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With You



比翼の雛鳥




始業式

by 高津 沙穂




 乃絵美が、少年を偶然見つけてから、秋が過ぎ、冬が過ぎ、桜咲く春になった。
 今日は、乃絵美は始業式だ。
 ついこの前まで、乃絵美の周りには、上級生しか居なかったが、数日後には、確実に後輩が出来ることとなる。

 後輩が出来ると言うことは、つまり、乃絵美は、上級生になるシチュエーションも出来ると言うことだ。
 もしかしたら、図書委員にもっと人数が集まり、自分が毎日のように、図書室にいることが出来なくなってしまうかも知れない。
 乃絵美は、それを少し、淋しく思っていた。

 大好きな場所から、離れなければならないから淋しい、と言ったことだけではない。
 初めて見かけた日から、毎日のように見つめていた少年の練習を、見かけられなくなる事も、乃絵美の心の淋しさを、 より一層高める一因になっていた。

 もう、少年は、三回に二回はサービスが入るまでに、上達していた。
 後少しすれば、もっとサービスの精度が上昇するに違いはなかった。

 対して、自分はあの日からさほど変わっていないな、と、乃絵美は思っていた。
 思えば思うほど、少年がどんどんと羨ましくなっていく。
 少年が、何故あれほどまでに上達するか、方法を知りたくなる。
 少年自身に、どんどん興味が沸いてくる。

 本当のことを言えば、乃絵美も日々確実に、ピアノが上達していっているのだが、それ以上に、 自分自身に課す目標を高くしていっているために、自分では上達していないように思えているだけなのだが。

 あの人は、上手くなっていっているのに、どうして私は……
 そんなことを思いながら、学校への道のりを歩いて行く。
 知り合いに会うことなく、程なく校門にさしかかった。
 すると、校門を入ったすぐの場所に、沢山の生徒が人だかりを作っているのが目に入った。
 それを不思議に思い、その原因を探ろうと、近くに寄ってみる。
 そこでは、数人の教師が、生徒達にプリントを配っていた。

「あ、そうか……クラス替えするんだもんね……」

 乃絵美はそう呟いて、列の一番後ろに付いた。
 しばらくして、自分の番が回ってきて、プリントを受け取る。

「えっと……私のクラスは……」

 二年生のクラスを、最初から順番に、自分の名前を探していく。
 だが、真っ先に一番最初のクラスに、自分の名前を見つけた。

 お兄ちゃんが居たクラスとは違うのか……
 去年まで、正樹が過ごしていたクラスとは違うクラスになってしまったことに、乃絵美はがっかりする。
 同じだからと言って、そこに正樹が居るわけではないのだが、そう言うことを真っ先に考えてしまうのは、 それだけ正樹のことを、慕っている証拠なのかも知れない。

 その次に、友人がどのクラスにいるか探してみる。
 乃絵美の期待とは裏腹に、自分のクラスには、友人は一人しか居なかった。

 私、ひょっとして全然運がないのかも……
 そう考えながら、新しいクラスへと歩いて行く。
 その途中、無意識にテニスコートが見渡せる渡り廊下にさしかかった。
 そして、さも当然のように、外を見る。

 居るわけ……無いよね……
 案の定、そこに少年が居ることはなかった。

 あの人、どこのクラスになったんだろう……
 それより、何年生なのかな……
 もしかして、卒業してたりしたら……
 乃絵美は、頭の中を少年でいっぱいにしながら、廊下を歩いて行く。

