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Saho Takatsu Original Novel



Eternal Wind


第一話

「Nocturne」

by 高津沙穂





 私は、生きていてはいけないのかも知れない。

 自分の意志に関係なく、倒れてしまったあの日から、全てが変わってしまった。
 仲の良かったお姉ちゃんは、私を哀れみの表情で見るようになっていた。
 お父さんとお母さんは、私を見るとため息を付く。

 ただただ、終末を迎えることを、待つだけの毎日……
 憂鬱だけが支配する毎日……

 もう、耐えられない……
 医者から告げられた、運命の日まで、もう25日を切ったその日……
 私は、ある一つの選択を、やっとの事で決心した。

 希望も、絶望に変わり果てているから……
 奇跡なんて、起こるはずなんて無いから……

 ベッドから降りて、手早く寝間着から、外出着に着替える。
 寒さ対策用の、ストールを身に纏って……
 私は、家から出ていく。

 家の前にある並木道を抜けて、何回か角を曲がると、あまり大きくない、商店街が見えてくる。
 とても小さな、昔風の商店街だけど。
 文房具さえあれば、それで満足なんだから、これで、いい。

 大きなスーパーに入って、ゆっくり見て回る。
 私の、最後になる買い物……
 取り敢えず、買える分だけ、自分の好きなお菓子と、雑誌類を買う。
 最後だけは……自分の好きな物を食べたいし、読みたいから……

 そして、レジを通る前に、文房具のコーナーに寄る。
 黄色い、どこでも売っているカッター……
 取る時に、少し緊張してから……買い物かごの中に入れた。
 他の文房具も入れて、極力怪しまれないように……

 スーパーを出て、辺りを見回す。
 太陽は、それなりに西に傾いてしまっていた。
 来た道を、同じように戻っていく。

 恐くなんて無い……
 これさえあれば……
 私はまた、自由に翼を羽ばたかせられる……

 私の生きる場所ではなかった、此処でない世界へ……
 歩いて行きさえすれば……

 いろんな事が頭をよぎる。
 でも、不思議と、これから先のことばっかりを想って、過去の事なんて思い出せなかった……

 あれっ?
 おかしいな……

 いつもと違う風景……
 考え込んでいる内に、いつしか家とは別の方向の道を歩いていたみたい……

 ここ、どこなのかな……
 迷子なんかになっちゃったら、格好悪すぎる……

  ポンポン……ポンポン……ポロロロロン……ポンポン……

 あっ……
 綺麗なピアノの音……

 私の耳に、ピアノの音が微かに聞こえてきた。
 それは、最初は小さかったけど、歩いて行くに連れて、どんどん大きくなって行く。

ポンポン……ポンポロロロン…………ポンポ……

 あれっ?

 突然止まってしまった音に、私は調子が狂ったように転び掛ける。

 うう……
 今時、どこのコメディ番組を見ても、こんな事はやらないよね……

 低い垣根の家……
 多分ここが、ピアノが聞こえてきた場所……
 ちらっとだけ、横を向いて、家の中を見てみることにした。
 最後になるかも知れない音楽を、弾いていた人を、もしかして見られるかも知れないから……

 横を向くと、そこは結構大きな家だった。
 庭中に、青々と萌える、芝生が貼ってある。
 冬にも、萌える芝があるって言うことは……結構お金持ちの家なのかも知れない。

 そして、家の方を見ると……大きい窓。
 そこに……一人の男の人が立っていた。

 頼りなさそうな顔。
 でも、不思議と、優しさを感じられるような顔……
 安らぎを与えてくれるような顔……

 その人は、黒いコートと、背広を着て……
 眼鏡をかけていて……
 髪の毛は、少しぼさぼさだけど……
 私の方を、見て立っていた。
 必然的に、目と目が合ってしまう。

「やあ、こんにちは……人の家を覗き見とは余り感心しないですね」

 その男の人は、私に声を掛けてきた。
 窓は、思いっきり開いていたみたい……

 どうしようかな……
 答えようかな……
 それとも、目を逸らしてそのまま通り過ぎようかな……

 私の中で、わずかな時間、葛藤が起きる。

「もしかして……僕のピアノ、聞こえていたんですか?」

 そうか……
 この人が、さっきのピアノの曲をを弾いていた人なのね……

 私は、ゆっくりと頷き、そして、立ち止まった。

「いやぁ……お恥ずかしい……」

「いえ……すっごく、綺麗な曲でした。誰の曲なんですか?」

「いやぁ、お恥ずかしい……」

 男の人は、照れたのか、頭を掻き、眼鏡を少し上に上げた。
 それから、満面の笑顔で、こう言う。

「良かったら……上がっていきませんか?
 お茶ぐらいは、御馳走しますよ」

「えっ……でも……」

「ちゃんと両親在宅ですから……問題ないですよ。
 それに……キミとお話がしたいんです」

「お話……ですか?」

「愚痴程度、ですがね……この老体のお話、聞いてやってはくれませんかね?」

 老体、とか言ってるけど、この人は、多分20歳を過ぎているか、過ぎていないかぐらい。
 よっぽど、私のことを、子供と思っているか。
 それとも、自分が自分のことをそう思っているだけなのか……

