Back/Index/Next
Original Story



後ろ姿


by 高津 沙穂




 僕は、姉の長い髪が好きだった。
 風に吹かれるたびに、揺れる髪の毛は、いつまで見ても飽きなかった。
 僕はいつも姉の後を追いかけて、生きてきた。
 今も、同じ学校に通って、一緒に学校に通っている。
 姉が一人で買い物に行くときは、いつも付いていった。
 僕と姉は、いつも一緒だった。


「お前の姉ちゃん綺麗だよな〜 是非お近づきになりたいっ」

 六月も半ばを過ぎた日の放課後、窓から身を乗り出して、部活でグラウンドを走っていた姉をぼーっと見ていると、不意に声を掛けられた。
 僕の数少ない友人、中川秀典だった。
 中川も、僕の横で身を乗り出して、グラウンドを見下ろす。
 姉を変な目で見られていると思うと、少し腹が立った。

「うちの姉貴なんてガリベンな上に優しくてもなくてさぁ。ほんっとお前が羨ましいよ」

「別に、うちの姉ちゃんも優しくなんてないよ」

「またまたぁ。いつも一緒に登校してんじゃん。仲むつまじいことで」

 背中を強く叩かれて、顔をしかめる。
 全く、落ちたらどうするんだ……
 ここは四階。下はコンクリートだし、多分無事じゃ済まないのに。

 そんなことを思ってると姉が不意に、こちらを見上げた。
 笑顔で、両手で手を振る。

「聡ちゃ〜ん! もうすぐ終わるから待っててね〜!」

 その笑顔に、思わず目を逸らす。
 大きく一回、首を縦に振ると、姉は満足したように微笑み、再び走り出した。

「もうすぐ終わるから待っててね〜 だとさ。
 帰宅部のお前がこんな時間まで何やってるかと思ったら……そういうことだったのか」

 意味ありげな笑みを浮かべる中川の腹を、軽く小突く。
 なんでそんなに、僕をからかいたいのか解らない。

「夕食の買い物の荷物が重くなるから、荷物持ちについてくだけだよ」

「お優しいことですわね〜 聡ちゃ〜ん」

「うっせ〜!」

 先程のお返しとばかりに、僕は強く中川の背中を叩く。
 中川は、不意を付かれたのか、窓から落ちそうになる。
 一瞬、背筋が凍ったが、荒い息を吐きながら床にへたりこみ、窓枠にしがみついている姿を見て、ほっと胸をなで下ろした。

「バカっ 聡っ 死ぬかと思ったじゃないかっ」

「う、うっせ〜 お前が変な事言うからいけないんだろっ」

 僕は大股で、教室を後にした。


 僕は、桜の木の根本に腰を下ろし、姉を待っていた。
 横には、何故か中川もいる。
 さっきから、ぐちぐちと、女の子の魅力について語っている。
 前を通っていく連中に、コイツと同じに思われないか、それが心配だった。

「だからさぁ、女の子で一番いいのは、やっぱりムッチリとした太股だって!
 ブルマからのぞく太股なんて最高じゃないかぁっ」

「うるせーっていってんだろ、それよりなんでこんな所にいるんだよ」

「スカートからちらっとのぞく太股もいいよなぁっ」

「聞いちゃいねぇし」

 僕はため息を付きながら、校門の方に視線を向ける。
 すると、女の子数人のまん中に、姉の姿があった。

「香奈恵様っ そういえば、昨日おいしいケーキ屋さんを見つけたんですっ 一緒に行きませんか?」

「そうしましょう、香奈恵様っ」

 姉は、同じ部活の女の子達に、とても人気がある。
 学校の中で見る姉の周りには、いつもこのように、数人の取り巻きがいるのだ。
 もし、僕が女の子で、同じ部活だったら、彼女と同じ事をしているかもしれない。

