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Original Story



一目惚れ


by 高津 沙穂




「ねね、お姉ちゃん、買い物行こうか?」

 電話口から戻ってきた花井浩子は、台所に走り、そこで料理の本を広げ考えている、姉の花井良子に声を掛けた。
 良子は、料理の本から顔を上げ、何事かという風に浩子を見る。

「いいでしょ? さっきの電話、お母さんからだったんだけどさ、帰ってくるの明日なんだって。
 だからさ、明日御馳走にしようよ、ね?」

「あら、そうだったの……そうね、お母さんと会うのも久しぶりだし……御馳走にしようかしら……」

 二人の母親は、海外に赴任している父親の元に、数ヶ月間出かけている。
 帰る日を伝えておかなかったらしく、突然のことに二人とも喜んでいるのだ。

「やったっ 御馳走、いぇいっ♪」

 浩子は、かなり嬉しかったのか、その場で跳ねて喜びをあらわしている。
 それを見て、良子は微笑みながら、買い物かごをもち、戸棚の引き出しから財布をとりだした。

「そうと決まれば、すぐに行くわよ……浩子ちゃん、勉強あるでしょう?」

「そうなの〜 また宿題どっさり よしぞーに目付けられてるからさぁ」

 よしぞーとは、結城学園の化学の教師、緒方吉造である。
 成績の悪い生徒には、かなりの量の宿題を出すことで有名なのだ。
 セクハラをされる女性ともかなり居るということでも有名だが。  良子も、結城学園出身で、浩子と同じように緒方吉造に教えられていたので、その辺りのことはよく解っている。
 良子は、成績は優秀であったために、宿題など出されたためしはなかったが。

