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Original Story



この道をあなたと共に歩いていく


by 高津 沙穂




 私には、許嫁がいる。
 三歳年上の、父の会社の取引先の社長の息子。
 許嫁といえば、格好がいいかもしれないが、つまりは、政略結婚なのだ。
 父の会社が、生き残り、相手の会社が、一つの会社を抱え込む為の。
 私は、認めたくなかった。認められるはずもなかった。
 だけど……

「冴子さん、そんな顔ばっかりしていたらだめですよ、せっかくの可愛いお顔が台無しです」

 私の目の前には、いつもの笑顔。
 少し眼鏡がポイントを落としているけど、総合的に見ればかなりの美形。
 もっと言ってしまえば、東大出で頭も良く、水泳でオリンピック候補にかすめたこともあるスポーツ万能。
 背は高いし、会社の社長の息子で、お金だってある。
 全く、文句のつけようのない男の人。
 でも、私はこの人が嫌いだった。

「友人と遊ぶ予定だったのを、いきなり連れてこられて、嬉しがる女が居たら見てみたいですが?」

「すみません、それについては本当に反省します。
 冴子さんの行動を、もっと理解するべきでした」

 痛々しい、泣きそうな顔になって頭を下げる。
 悪い人じゃない。全然悪い人なんかじゃない。
 この人が、政略結婚の相手なんかじゃなかったら、ここまで好かれれば、ころっと行ってしまったかもしれない。
 でも、それは所詮、かなわぬ事。

「もういい、頭あげて。あなたみたいなのにそんな顔されたら、他の女に嫌われそうだし」

「そんなことありませんよ、冴子さんは、とても素晴らしい女性ですから。
 僕などに保証されても、嬉しくないかもしれませんけどね」

「うるさいわね、そんな事言っても許してあげないわよ。 ……で、何?」

「ああ、そうでした。冴子さんに是非ご紹介したいところがありまして」

「ふぅん、で、どこなのよ」

「まあ、そんなに焦らないで下さい。少し、お時間を頂きます。
 さぁ、お姫様、こちらへどうぞ」

 フェラーリの助手席のドアを開け、私を中へと導く。
 一瞬、そのまま走って逃げてやろうかと思ったけど、次に会ったときに、初っ端からあの泣きそうな顔を見るのは嫌だから、大人しく乗った。

「シートベルト、ちゃんと締めて下さいね。
 冴子さんを怪我させたとあっては、僕は死んでも死にきれませんから」

「あーはいはい、乗る前から怪我するとか死ぬとか物騒なこと言わないで、安全運転しなさい」

「かしこまりました、お姫様」

 そういって扉を閉め、運転席に乗り込み、車をゆっくりと走らせる。
 その横顔は真剣そのもので、私は少し、笑えた。


「で、何? 何なのよここは?」

「結城北区の……昇龍区よりのほうですけど?」

「んなこと聞いてんじゃないわよっ」

「では、何を?」

「だから、この建物は何かって聞いているの」

 私が指差した先には、一軒の喫茶店があった。
 少し寂れた感じのそれは、私には似合っているとしても、奴には似合わない。

「喫茶店ですよ。さぁ、入りましょう」

 私の腕を掴んで、歩いていく。
 抗うことも出来ずに、私は引っ張られていく。

カランカラン……

 大きなベルの音が鳴り、喫茶店の中へと入った。
 そこは、他の喫茶店と何ら変わりのない喫茶店。
 違うところといえば、入口の側に、グラウンドピアノがある事だろうか。

「あちらの窓際の席に座っていて下さい。私はマスターと少しお話しして来ますので」

「ちょ、ちょっと待ちなさいっ」

「お紅茶とケーキはすぐに持って来させますので」

 頭を下げて、足早に店の奥へと入っていく。
 私は釈然としなかったけど、とにかく言われた席に座った。
 そこには既におしぼりとお冷やが用意されていた。
 私は軽く手を拭いて、あいつが帰ってくるのを待つ。

 だけど、一向に戻っては来なかった。
 一体、待たせて何をやっているんだろう。
 いい加減待ちくたびれて、帰ってやろうかと思ったときに、目の前にティーカップが置かれた。

「お待たせいたしました」

「あ、はい」

 次いで、ショートケーキが目の前に置かれる。
 私は持ってきた初老の人に軽く頭を下げた。

「それでは、ごゆっくり」

 とりあえず、私はこれを食べることにした。
 食べていれば、帰ってくるかもしれないし。
 まず、ティーカップを持ち、口に運んだ。
 紅茶の豊かな香りが、ふわっと広がる。