 取り敢えず、私は、お誘いに乗ることにした。
 ここで時間を潰しても、どうせ今日中には別れるんだし、それに、帰り道も聞かないといけない。
 最後に、人の悩みを聞いて上げて、すっきりさせてあげるのも、いいのかもしれない。

 私は、教えられたとおり、門を開けて庭に入り、玄関へと回る。

ピンポーン

 呼び鈴を押すと、すぐに男の人は出てきた。

 案内されるままに、家の中を進み、さっき、男の人が立っていた部屋へと辿り着く。
 窓が開いてたから、寒いかと思っていたけど、もう、窓は閉まっていて、少し、部屋の中に冷気が感じられるぐらいだった。

 部屋の中を見回す。
 一番目に付くのは、やっぱりグランドピアノ。
 さっきまで弾いていたのは、鍵盤のところが開いていて、蓋の所も開いているから……解る。
 ピアノの足下に置かれているストーブには、煌々と火が入っていた。
 多分、これで寒さをしのいで、窓を開けてピアノを弾いていたんだろう。

 他に、大きなテーブルや、テレビとか、普通の家の居間に置いてあるような物が、ある。
 だけど、部屋自体が大きいから……物が無くて、淋しいようにも見えた。

「今、紅茶を入れてきますから、その椅子に座って待っていてくれませんかね」

「あ、はい」

「何か、葉の好みはあるかな?」

「え、いえ……特にないです」

「そう。じゃあ、まっていてくださいね」

 男の人は、笑顔で答えて、部屋から出ていった。

 改めて、ピアノを見る。
 ピアノは、一見新しい様に見えたけど、所々傷があって、かなり使い込まれているのが解った。
 大事にお手入れをしてあるから、恐らく綺麗に見えるんだろうな……
 男の人の性格が、少し解ったかもしれない。

 そこで、ふっと楽譜が置いてあるのを見てしまった。
 さっき弾いていたのは、この曲なんだろうか?
 でも、ピアノピースとかじゃなくて、普通の五線譜だった。
 そこには、綺麗な記号で、音符が刻まれている。
 そしてそれは、曲が終わる記号を付けないまま、恐らく途中で、終わっていた。

「いやぁ、見られてしまいましたか」

 男の人の声で、ふっと我に返った。

「ご、ごめんなさい……勝手に見ちゃったりして……」

「いやぁ、いいんですよ。本当に見られたくない物だったら、キミが家に入ってくる前に隠しますからね」

 この男の人は、絶対笑顔を絶やさないな……
 すっごく幸せな人なんだろうか。
 愚痴とか言いつつ、お惚気話とか聞かされるのかな……

 手に持っていたトレイから、カップとソーサを持って、私と、反対側に座る男の人の前に並べる。
 ポットや、角砂糖や、ミルク、レモンなども、側に置かれた。

「どうぞ。遠慮無く召し上がって下さい」

「あ、はい……」

 ポットから紅茶を注いで貰った後、砂糖を適当に入れ、ミルクを注いで、一口飲んでみる。
 口の中にふわっと、紅茶の香りが広がった。
 とってもいい香りに、私は酔ったように顔を赤らめて、うっとりとなる。

「いい薫りでしょ。僕はこれが一番好きなんです」

「そうですね……こんな紅茶、初めてです」

「あっ……そうそう。僕は、藤岡志郎という……まあ、しがない大学生です」

「あっ……私は河内澪……高校生……です」

「そうか。よろしくおねがいしますね」

「あ、はい」

 差し出された手を、反射的に握ってしまう。

 少しごつごつとした指先……
 ピアノで出来たのかな、これ……
 だとしたら、すっごく練習しているのかな……

「さっそくですが、僕の愚痴なのですが……」

「聞けるだけ、になるかも知れませんけど」

「それで十分です」

 志郎さんは、ぐいっと紅茶を飲み干すと、ゆっくりとピアノに近寄った。
 そして、おもむろに座ると、先程まで外で聞こえていた、あの曲を弾き始めた。

 しばらく、綺麗なメロディに浸っていたけど……不意に、曲は途切れてしまった。
 外で、演奏が途中できれてしまった、その時と全く同じ所で。

「お恥ずかしながら、この曲を書いたのは、僕なんですよ」

「すっごく、綺麗な曲だと思います……凄いですね。こんな曲が書けるだなんて」

「でも、お聞きの通り……途中までしかできていないんですよ……
 31日には、音楽祭に出ないといけないのに、ね」

 始めてみた、志郎さんの困った顔……
 同時に、焦りの色も伺える。
 私自身、創作活動は、したことがないから、それがどんなに苦しいのか解らないんだけど……
 想像で、なんとか、苦しさを解ろうとはする。