「香奈恵様〜だって。俺ら男の肩身が狭いよなぁ」

「別にいいじゃねーか。呼ばれたいんだったらお前ももっと格好良くすれば?」

「そういう問題じゃねぇだろ。でもやっぱいいよなぁ、お前の姉ちゃん」

 そう言ってから、一回頭を小突き、笑いながら走って校門から出ていってしまう。
 僕は、その後ろ姿をにらんでから、立ち上がって姉の前に歩いて行く。

「あ、聡ちゃん〜 お待たせ。じゃ、そういうことだから、みんな、また明日ね」

「え〜 そんなぁ」

 姉の言葉で、一気に取り巻き達が殺気立つ。
 思いっきりにらんでいる子も、中にはいる。
 僕はなるべく目を合わせないように、姉に近づいた。

「じゃあ、聡ちゃん、いきましょっ♪」

「わっ 離せよっ」

 姉がいきなり、僕の腕に、自分の腕を絡めてくる。
 僕は必死にその手を振りほどいた。
 嫌だからじゃない、恥ずかしいから。

「もぉ、聡ちゃんってば恥ずかしがっちゃって〜 可愛いんだから」

「う、うっせー」

「あいつ、また香奈恵様の好意を無駄にしたわよっ」

「わ、私、腕どころか手も繋いで貰えてないのにっ」

 にわかに、後ろの殺気が膨れ上がる。
 身の危険を感じた僕は、姉の手首を掴んで走り出した。

「姉ちゃん、走るぞっ」

「さ、聡ちゃん〜?」

「あ、逃げるわよっ 追え、追うのよっ」

 こんな追いかけっこには、もう慣れている。
 僕、陸上部に入ってもそこそこいけるかも知れないと、思うのだった。


 取り巻き達を振り払い、家の近くのスーパーに寄って、夕食用の食材を買い込む。
 僕は、両手一杯に買い物袋をぶら下げ、姉は、自分用に買った菓子類が入った買い物袋を一つ持って。
 それでも、僕に不満はない。
 姉に、余計な苦労は掛けたくない。

「聡ちゃん、重いでしょ? 一つ持つわよ?」

「重くなんかないよ」

「ん〜 どう見ても重そうなんだけど……」

 流石に、これだけの重さのものを持てば、ふらついてしまう。
 だけど、僕はそれをぐっと押さえて、姉に告げる。

「姉ちゃんだと、すっ転んで中のもん駄目にするかもしれないじゃないか」

「え〜? お姉ちゃんって、そんなに信用無い?」

 淋しそうな目をして、覗き込まれる。
 僕は、この視線に弱い。
 こんな買い物袋なんて放り投げて、抱きしめたくなってしまう。
 でも、それは出来ない。

「ああ、ねーよ」

「あ〜 聡ちゃんって酷いんだ〜 今日の唐揚げ、一個無しね」

 僕は、軽く姉を睨み付ける。
 それを見ると、姉は満面の笑みを浮かべて、僕の頭を撫でる。

「あーん、聡ちゃん拗ねてる〜 か〜わいいっ」

「わっ やめろよっ」

 僕は、必死になって逃げる。
 笑いながらそれを追いかける姉。
 顔では、憮然とした表情を浮かべてるけど、僕、嬉しいんだ。

 と、その時、姉の足がピタリと止まった。
 あまりに急なことに、僕は驚き、姉の顔を見上げた。

「あ、聡ちゃん……? お姉ちゃん、ちょっと用事思い出しちゃった……
 これ、持って帰ってくれない?」

 僕の目の前に、姉の菓子がつまった買い物袋が差し出される。
 僕は、受け取る前に、その用事を聞き出したいと思った。

「なんだよ、用事って」

「あ、うん、ちょっとね。夕食までには戻るから。
 お願いっ。後で一緒にお風呂入ってあげるからさ」

「……バカねぇっ 早くいっちまえっ」

 いきなり、なんてことを言うんだろう。
 僕は、姉の買い物袋を奪い取って、走り出した。
 姉に、赤くなった顔を見られないように。

 後ろからは、姉の笑い声が聞こえてきた。


 それからたっぷり2時間。
 姉はまだ、帰ってきていなかった。
 心配で心配でたまらない。
 出来ることなら、すぐにでも探しに行きたい。
 でも、そんなことが姉に知れたら、何を言われるか解ったもんじゃない。
 僕には、今のソファにでも座って、ただ待つことしかできなかった。

「ただいま〜」

 玄関から、ちょうど姉の声が聞こえてきた。
 一体、二時間も何をしていたんだろう。
 僕は、一言ぐらいは文句を言ってやろうと、振り返った。

「なっ……ね、ねぇ、姉ちゃん!?」

「あ、ごめんね〜 聡ちゃん、重かったでしょ?」

「そ、そんなことはどうだっていいっ 髪っ 髪どうしたんだよっ」

 僕は、衝撃的なものを見てしまった。
 姉の髪の毛が、半分以上無くなっていた。
 いきなりのショートヘアー。
 僕はうろたえるしかなかった。

「夏だしね〜 走るのにも邪魔になっちゃったし、切っちゃったの」

「な、だからって……そ、な……!?」

「そんなにびっくりする〜?
 じゃ、お姉ちゃん着替えるから……覗いちゃ駄目だぞっ」

 姉は、クスクス笑いながら、階段をのぼっていく。
 僕は、いつもの口答えも忘れて、その後ろ姿を見送った。


 僕のショックは、夕食を食べても、宿題をしてても消えなかった。
 あの後、僕は姉に話しかけられても、一切口をきかなかった。
 それほど、僕のショックは大きかったのだ。
 今も、目を閉じれば、姉の長い髪しか目に浮かばないほどに。