「うわぁ……」

 私がいつも飲んでいる、ティーバッグの紅茶とは全く違う香りに、思わず声が出てしまう。
 これは、こっちのケーキも期待出来そう……
 フォークで切り分けて、小さい欠片を口に運ぶ。
 その瞬間、口の中にぱぁっと甘さが広がった。

「あ、美味しい……」

 今までのしかめっ面から、一気に笑顔に変わっていくのが、自分でも解る。
 それぐらい、美味しかった。
 次々と平らげていってしまう。

「お待たせしました、お姫様」

 向かい側の席に、あいつが座る。
 にこにこした顔を、机の上に肘を立て、指を組んだ上に乗せ、私をじっと見つめている。
 私はそれを無視して、ケーキをあっと言う間に平らげ、紅茶も飲み干してしまった。

「美味しかったですか? お姫様」

「うん、美味しいわ……これ作ったの、さっきのおじいさんかしら?」

「おじいさんというのは少し失礼でしょう……彼はまだ50歳なのですから」

「へぇ、そうなんだ……で、なんでここに連れてきたのかしら?」

「いえ、冴子さんのその笑顔を見たいが為です。
 こうしていると、吸い込まれてしまいそうです……そのまばゆいまでの笑顔に」

 その思いっきりくさい科白に、私は赤面してしまう。
 視線を逸らして、とりあえず文句を言う。

「馬鹿な事言わないで。で、私に奢りたかったの? 結局」

「いえ、違います」

 そういってから、あいつは店の中をぐるっと見渡した。
 そして、立ち上がり、私の手を取り、優しく立たせる。
 先程の笑顔から、一転して真面目な表情に、変わった。

「このケーキを作ったのも、紅茶を煎れたのも私です」

「へっ……? そ、そうなの? あなたにしては良くできているじゃない」

「私は、家は継ぎません。私の夢は、小さな喫茶店を持って、そこでお客様に美味しいケーキを振る舞うことです。
 まだ、父には話していませんが、将来は絶対ここで働きます」

「って、あなた何言ってるの? そんなこと絶対あなたのお父さんが許すわけ……」

「無いでしょうね、でも説得します。なぜなら、ここが僕の夢なのですから」

 嬉しそうに喫茶店の中を見回すあいつ。
 その横顔に、何故かドキっと来てしまった。

「ですから、私は冴子さんを、親に言われて仕方なく付き合っているのではありません。
 私が冴子さんを追いかけているのは、父の合併話には関係ないのです。
 ただ、純粋に……」

 そこまで言ってから、もう一度私に真面目な視線を向ける。
 その先が予測できてしまい、私は胸を高鳴らせてしまう。
 今までに言われたことより、遥かに重みの増す一言を受け止めるために。

「あなたのことを愛してしまったからです。
 今の私には、あなたが必要です。あなた無しでは、この夢は達成できないと思っています。
 お願いします。どうか、私の夢に付いてきてはくれないでしょうか」

 その言葉に、私は頭を殴られたような衝撃を心に受けた。
 こいつ……ううん、賢治さんは真面目に将来のことを考えている。
 なのに私はどうだろう?
 賢治さんのことを、政略結婚だと、汚らわしい目で見てばかりで、嫌なことばかりしかしてこなかったではないか。
 賢治さんのことを、理解しようとなど、少しもしなかったではないか。
 賢治さんは、私のことを理解しようと、必死になってくれたのに。

 私は、賢治さんのことを、もっと理解したかった。
 そして、その為には……

「……はい、私で良かったら」


 数年後、二人が正式に付き合うきっかけになった喫茶店のカウンターの中に、二人の姿はあった。

 あの後、二人の会社は正式に合併し、一つの会社となった。
 その後で、二人は互いの家を出ることを決めたのだ。
 親たちの猛反発を押し切り、勘当同然となってしまったが、今は幸せに暮らしている。
 店は、小さいながらも、味の良さでそこそこの客入りは保てているようだ。

「ごめんね、冴子さん、苦労を掛けて」

 今の賢治の口癖はこれだった。
 そして、冴子の口癖は。

「いいえ……私、後悔してません。あなたの夢の道を、一緒に歩いていくと決めたのですから……」




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