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Original Novel Pochikun Presents



Bye〜rain〜


11.こころ

by ポチくん





Feb 1 THU




杏が朝になっても目覚めることはなかった。

とりあえず麗奈とは学校で落ち合うことにしたため、今日の朝も麗奈は食卓にはいない。

せっかくの真由美さんの真っ白いご飯も、まるで砂のように味気が無かった。

真由美
 「お姉ちゃんのことは私に任せて、聡人さんは学校に行ってください」

聡人
 「あ、すいません」

真由美
 「聡人さんが謝る事じゃ、なくってよ」

・・・







今日のテストにはまったく身が入らなかった。

何故こんなにも俺は杏のことを気にしているのか、分からなかった。

二日間杏と頑張ってきたことは、ついに実現されることはなかった。

・・・







「兄さん」

不意に後ろから声をかけられる。

聡人
 「ああ、麗奈か」

麗奈
 「はあ、はあ、はあ・・・」

麗奈
 「ん、お姉ちゃんは・・・」

麗奈が、疲れた息づかいを俺に向けた。

聡人
 「まだ相変わらずだそうだ」

さっき俺が電話して聞いたのだ。

真由美さんは病院にも電話して先生にも来てもらったのだが、しばらくは家で安静にするようにとのことだった。

意識はまだ・・・ないらしい

・・・







真由美
 「お帰りなさい」

いつもと違った下り調で俺たちに挨拶をした。

それが今の容態が決して良くなっていないという象徴となっていた。

聡人
 「ただいま」

麗奈
 「ただいま・・・」

俺は、自分の部屋で着がえると、杏の部屋へと向かった。

杏の部屋には既に真由美さんと麗奈がいた。

聡人
 「で、どうだったんですか」

真由美
 「身体的には以上は無いって、先生は言ってました。でも・・・」

でも・・・

その先は暗黙の承知で俺たちは分かっていた。

真由美
 「わたし、晩ご飯の用意をしてきますから、ここお願いしていいかしら」

聡人
 「分かりました」

麗奈は言葉無く頷くだけだった。

まるで死んだように眠りつづける杏に、俺たちができることは何もなかった。

たまに口を開いたと思ったら、そこから漏れるのは耳を塞ぎたくなるような喘ぎ声だけだった。

「おかあ・・・さん・・・」

「おか・・・あ・・・さん・・・ゆるして・・・」

「ねぇ・・・かずと・・・ゆるして・・・」

「ねえ・・・おとうさんも・・・ゆるして・・・くれないの・・・」

・・・

杏は、ずっとそう言いながら、「ゆるして・・・」と言い続けていた。

突然、沈黙の間が入ったと思ったら、また同じことを繰り返した。

まるで自分を糾弾するかのように。

麗奈は、そんな姉さんの手を握りつづけていた。

杏は泣いていた。

・・・







真由美「ちょっと出かけてきます。お留守番、任せてよろしいでしょうか」

聡人
 「ええ、いいですよ」

麗奈
 「寒いから、風邪・・・ひかないでね」

真由美
 「大丈夫ですよ」

真由美さんは、行ってきます、と言うと部屋をあとにした。

俺たちは杏を交替で看ることにした。

とにかく俺は、ここを麗奈に任せて一息つくことにした。

・・・







とはいっても、俺には何もすることはなかった。

リビングへと降りてテレビをつける。

全く面白くないバラエティー番組に耳を傾けては、俺は気を落ち着かせたかった。

外の雪は本降りになってきた。

大粒の雪・・・

家を揺さぶるほどの強い風・・・

電線にその風があたっては悲鳴をあげていた。

シャーッ

カーテンを開けた窓の外には、黒い闇のキャンバスと白い塵埃のコントラストがあった。

そして、その遥か向こうに俺は立っていた。

それは微動だにしなかった。

ただそこに佇むだけだった。

窓に吹き付ける雪・・・

俺は膝の感覚が無くなり、そして崩れた。

窓の外の俺も、跪いた。

俺を分かるのは、俺だけだった。

俺には支えるものなんてなかった。

崩れたければ、崩れればいい。

俺は俺にそう言われた。

・・・







聡人
 「麗奈・・・」

よっぽど疲れたのだろうか、麗奈は杏の手を握りながら眠っていた。

聡人
 「麗奈・・・もう自分の部屋に戻って寝てもいいぞ」

そっと麗奈の体をゆする。

麗奈はゆっくりと俺のほうに首を向け、前髪を掻き上げた。

麗奈
 「あ、兄さん・・・ごめん。寝てた」

聡人
 「もう部屋に戻って寝ていろ・・・」

麗奈
 「でも、兄さんは・・・」

聡人
 「大丈夫だ。杏も落ち着いてきたようだしな」

杏のさっきまでの苦しい表情はもうなくなってた。

聡人
 「だから」

麗奈
 「分かったよ。兄さん」

麗奈も、落ち着いた表情に戻っていた。

麗奈
 「おやすみ・・・」

聡人
 「ああ、おやすみ。麗奈」

麗奈は左足を持ち上げ、そして部屋を出て行った。

杏・・・

聡人
 「もう大丈夫だ・・・杏」

・・・


 「分かっていたの?」

聡人
 「多分・・・と思ったが」

