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Original Novel Pochikun Presents



Bye〜snow〜


4.ふたり

by ポチくん





「とりあえず、歩けると思わなければ歩けるようになりませんよ。自分を信じて、足を前に進めることを…」

私の読めない文字で、先生は私を背にしてさらさらとカルテを書き込む。
何と書いてるんだろう
気になる私を尻目に、先生は構わずに私に話し掛けてくる。

「それでも最近は少しずつ良くなってきているみたいですね。この調子でずっと…」

カルテを書いていた手が止まり、万年筆を脇に立てると、回転イスをくるりと私の方に向けて、先生が話し掛ける。

「うーん…」

先生が、私の右手に手を伸ばし、それを摘み上げては降ろしたりする動作を繰り返す。
三年前は、私のここにも血が通っていたんだよね…
体の一部を動かすという概念を忘れた私の右手と左足は、いくら意識を集中させても、もう動くことはなかった。
しかし感覚として、私の体には三年経っても忘れえない、その存在意識が歴然として残っていた。
だから、その忘れ得ない意識が、今の私の状況として現実に捕らえ得ない第一原因となっているようにも、私には思えた。
そう、いつまでたっても忘れ得ないということ…
でも忘れてしまったこと…
昨日の今日には、実は覚えていたかもしれなかったこともあるのに、今はそれさえも思い出せない。

その前に、昨日という“時”は本当に存在していたの?
もしかしたら、本当は今日しか存在しなく、昨日という記憶を植付けらただけの存在なのかもしれない。
もしかしたら、世の中の人々がすべて私を欺くために存在しているのかもしれない。
もしかしたら、全ては偶然の産物で、私がこうして思い、感じることさえも、偶然なのかもしれない。
もしそうだったら、どれだけ良かったのだろうか。どれだけ、私は幸せだったのだろうか。
くだらない考えだけど、私はそう考えてしまう自分が哀しくて…

『我思う。故に我あり』

この言葉を恨んでいるのは私だけなのかな…





麗奈
「あれ?」

診察を終えた私は、診察室から遠くに見える人影に見覚えを感じた。
あの後ろ姿は…兄さん?

麗奈
「にい…」

私はそこで言葉が途絶えた。


“第三病棟”


行き慣れた病棟だった。
そっか…
私は、それ以上兄さんを追わなかった。
私は、その兄さんの後ろ姿が病人達の人ごみの中に隠れるまで、じっとその場に立ち尽くしていた。
とても一方的な行為だったけれど、私はそうすることしかできなかった。
声をかけたら、多分兄さんは私を誘うだろう。
嬉しいけど、私はそれが怖かった。
逃げているだけ?
でもいいの。
今、私は逃げたいの。
もしそれが幸せなら、私は逃げることを選択したいから。

兄さんが突き当りを曲がると、完全に私の視界から消えた。
私はそれを確認すると、さっきから手をかけたままだったエレベータの下ボタンを押した。






「あ、麗奈ちゃんおかえりー」

家に戻ると、お姉ちゃんはリビングでセンベイを食べながらテレビを眺めているところだった。

麗奈
「ただいま、お姉ちゃん。って、今一人しかいないの?」

辺りを見回しても、キッチンには物音がしないし、階段にはザックが(兄さんは家に帰るとザックを階段に放る癖があるんだよ…困るよね)見当たらなかった。
私はお姉ちゃんにいるリビングに行くと、一緒にソファーに座った。


「真由美さんは今買い物に行っちゃってるし、総人はまだ学校から帰ってきていないみたいなんだよ」

麗奈
「ぬ〜、そうなんだ」

私の背中に、冷汗が流れた。
兄さんは…
私はそのことには敢えて触れなかった。


「そっか、じゃあ総人はもうすぐ帰ってくるね」

…あっ

(そっか、お姉ちゃんは分かっていたんだ…)