「がんばってね、浩子ちゃん。分からないところがあったら、教えてあげるわ」

 落ち込んでいる浩子の背中を、軽くポンッと叩いてから、ゆっくりと良子は、廊下を歩いて行く。
 浩子も、その後を小走りに追った。

「でさ、お姉ちゃん、なんの御馳走にするの?」

「そうね……すき焼きなんてどうかしら……」

「すき焼き! 松坂牛!」

「そんなお金無いわ……仕方がないけど、オーストラリア産のね」

 家から商店街へと続く道を、良子はゆっくり、浩子はその良子の周りを跳ねるように歩いている。
 もし、浩子の背がもっと低ければ、若い母親と娘に見えたかも知れない。

 しかし、ここは公道。
 あまりはしゃいでいると、事故の原因にもなりかねない。
 それが十分に分かっている良子は、浩子をたしなめようと頭だけを後ろに向ける。

「ダメよ、浩子ちゃん。事故になったりしたら迷惑でしょう?」

「えへへ、ごめんなさい……あ」

 舌をぺろりと出して謝っていた浩子だが、良子の前方を指さして固まる。
 良子は、何事かと、頭を元に戻した。

「きゃっ……」

 頭が前を向くより前に、良子の体が固い物にぶつかる。
 思いがけない衝撃を受けて、良子は後ろへと倒れる。

「おっと」

 だが、良子の体が、地面に叩きつけられることはなかった。
 ぶつかった物体 ─── 二人組の男の一方 ─── に、素早く抱き留められたからだ。

「あ、ご、ごめんなさいっ」

 浩子は、何度も何度も頭を下げて謝る。
 だが、男達から帰ってきたのは、浩子にとって驚きの一言だった。

「お、浩子じゃん、なぁにやってんの?」

「うわ、陽次! 今謝ったのは陽次向けじゃないからね」

「なぁんだよそれ……で、これ誰?」

 浩子の同じクラスの友人である木村陽次は、良子を指さして言う。
 良子は未だ、ぶつかった男に抱かれたまま、ぼーっとその男を見ていた。

「あ、ちなみにこれ、俺の兄貴、陽一」

「あ、これ、うちのお姉ちゃん、良子……って、なに変な自己紹介してんのよ。
 お姉ちゃん? お姉ちゃんってば!」

 浩子が何度呼びかけても、良子はそのままぼーっとしている。
 まるで、その状況に酔っているかのように。

 陽一は、埒があかないと思ったのか、とにかく良子を立たせる。
 だが、次の瞬間、良子はいきなり歩き出し、三人から離れていった。

「ちょ、ちょっと、お姉ちゃん!?」

「あー 浩子とは違って美人のおねーさーん」

「ちょっと、なによそれっ」

 いきなり始まった喧嘩を後目に、良子はどんどん走っていってしまう。
 三人は追いかけもせずに、その場で喧嘩を続けていた。


「でさ、どう考えてもうちのお姉ちゃんおかしくなかった?」

「そうだよな、なんかにとりつかれたみたいだった」

「うん、普段はあんな事、全然ないんだけどね」

「まあ、美人だし優しそうだしなぁ。珍しいこった」

 良子と陽一の衝突からきっかり一時間後、浩子と陽次は喫茶店にいた。
 あの後、陽一を帰し、二人で良子について話しているのだ。

「何がお姉ちゃんをああしたんだろ……」

「兄貴とぶつかる前にもああだったのか?」

「そんなこと無い……ぶつかってからかな」

「じゃあ、ぶつかってからああなったってことか」

 二人は頭を抱えて考え込む。
 だが、すぐに浩子の頭の中には、答えが浮かび上がった。
 その場に立ち上がり、手を叩いて叫ぶ。

「あーっ そうだ!」

「何だよ静かにしろよ……」

「何いってるのよ、分かったのよ!」

 浩子はその場に再び座り、言葉を繋いだ。

「お姉ちゃん、恋に落ちたのよ、あんたのお兄さんと」

「はぁ? まじかよ、それ」

「絶対そうよ、間違いない。お姉ちゃん純真だから、抱き留められちゃって、ころっと」

「ふぅん、そっか……」

 陽次は、顎に手を置いて考える。

「あんな美人な姉ちゃんが出来るなら、考えちゃうかな」

「まあ、結婚すると私まであんたのお姉ちゃんなんだけど……」

「げっ」

「げってなによ、げって」

「わっ やめろっ 水は掛けるなっ!」

 コップの水を今にも掛けそうな体制になっている浩子を、なんとか押しとどめる。

「とにかく、いつも家に篭もってて男と知り合うチャンスなんて無いんだから、うちの姉ちゃんは。
 だから、このままだと行かず後家になっちゃうし……
 なんとか応援してあげたいんだけど……あんた、協力してくれる?」

「協力? 何すればいいんだよ?」

「そうね……来週の日曜日でも、Wデート作戦よ!
 私たち姉妹と、あんたたち兄弟4人でデート。
 二人が上手く行くように私たちでサポートして」

「そう上手く行くわけ無いと思うけどな〜
 でも、あの兄貴にも女の気配なんて無いし……いい機会かもしれんな」

「でしょ、でしょ? んじゃそう言うことで。私お姉ちゃんを説得してくるから」

 そのまま立ち上がり、走って喫茶店から出ていく。
 その後ろ姿を見送りながら、陽次は、良子が自分の姉になった光景を想像する。
 にやけそうになったその時、ある重大なことに気が付き、陽次は絶叫することになる。

「あ、あいつ、金払ってねぇ!」


「ただいま〜」

 浩子が家に帰ると、良子は既に帰宅していた。
 どこにいるのか一瞬考えたが、とりあえず台所に向かうことにする。

「あ、お姉ちゃん、帰ってたんだ」

 台所にはいると、椅子に腰掛け、料理の本を広げてぼーっとしている良子の姿があった。
 浩子はすぐに声を掛けるが、良子の返事はない。

「お姉ちゃん?」

 明らかに妄想の世界にふけっているように見える。
 それほどまでに陽一のことを気に入ったのかと、浩子は作戦の成功を確信して近づく。

「お姉ちゃんさ、あの人のこと気に入ったんでしょ?
 あのかたっぽのほうさ、私の友達なんだけど……
 来週の日曜日、お姉ちゃん開いてるでしょ?
 四人でどっか遊びに行かない? ね? いいでしょ?」

 良子は、そう言われると、頭を押さえて、何かを考え始めた。
 これはいける、と踏んだ浩子は、さらにたたみかける。

「ほら、お姉ちゃんもさ、そろそろ結婚とか考えてもいい頃じゃない?
 そう思って無くてもさ、私がもう片一方の方ともっと仲良くなるきっかけになるとでも思って貰えれば。
 ね、いいしょ? 日曜日の夜は、私がお風呂とかやるから」

 浩子は暫く、良子の答えを待つことにした。
 良子の考えを邪魔しないようにという、浩子なりの配慮だった。
 そして、良子は少し経った後に、両手を顔の前でぽんと合わせて笑顔を見せた。

「よし、決まりだわ」

「あ、よかった〜 断られたらどうしようかと思った。
 ふふふ、大丈夫、私たちがなんとかするからお姉ちゃんは……お姉ちゃん?」

 喜んだのもつかの間、浩子は予想外の良子の行動に驚くことになる。
 浩子の話も聞かずに、近くに置いてあった買い物かごから、一時間の間に買ってきたらしい物を、冷蔵庫に詰め始める。

「あ、お姉ちゃん……? ど、どうしたの?」

「ん? あら、浩子ちゃん、帰ってきてたの……おかえりなさい」

「へっ……お姉ちゃん……? もしかしてさっきの聞いてなかったりした?」

「さっきの……?」

 良子は、顎に手を置いて少し考えてから、頭を下げた。

「ごめんなさい、良く覚えてないわ……さっきからずっと、明日の御馳走のことを考えてたから……」

「へっ……?」

「あのね、今日人にぶつかっちゃったでしょ。その時にね、思ったの。
 お母さんがすき焼きの時に入れてた隠し味って、何だったのかしらって。
 でも、おばあちゃん特製のお醤油を入れてみることに決めたわ」

 良子は、嬉しそうに微笑んで、買ってきた物を冷蔵庫に詰めていく。
 それを、浩子は呆然と見つめた。

「って……お姉ちゃん……あの人にぶつかってそれを考えてたの?」

「そうよ? それ以外に何かあるかしら……?
 あ、そうそう、あの人に謝りそびれちゃったわね……今度改めてお詫びに伺いたいわね」

「ははははは……なんでもないです……」

 浩子は、脱力して、台所から出ていく。
 予想外の姉の行動に、なにもする気力も湧かなかった。
 ふらふらと自分の部屋に戻り、ベッドに突っ伏す。

 数十分後、花井家に電話が掛かってきた。
 キッチンから、手が放せないから電話に出られないから、代わりに出てと言われ、浩子は何気なく受話器を取る。

「もしもし、花井ですが……」

「あ、浩子? 俺、陽次。
 兄貴、すっげぇ乗り気でさ、全然オッケーだって。そっちは?」

 浩子は、その陽次の言葉に、何もいうことが出来なかった。
 ただ、目の前が真っ白になり……浩子は、何も言わずに受話器を下ろし、電話線を抜く。

 そして、明日は学校を休もうと思うのであった。




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