 宿題なんて、手に付くはずはなかった。
 机に伏して、なんとか姉のショートヘアー姿をインプットしようとする。
 でも、それは、苦手な数学の公式のように、全く頭の中に入ってくることはなかった。

コンコン……

 部屋のドアが、控えめにノックされた。
 僕は顔を上げて、答える。

「ん、いいよ」

 音を立てずに、ドアが開く。
 外から、姉がひょっこりと顔だけ出していた。
 でも、今日は、その表情が少し沈んでいるようだった。

「聡ちゃん、入っていいかな?」

「え? あ、ああ……いいよ」

 いつも断りなんかはしないのに。
 姉の様子がおかしかった。
 僕は、驚きながらも心配して、姉を部屋の中に入れた。

 姉は真っ直ぐに、僕のベッドまで歩いてきて、腰を下ろす。
 ちょうど、僕が椅子を回転させて後ろを向けば、真正面の位置だ。
 姉に合わせて、僕は姉に向き直った。

「どうしたんだ、姉ちゃん?」

「あのさ……聡ちゃん、髪の毛切ったこと、怒ってるよね?」

 短くなった髪の毛をいじりながら、聞いてくる。
 僕は、首を横に振って答えた。

「そっか……幼稚園の頃、聡ちゃんがお姉ちゃんの髪の毛が好きだって言ってたから、気にしてたんだ」

「んなこと気にするなよ。今はなれてないからだけだって」

「そっか……そうだよね……
 でも、相談せずに切っちゃって、ごめん」

 姉が、ゆっくり頭を下げる。
 淋しそうなその姿は、見ていられなかった。
 僕は少し、視線を逸らす。

 そのまま、僕たちの会話が無くなる。
 僕からは、何も言ってあげることが出来なかった。
 何を言っていいのかすら、解らなかった。

 しばらく経ったあと、姉が口を開いた。
 頭を下げたまま。

「ごめんね、聡ちゃん……
 ショックだったとは思うけど、お姉ちゃんは髪の毛を切っても、聡ちゃんのお姉ちゃんだから……
 明日からも、一緒に学校行こうね」

「あ、ああ、うん、いいよ」

 短く、それだけを言う。
 嫌だ。僕だって嫌だ。
 これくらいのことが原因で、姉と一緒にいられないのが。
 髪の毛ぐらいなんだ。僕は、何をくだらないことにこだわってるんだ。
 自分にそう、心の中で固く言い聞かせた。

「ほんとっ ありがとうっ 聡ちゃんっ 流石お姉ちゃんの弟だわっ」

 そんな考え事をしていた僕に、いきなり姉が抱きついてくる。
 僕は、逃げることも出来ずに、姉に抱かれるがままになってしまった。

「ね、姉ちゃん、く、苦しいっ」

「あん、もう〜 でも拗ねた聡ちゃんも可愛かったっ♪」

 僕の顔に、姉のふくよかな胸の感触がふんだんに伝わってくる。
 僕は、嬉しさと苦しさの狭間にいた。
 でも、それはすぐに終わってしまう。
 姉が笑いながら離れたからだ。
 ゆっくりと歩いていって、ドアを開ける。

 その時、髪の毛の間から、うなじが少し見えた。
 僕は、それを見た途端、胸が高鳴った。
 見とれそうになったが、頭を左右に振って、その目に焼き付いた光景を消す。

 姉はドアを開け、廊下にでてから、再びドアの隙間から顔を出す。
 そして、ニヤニヤしながら僕に言った。

「あ、そっだ。んふふーっ さ・と・る・ちゃ・ん♪」

「なんだよ……」

「美容院行く前に言ったよね、お風呂に一緒に入ってあげるからお願いって。
 お姉ちゃん今から入るんだけど……一緒に入る?」

「なっ……」

「それとも、さっきのお姉ちゃんの胸の感触を思い出して一人でしちゃう?」

「ば、バカねぇっ 早く出ていけっ!」

 ベッドの枕を掴んで、姉の顔を目がけて投げつける。
 姉の顔に当たる前に、それは閉められたドアに当たって、そのまま床に落ちた。

「あはははっ 聡ちゃん恥ずかしがっちゃって♪ かぁわいいっ」

「笑うなっ バカねぇっ!」

 ドアの向こうで、そう笑う姉。
 僕は、閉じられたドアに向かって、今度は本を投げつけたが、届かなかった。

 全く、うちの姉は、なんでこうも僕をからかうんだろう。
 釈然としない気持ちのまま、椅子から降り、ベッドにうつぶせになった。

 深いため息を付いて、目を閉じると、浮かんできたのは、姉のショートヘアーの後ろ姿だった。




Back/Top/Next