お姉ちゃんはこう見えても(お、お姉ちゃんには内緒ね♪)意外と聡明な部分がある。
私のように、叩いても響かないタイプとは違うみたい。
それにお姉ちゃんは良く分かってるから、だからこうした毅然とした態度に出られんだね。


「麗奈ちゃんもコーヒー飲む?」

お姉ちゃんがメーカーで淹れたコーヒーを手にとって、私に差し出してくれた。

麗奈
「あ、うん。じゃあ少しだけ」

 砂糖を入れたコーヒーを飲む人は子供だとよく言われるけれど、私は少しばかり砂糖を入れないと味が引き出されないように感じる。
ま、ダシを入れない味噌汁?例えが悪いけど…あはは


「おいしい?」

麗奈
「うん、なんかいつものと違うの?」

お姉ちゃんはこういった変な部分に凝る(こ、これも内緒だよ♪)傾向があるみたい。


「よく分かったねー♪ちょっといいやつを仕入れてきたんだお〜」

そういえば、お姉ちゃんの趣味といったら、コーヒー収集・釣り・大食い(ぬ〜、絶対にお姉ちゃんに言わないことを約束してね♪)と、見合わないものばかり…
そこがまた面白いんだけどね。


そうそう、そういえばお姉ちゃんに関してちょっと気になることがあったんだ…

麗奈
「ねぇ、お姉ちゃんは卒業したらどうするの?」

お姉ちゃんは今三年生。
学校生活も、あとわずかなんだから、進路も決まっているはずだから。


「うん?わたし?私はもう決まってるお〜」

麗奈
「へぇ〜、そうなんだー。そういえば聞いたときなかったなぁ〜って思ってたんだ〜」

そう、それくらいは聞かなくても分かっていた。
でも、それを認めたくない自分が、そう分からせてくれなかった。
覚悟はしていたけど、ヤッパリ少し私もショックだったのかな…


「でもね、わたしはこの家を出ないんだけどね」

麗奈
「え?」


「私ね、真由美さんのお手伝いをしながら小説家を目指すのっ!」

テレビでは私が毎週欠かさず見ているテレビドラマ。
でも、今の私の耳には雑音にもなっていない。


「実を言うとね…だからなの」

麗奈
「あ、あっ!」

そっか…だからなんだね
だから…か





私はその後、お姉ちゃんの創りかけの小説を見た。
その小説は、とても荒削りだったけれども、そのお話の内容に私は強く引き付けられた。
お話のヒロインはとても幸せそうだった。
ヒロインは笑っていた…
とても嬉しそうに…とても幸せそうに、心から笑っていた…
でも、哀しい…とても哀しいお話だった。





麗奈
「う…ん…」

眠れない夜…
眠らない夜…
私は目を開くたび、寝返りを打った。
辺りを包む空間は静まり返っていた。

私は立ち上がろうとした。
でも、足をつけていなかったから、私はその場に崩れ落ちた。
左手を突いて、私は体を起こす。
冷たい床は、接触している体中を何本も針を刺すかのように、劈いていった。
太腿の真ん中あたりから千切れている私の足。
足の残骸は不恰好に、また哀れに私の腰にくっついているだけだった。
私は左手を使って、いつものように足を装着した。
酷く時間のかかる作業だったけれど、そうすることでしか生活できない私を、私は自分で惨めに思うばかりだった。






冬の星は強く美しく、そして透き通るような輝きを持っていた。
ガラス越しに見える、空を覆う星空。
月の出ていない夜空は、その輝きを映し出す黒のスクリーンとのコントラストが、私を異次元の世界へと誘った。
それは見上げれば、私はずーっと遠くにある星に向かって落ちていくような…そんな感覚さえ覚えさせるものだった。
私はこんなにも醜いのに、どうして星はこんなにも綺麗なの…
星を見上げる私の頬に冷たいものが流れていった。
それはごく自然に意識もしていないものだったけれど、不思議と気持ちのいいものでもあった。
とても陳腐な表現かもしれない。
だけれども私にはそれが最高の、ありったけの表現であった。