 だが、あるクラスの出入り口の前を通り過ぎるときに、クラスの中から、男が飛び出してきた。

 どんっ

「きゃあっ」

 どこかで見たようなシチュエーションだが、今回は少し違っていた。
 激しくぶつかったためか、乃絵美は、そのまま廊下に倒れ込んでしまったのだ。

「だ、大丈夫? 乃絵美さん」

 ぶつかってきた男は、そう言ってから、手を差しだしてくる。

「あ、はい……ごめんなさい、ぼーっとしてて……」

「俺の方こそ、回りも見ないで飛び出しちゃって……ごめん」

 男の手を取って、乃絵美は立ち上がる。
 手を離した瞬間、相手の顔に視線が移った。
 その瞬間、乃絵美の視線は、その男の顔に釘付けになった。

「の、乃絵美さん……? どうかしたの? まさか、頭でも……」

 男が心配して、ぼーっとしている乃絵美の顔をのぞき込む。
 乃絵美は、それにとっさに気が付き、顔を真っ赤にして飛び退いた。

「ご、ごめんなさいっ」

「大丈夫?」

「あの、その……大丈夫……」

「そう、よかった…… じゃあね、乃絵美さん」

 男は、軽く手を振ってから、廊下を走っていく。
 その後ろ姿を見送ってから、乃絵美は胸に手を当てて、大きくため息を付いた。

「あの人だ……手、大きかったな……」

 どうやら、ぶつかった男は、テニスコートの少年だったらしい。
 握った手に残った温もりを、制服越しに感じながら、ぼーっとたたずむ。

 キーンコーンカーンコーン

 だが、それもすぐになったチャイムで、すぐに現実に呼び戻される。
 乃絵美は、焦って走り出した。

 自分のクラスは、程なく見付かった。
 クラスにはいると、既にほとんどの生徒が着席していた。
 乃絵美を見かけた友人が、乃絵美に手を振る。
 乃絵美は、手を振り替えしながら、友人がいる位置から、恐らくこれは出席番号順に席が決まっていると考え、 窓際の前から二番目の席に座る。

 すぐに教師が入って来た。
 乃絵美の記憶では、その教師は町田という名前で、やる気が無さそうな発言をすることで有名な教師だった。
 担当はたしか、国語だったか。

「おはよう。じゃあ出席を採るが……遠藤と藤尾だな、居ないのは。
 初日から悠長なやっちゃなぁ……」

 そう呟きながら、出席簿に印を付けていく。

「そういえばクラス分けが決まった時点で、既にクラス委員は決定してある。
 まだ始業式まで時間があるから、さっさと席替えするぞ。
 後でやるのも面倒くさいしな」

 町田は、ゆっくりとクラス全体を見回す。
 誰からも異論が出ないことを確認すると、胸のポケットから紙を出して読み上げた。

「あ、男子は羽柴大貴。女子は榎悦子。
 くじで勝手に選んだからな」

「ええっ? 俺ですか?」

 男子のほう、羽柴が、大きな声を上げて立ち上がる。
 乃絵美はその声に釣られて、羽柴の方を向いた。

 えっ……?
 乃絵美は、そこにあった光景が幻でないかを確かめるために、まぶたを数回またたかせた。
 だが、その光景は消えたりはしなかった。
 そこに立っていたのは、まさしく、テニスコートの、そして先程ぶつかった少年だったのだ。

 うそ…… こんな偶然って……
 朝起きてから、今までずっと続いていた不安が、一気に溶けていく様な気がした。

 まさか…… 同じクラスになれるだなんて……
 乃絵美の中で、驚きが、次第に喜びへと変わっていった。

 羽柴は、教師に一言文句を言うが、きつい言葉で返されていた。
 すぐに紙のたくさん入った袋を持たされ、渋々ながらクラスのあちこちを回っていく。
 しかし、乃絵美はそれには全く目が行っていなかった。
 自分で作り上げた幸せに、浸っていたからだ。

 「乃絵美さん、くじ引いてよ」

 「あ、はいっ」

 乃絵美の目の前に出された袋。
 乃絵美は、驚きに肩を跳ね上がらせてから、言われるがまま、袋の中に手を入れて、くじを引く。

 その時、乃絵美ははっと気が付いた。
 くじを引かせた後、過ぎ去っていったのが、羽柴だったことに。
 さらに、自分の名前が呼ばれたことにも気が付いていた。

 は、羽柴さんだ…… それに、私の名前を……
 そう言えば、さっきぶつかったときも、名前を呼ばれていたような……
 自分の名前を知られていたことを不思議に思う。
 だが、今度は考えに浸ることは出来なかった。

