加減の顔に、置いていかれた子猫のような寂しい表情が浮かんでいた。
『茜は・・・まだ知らないんだな』
 今の自分に近づいている予感は漣のようにゆっくりとしている。他の誰も、まだ気づくことも出来ない、ただの予感。
 今日の無断欠席の理由はそれだった。
 周りの視線が霞んでいたのに気がついたのはつい最近。
 そしてそれに孤独さを感じず、逆に願っているような自分の形がそこにあった。
 そのときの表情が茜には寂しく見えたらしい。
 自分以外から見た素顔というのが、本当の素顔かもしれない。
 ゆっくりと起き上がって芝生に投げ出してあった鞄を手にとる。
「行ってくるよ、学校。遅くはないだろうから」
 茜が驚いた表情で見上げている。
 もちろん、今日の授業は全部終わっている。今から行っても部活をやっている生徒か、会議に出ている教師ぐらいしか出会う人はいないだろう。行ったとしてもやる事はない。
 ただ、隣にいる茜の表情が少しでもやわらげればと思ってとった行動だった。
 ズボンについた土を払いのけてから茜に背を向けて学校への道を歩き出した。
 その時、呼び止めようとした茜の声と、聞き覚えのあるもう一人の声が重なった。 
「あ〜っ、いたいた。あかね〜〜」
 周りをまったく意識していない明るい声が飛んでくる。
 振り返ると制服姿の詩子が学生鞄を振り回しながらこちらに向かって走っていた。そして茜の傍まで辿りつくと歩測を落として息を整える。
「家にいったらいなくてさ、おばさんに訊いたらここにいるかもって・・・。約束の時間に間に合わないからって学校からそのまま走ってきたのに。茜、いなんだもん」
「・・・すいません」
 茜がぺこっと頭を下げる。
 そういえば数日前に詩子がそんな話をしていたのを思い出した。
『今度の土曜日、午後1時に茜の家で待ち合わせ。面白いとこいくから絶対に遅れないでよ』
 ファーストフードでハンバーガーをかぶりつきながら言っていた。
 場所は行ってからのお楽しみ、とも言っていたが物好きな詩子の事だけあって簡単に予想はついた。
 電車で一駅離れたところに出来た新しい水族館。先週オープンしたばかりで人の入りも人気も好評らしい。オープン前にもかなり大体的に宣伝をしていた。
 どこに引かれたのかは解からないが詩子は水族館に行くことを密かに決めていたようだ。
 だいたい、電車で一駅の場所へ行くのに集合場所が茜の家というのが詩子らしい。
 結局、いいだしっぺは時間に遅れることとなり、言われた二人はそのことさえ忘れているという出だしからつまづいた状態になってしまっている。
「ほらっ、早くしないと混むんだから。急ごっ、茜」
 詩子が俯いている茜の手を引いて歩き出そうとする。
「あっ」
 引っ張られた茜が小さく呟いてからこちらを見る。
 助けに入って欲しいのか、もうひとり置いていっているのを止めようとしているのか、そんな感情が入り混じった呟きだった。
 茜の声に、詩子はふと足を止めて茜を見る。そして視線を茜の先へと向けた。
「あれっ?」
 そのとき、詩子は複雑な表情を浮かべていた。
 茜と一緒にいる男に向けた視線は、以前の詩子からは決して現れることのない感情だった。
 そして、そこに待ち望んでいた答えがあった。
「この人、茜の・・・知り合い?」
 この言葉に、茜一人だけが虚を衝かれたような表情をしていた。 
 その表情のまま、二人の顔を見比べている。
「し・・・詩子?」
 なにかを求めるように茜は詩子を振り返る。だが、詩子の顔は変わらない。
 赤の他人。
 今の詩子にはその言葉が貼りついていた。
「ねえ、茜」
 詩子も答えを求めて茜の手を揺する。
「どう・・・したの、詩子?」
「どうって」
 詩子と茜の問答が続く。その姿を動かずに黙って見ていた。

 風が吹いた。
 芝生に落ちている木の葉が風に乗って空に舞い上がった。
 突然吹いた風に茜も詩子も動きを止める。
 風を追っていた二人の目がこちらを向いた。
 知らない人と向き合う詩子の目と、ただ戸惑うばかりの茜の目。
 その二人に、そっと笑みを向けた。
 そして、右足を引いて二人に背を向けてからゆっくりと歩き出した。
 向かう先はどこでもよかった。学校でも、家でも、公園でも・・・。ただ、その場から離れただけだった。
 去っていく姿に茜が声をかけて止めようとする。
 だが、その言葉も風にかき消された。
「なに? どうかしたの、茜」
 状況を理解していない詩子の言葉だけが、静かにその場に残っていた


 あとは簡単だった。
 翌週、学校の教室に足を踏み入れたときにすべての雰囲気が失われていることを知った。
 クラスメイトのすべてから、一人の少年に対するココロと存在が消えていた。 
 入り口近くに席を構えていた生徒は言う。
「君、転校生?」
 と、一言だけ。そして次の瞬間には首を傾げる。
『・・・俺、誰に話しかけてんだ?』
 そう目は言っていた。
 記憶から消えているから知らない。
 写っていないから解からない。
 世界は語りかけていた。
 ただ一人を除いて。
 教室から出たところで出会った少女は小さく声を上げる。茜だった。
 2日前に見たときと同じ、戸惑いの表情で見つめている。まだ茜の中には存在が残っている。
 だが、それを受け止めようとせず、茜の横をすり抜けて学校を後にした。
 突如降り始めた雨の中を、防ぐすべを持たないまま街を歩いていた。


 あれから何日経っただろう。
 今はあのときと同じ雨が降る。
 ビデオノイズのように視界が歪んでいく。
 消える刻が近い。望んでいたあの世界へと。
 その時、消えかけた耳に草木を分ける音が入ってきた。誰かがこの地に足を踏み入れたらしい。
 しかし、それももはや意味をなさない。消える人間には無用なものだった。
 だが、飛んできた声が一瞬だけ世界を繋ぎ止めていた。
 自分を呼ぶ声、かすかに顔を上げて振り向いた先にいたのは・・・幼馴染の茜の姿だった。
 声が雨の音に消されながらも、必死でなにかを訴えているようだった。
『・・・もう遅いよ。聞き取れないよ・・・。・・・あか・・・ね』 
 風が止まった。
 そして世界から一人の少年の存在が消えた。
 最後にその場に残ったのは、同じ場所で立ちつくす少女の姿だった。



Back/Top/Next