麗奈
「さっきから、そこにいたの?」

首だけを斜めに向けて、床の軋む方向に私は意識を集中させた。
外は一面の雪。
今は家の中の音しか聞こえない。

真由美
「つい、さっきからですよ」

明かりは星の明かりだけだったけれども、雪に反射した僅かな煌きは私たちを照らすには十分すぎるほどであった。
ストールを羽織り、すらっとした長身で、誰が見ても綺麗と言わざるを得ない程の美人。
私にはどちらも眩しかった。



真由美
「綺麗な星ね」

麗奈
「うん…」

もう一度私は星を見つめた。
ふと横を向くと、透き通った瞳で空を見上げていた。
このような人が私の母親だったら…私は幸せだったのだろうか。
周りの人は皆、私たちのことを実の親子のようだというけれど…
私たちはつい三年前までは、アカの他人だった。
見ず知らずの人間同士…
今思うと不思議な感じ。
あり得ないことがあるような、そんな意識が私を纏っていた。



麗奈
「ねぇ、どうして私を引き取ってくれたの?」

唐突な質問だったけれど、それはこの場にふさわしい質問なのかもしれない。
一言一言が、静かなリビングへと響き渡る。
星をもっと遠く眺めて、軽くため息をついていた。
何か決心に似た表情。それは私が求めていた表情そのものだった。

真由美
「私の子供に、似ていたからですよ」

麗奈
「えっ?」

今の私の顔はどんな表情を見せているのだろう。
暗く、ぼやけた明るさの中で、私はここに存在していた。

真由美
「もうずっと前に…いなくなった私の生んだ子供ですよ」

真由美
「そっくりだった…」

真由美
「だって、信じられませんでしたもの…」

私の前で語る人はとても幸せそうだった。
笑っていた…
とても嬉しそうに…とても幸せそうに、心から笑っていた…
でも、哀しい…とても哀しいお話だった。

真由美
「麗奈…」

私の目尻を親指で拭いてくれた。
そこにはふっと暖かい…優しい香りがした。
夜は長かった。
私たちが二人で話している間でも、星はずっと輝いていた。
きっとこれからも…
私が生きている間、どのくらい星を眺めているのだろう。
私は、まだこの人の小説を読んだことがない。
ただ、私が望んでいないだけなのかもしれない。
きっと、素晴らしい小説なんだろうなって、私は思う。

麗奈
「ねぇ」

真由美
「どうしたの?麗奈」

麗奈
「これからもずっと…」

もう涙が溢れて星が見えない。
訳もないのに…悲しくもないのに…なぜか涙が止まらなかった。
私は、幸せなのだろうか。
私…

麗奈
「ずっと…私と一緒にいてくれる?」

私の体がぎゅっと締められる。
強くて…優しくて…
嬉しくて…哀しくて…

真由美
「麗奈…」

真由美
「私は、麗奈や総人さん、お姉ちゃんを本当の私の子供だと思ってるわ」

真由美
「麗奈は麗奈の思うことを…思うようにやっていいのよ」

真由美
「私にはそれを見守ることしかできないけれど…」

真由美
「麗奈…あなたは本当に、優しい子だから…」

そっか…
私は、私のやりたいことを…やりたいようにやっていいんだよね…
お姉ちゃんも、そうしているんだもの…
この人は、全部私たちのことを知って…そして私たちを受け入れてくれてるんだから

麗奈
「ねぇ…」

真由美
「なに、麗奈…」

麗奈
「あたたかい…」

麗奈
「あたたかいよ…」

家族の温もり…嬉しかった。
私はずっとこうしていたい。
明日も、明後日も…来年も、再来年も…

麗奈
「おかあ…さん」

私はうまく抱けないけれど、こうしているのが好きになった。
私の頭になにか濡れたものかかかる。
今は顔を見ることができないけれど、お互いボロボロなんだと思う。
きっと私は…幸せなんだ
誰よりも…ずっと幸せなんだ


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