 ちなみに、音楽祭というのは、この市で一年に一度行われる、いろいろな楽器演奏者による祭典。
 確か今年は、今までの歴史で初めて、全国区で放映されるんだったっけ……

「音楽祭までに、出来ないといけない理由はあるんですか?」

「実は僕、これを機に、プロに転向しようかと考えて居るんですよ……
 だから、観衆には、強烈なイメージを残しておきたい。そう思ってね」

「そう……ですね。多分、この曲なら、誰もが絶賛すると……思います」

「そう、思ってくれるんですか? 嬉しいですね」

 志郎さんの表情が、笑顔に戻る。
 やっぱり、この人にはこの顔が、一番似合っているな……

「実はね……キミを見た瞬間、何かを感じたんです」

「何を、ですか?」

「曲のイメージが、沸いてきそうだったんですよね。実際に、今なら、数小節なら先へ進める」

 楽譜の下に置いてあった鉛筆を持って、五線譜にすらすらと符号を書き込み始めた。
 先程より、ほんの3小節ほどだったけど、楽譜は先に、進んでいた。

「キミにね、お願いがあるんです」

「……なんですか?」

「日曜日だけでもいい……僕の所に、顔ぐらい出してくれないかな?」

「どうしてですか?」

「イメージが沸くような気がするんだ。僕の勝手で済まないけど、ね」

 私は、しばらくの間、考える……
 何のために、私は今日、街に出たのか。
 それは、ちゃんと覚えている……
 だから、迷っている。

 志郎さんの申し出を断ることだって、恐らく、出来る。
 一言、「ごめんなさい」といえば済むこと。
 でも、志郎さんは今、私を必要としている。

 病気になってから、一回も、誰かに必要とされることなんて無かった。
 逆に、助けを借りないと、ここまで生きてこられなかった。

 やはり、志郎さんの役に立つことが正解なのだろうか?
 1月いっぱいだったら、まだ私は、生き延びていることが出来る。

 死ぬ前の最後の想い出に……
 偶然知り合った人の、人生の門出に立ち会うのもいいんじゃないかな……

 それに、完成したこの曲も聴いてみたい……

 志郎さんの優しさに、触れ続けていたい……
 今は、淋しすぎるから……

 って、最後のは関係ない……
 取り敢えず……

「私、学校に行ってませんし……毎日でも、来ますよ。志郎さんの都合さえ、よければ」

「学校に行ってないって?」

「学校は、お休みしていますから」

 志郎さんは、一瞬怪訝な表情を見せたけど、それ以上、あえて突っ込んでは来なかった。
 そこら辺が、彼の、「優しさ」というものなのかも知れない。
 今の私にとって、それは、心地よい物に他ならなかった。

「じゃあ、頼んでいいかな。一日置きでいいですから」

「あ、はい。いつでもいいですよ」

「今度は……明後日、かな」

「解りました……じゃあ、ここの家がどこにあるか、地図かなんかあったら……」

「あ、ちょっとまっていてくださいね」

 志郎さんは、楽譜の束の後ろから、何も書かれていない物を取り出し、すらすらと何かを書き始めた。

「駅からの地図でいいかな?」

「あ、はい」

「じゃあ……汚いけど、これで勘弁してくれないかな」

 志郎さんが描いてくれた地図は、とても綺麗で、見やすかった。
 恐らく、迷うことなく、ここに来られるんじゃないかな、と思う。
 そして、家までも帰られると……

「解りました。じゃあ、明後日……」

「ありがとう。すみませんね、僕のためなんかに」

「いいえ……いいんです」

 席を立ち、志郎さんに案内されるまま、さっき通ってきた廊下を、逆に戻っていく。
 その後は、志郎さんに、見送って貰って、家へと帰る。

 家に着くと、買ってきた物の中身は、手を付けずに、部屋の隅に放って置いた。
 カッターだけは、そのまままっすぐ、危険物のゴミ捨て場にそっと捨てて……




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