麗奈を心配させたくなかったのだろう。杏の意識が戻っていることくらいは、分かっていた。


 「ごめん・・・心配かけた?」

聡人
 「ああ、めちゃくちゃ心配したぞ」


 「それもそうね」

俺たちは久しぶりに笑った気がした。

今日という日はあまりにも長かったから・・・


 「もう大丈夫だから・・・」

聡人
 「大丈夫になってもらわないと困る」


 「あはは・・・」


 「わたし・・・何か言ってなかった?」

聡人
 「ああ、めちゃくちゃ言ってたぞ」


 「どんなこと?」

聡人
 「面白くなかったぞ」


 「答えになってないお〜」

聡人
 「そう・・・だな」


 「わたしね・・・あの時のことを見てたんだ・・・」

聡人
 「悪い夢か・・・」


 「うん・・・すっごく悪い夢・・・」

怖くて

自分が嫌になって

そして、心が潰れてしまったときの夢・・・

聡人
 「いいのか・・・」


 「うん・・・ここで、こうしないと・・・わたし・・・」


 「わたし・・・」


 「わたし・・・自分を取り戻せない」

聡人
 「ああ、分かった」

・・・











あの日は、風の強い日だった。

わたしは、塾から帰ってもう一度部屋で復習をしているところだった。

わたしは、お父さんが怖かった。

いつもいつも、お父さんはわたしに「勉強しろ」としか言われなかった。

「その言葉しか・・・お父さんは言えないの?」

そう言ったときもあった。

もちろん、お父さんのいないところで。

お母さんは優しい人だった。

わたしが勉強をしているときも、ずっと見ていてくれた。

わたしよりも先に寝ることはなかった。

そして、弟もいた。

聡人と同い年の、弟がいた。

要するにわたしよりも一つ下だね。

その日は遅く帰っていたから、かずとはもう寝ていた。

わたし・・・かずとが羨ましかった。

ずっと・・・羨ましかった・・・

お父さんに、勉強しろって一度も言われたときのない、かずとが羨ましかった。

わたしだけなんでこんなにも辛い目に会うんだろう・・・ってそう思った。

でも、わたしかずとが好きだった。

「お姉ちゃん、頑張ってね」

いつものセリフで、かずとは勉強しているわたしにコーヒーを持ってきてくれた。

お母さんは、リビングでいつも編物をしていた。

「冬になってもこれで安心ね」

そう言っていた。

でもそれは、わたしが寝るまでの暇つぶしだということも分かっていた。

その日も、お母さんはいつものように編物をしていた。

わたしは、もう眠ってしまったかずとを羨ましく思いながらも、勉強をしていた。

いつもよりも少し長く勉強しすぎたかもしれない・・・

「お母さん、お母さん」

「あれ?」

お母さんは、リビングのソファーで軽い寝息を立てていた。

「お母さんったら、こんなところで寝ていると、風邪ひくお〜」

「あ、杏?ごめんね、寝てたみたい・・・」

「いいから、早く寝た方がいいよ。わたしもう少ししてから寝るから」

「ごめんね、杏。そうさせてもらうわ」

そう言っても、お母さんは部屋で起きているんだろうなって思った。

いつも、わたしが眠ったのをいつも確認しにくるのを分かっていたから。

「おやすみ。お母さん」

「早く寝るのよ。杏」

「うん分かったお〜」

わたしはそう言うと、生まれて初めてキッチンに立った。

そのときまで、わたしはキッチンに立ったときなんてなかった。

わたしは初めて何かをする子供のように心が躍っていた。

包丁を取り出してみた。

包丁って、こんなにも重いものなんだって、初めて分かった。

レンジを使ってみた。

レンジって、焼くためにあるんじゃないんだなってそのとき知った。

わたしは、ガスを使ってみた。

わたしは、お父さんの言うことを守っていればよかったんだって、あとで思った。

お父さんはいつも

「杏は勉強さえしていればいいんだ」

「料理なんて知る必要が無い。料理は、母さんが作ってくれる」

わたしは、そのいいつけを初めて破った。

快感だった。

初めて味わう感覚に、わたしは心を奪われた。

ちっ、とガスに火がついた。

でも、その火は強すぎた。

近くにかけてあった布巾に燃え移ったときには、わたしはもうどうしようもなかった。

それからは早かった。

台所の半分なんてあっという間に燃えた。

わたしは、そのとき思った。

「逃げなきゃ」

わたしは逃げた。

もう、お母さんのことも、かずとのことも、お父さんのことも、全部忘れていた。

とにかく逃げた。

わたしが玄関まで逃げたときにはもうリビングは真っ赤だった。

上の方に、黒い煙が上がっていくのが分かった。

わたしは、玄関の扉を開けて、外に出た。

「よかった・・・助かった・・・」

そう思った。

でもそこには、わたし一人しかいなかった。

それに気がついたのは、近所の人たちが集まってからだった。

「杏ちゃん、よかったね。助かったのね」

そう言われた。

どうしてわたしの名前しか呼ばれないの。

辺りから、サイレンの音が近づいて来るのがわかった。

ぱちっと、家の中で何かが弾けた。

そのとき、ドアが開いた。

お父さん?