「それじゃあ、はよ席替えろよ〜」

 教師がそう言ったのが聞こえた直後、周りの生徒が荷物を持って移動し始めたのだ。
 乃絵美は慌てて、くじを見る。
 そこには、1という数字が、書かれていた。
 黒板を見ると、四角い枠の中に、左から1.6.11.16と数字が振られていた。
 乃絵美の番号は即ち、窓際の一番前の席、と言うわけだ。
 たった一つしか前に移動しないため、乃絵美はすぐに移動し終わる。

「あ、乃絵美、前の席だったんだ」

 その声に振り返ると、今まで乃絵美が座っていた席に、同じクラスになった唯一の友人が座っていた。

「あ、うん。ここ」

「窓際が好きだっていってたもんね。良かったわね、乃絵美」

「うん、ありがとう」

 と、その時、乃絵美の視界のはしに、羽柴の姿が映った。

 羽柴さん、どの席になったんだろう……
 もしかして、もしかして、隣の席になったりしたら……どうしよう……
 そんな乃絵美の心配は、全くはずれることになった。
 なんと、羽柴は、廊下側の一番後ろの席、つまり、乃絵美の席とは反対側に、移動して、座ったのだ。
 乃絵美は、それを見て、安心したような、がっかりとしたような、複雑な気持ちになった。

「ふうん…… 乃絵美って、羽柴君が好みなんだ」

「えっ ええ?」

 友人のいきなりの声に、乃絵美は顔を真っ赤にして驚きながら、うろたえる。
 それを見た友人は、小さく笑った。

「だってさ、さっきからずーっと羽柴君のこと見てたじゃない。
 私が話しかけても、全然無視しちゃってさ」

「ち、違うよ……本当に」

「実は私、羽柴君とは同じクラスだったんだ。
 でも、彼女が居るって言う話は聞いたこと無かったわね。
 良かったわね、乃絵美」

 友人が、にやにやしながら迫ってくる。
 背中に、冷たい汗が滑り落ちていっているのを、乃絵美は感じた。

「だから、そういうのじゃないって……」

「大丈夫。
 告白するときは、私がちゃあんと仲を取り持ってあげるからさ」

「と、取り持つって……」

「結婚式場まで紹介しようか? なんなら」

「そ、そんな……」

「ああ、よかった。これで乃絵美にも、彼氏が出来るのねぇ……」

 そう言ってからため息を付くと、友人は乃絵美の方に向かって、人差し指を突き出す。
 乃絵美は、不思議に思い、指先を見つめるが、再三に友人が自分を差すため、自分の後ろのことを言っているんだと気が付き、振り返る。

「伊藤。お喋るのもいいが、少しは俺の話も聞いておけよ」

「は、はい……すみません……」

 乃絵美が軽く頭を下げると、クラスの至る所から、軽い笑いが起こった。
 乃絵美は、顔を真っ赤にして、うつむいた。
 うつむく直前に、ちらっと羽柴の方を見る。
 羽柴は、乃絵美の方を向いてはいなかったし、笑いもしていなかった。

 あんな事言われちゃったけど…… 本当は私、どうなんだろう……
 うつむくと、先程友人から投げかけられた言葉が、頭にこだましてきた。
 最初は、ただ、努力しているから凄い、だったのだろう。
 だが、何回も見ている内に、次第に応援していることが楽しくなって、その内、姿を見かけない日が、淋しいと思うようになった。
 今日、偶然に出逢えたことは、かなり嬉しかったし、好きなんじゃないと言われたときは、かなりびっくりしたし、 彼女がいないという情報は、嬉しかった。

 もしかして…… 恋、なのかな……
 乃絵美は、そう感じずには居られなかった。
 正樹以外の人間を好きになるなど、思っても居なかった。
 正樹以外の人を気になることなんて、無いと思っていた。
 しかし、羽柴は見事に、乃絵美の心を掴んでいた。

 この気持ち、大切にしたいな……
 まだ、愛とか恋とか、よく解らないけど……
 告白なんて、まだまだ先のことだろうけど……
 今は、この気持ちを大切にしたい……
 乃絵美は、心の中で、そう呟いた。

 これからすぐに、始業式。
 学校も早く終わる。
 乃絵美には、まだまだ考える時間は、山ほどあるだろう。





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