「杏か・・・母さんはどうした・・・」

「かずとはどうした・・・」

杏か・・・

お父さんはわたしにそう言っただけだった。

「お母さんやかずとは、まだそこ・・・」

わたしは、そう言って真っ赤に燃え上がる家を指差した。

現実感がなかった。

何も感じなかった。

そのときは。

「くそっ!俺が行ってくる!」

そう言うと、お父さんは家の中に飛び込もうとした。

お父さんを、近所の人たちは止めようとした。

そっか・・・お母さんや、かずとはあの中にいるのか・・・

わたしはそんな無機的な考えしかもてなかった。

お父さんは、とめようとする人たちを振り切ると、火の中に飛び込んでいった。

・・・

消防車が来たときには、既に家は殆ど焼け落ちていた。

わたしは、火が消えるまで・・・

そして火が消えた。

火が消えても、その前で立ち尽くしていた。

太陽は少しずつ昇ってきていた。

さっきまでの熱いくらいの空気は、すっかり冷え切って太陽の訪れとともにそれを増してきていた。

わたしは、まわりに多くの人が涙を流しているのに気がついた。

なんでだろう・・・って思った。

でも、その泣いている人たちの中にお母さんも、かずとも、お父さんもいないのに気がついた。

消防団の人が、担架とビニールシートを持ってきた。

その中の一人が手を上げた。

三つの担架が一点に集まって、「黒い墨」のようなものを持ち上げた。

消防団の人は、二人一組になってそれを持ち上げた。

わたしの横を、その三つの「黒い墨」が横切った。

最初にに通ったモノのは「かずと」だとは分かった。

「かずと」の顔がはみ出していた。

真っ黒で、もう「ヒト」として認識できなくなっていた。

でも、それが嘗てわたしに微笑んでくれた「かずと」だって分かった。

「かずと」は炭化した瞼を少し持ち上げていた。

真っ黒になった顔の目の部分だけが、白く見開いていた。

その、黒と白のコントラストが印象的だった。

次に通ったのは「母親」というモノだった。

わたしがお母さんと呼んでいた人・・・

長い髪がわたしにそれがお母さんであると分からせてくれた。

ビニールシートをかぶされて・・・

たまに風に靡いて見える体が黒くって・・・

お母さんは、わたしにもう微笑んでくれないっていうことを、初めて分かったその瞬間・・・

わたしは初めて泣いた。

どうしようもなく泣いた。

そして、崩れた。

まるで糸が切れた操り人形のように・・・

「お母さん・・・お母さん・・・」

「おかあさん・・・うぐっ・・・えぐっ・・・」

「おかあ・・・さん・・・えぐ・・・ぐぅっ・・・」

(杏は寒がりだから・・・)

(ほら、暖かいでしょう・・・)

(これをつけていれば、もう寒くなんてないわよ・・・)

でも、そこにあったのは「黒い墨」だった。

それ以外の何ものでもなかった。

お母さんは、もういなかった。

お母さんのにおいは、もう墨の匂いに冒され切っていた。

そして、お父さんは・・・

ただの黒い塊だった。

・・・











聡人
 「杏・・・」


 「わたし・・・わたし・・・」

聡人
 「・・・っもう・・・何も言うな」


 「ねぇ・・・泣いてもいい?」

聡人
 「ああ、泣いてもいい」

聡人
 「泣きたかったら、思いっきり泣いてもいいんだ」

聡人
 「いつだって、思いっきり泣いていいんだ・・・」


 「う・・・うん・・・そう・・・だ・ね・・・」

そして泣いた。

思いっきり泣いた。

声を出して泣いた。

俺はそんな杏を抱いてやることしかできなかった。

俺の肩の上で杏が泣いている。

前から、俺にかぶさるようにして杏が泣いている。

そして、杏から伝わる温もり。

杏の鼓動。

杏の声。

こんなに近くから杏を感じたことはなかった。

俺の右肩に、杏の涙がたくさん零れ落ちては消えていった。

そんな杏を、俺は強く抱きしめた。


 「聡人っ・・・」

聡人
 「俺は、いつまでも一緒にいるからな・・・」

聡人
 「いつでも杏が泣いているときはそばにいてやるからな・・・」


 「聡人・・・」

聡人
 「頼りないか?」


 「ううん・・・全然」

聡人
 「だったら、俺をもっと頼ってくれ」


 「うん・・・もっと聡人に頼っちゃうよ・・・わたし」


 「それでも・・・いい?」

聡人
 「ああ、いいって言ってるだろ」

・・・

俺はずっと杏が泣いているのを見ていた。

ほんの少しだが、杏に笑顔が戻ったのは気のせいじゃないだろう。



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