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Original Story



Sibling


by 高津 沙穂




 私は、産まれてから14年間、ずっと、大好きな人がいる。

 ずっとずっと側にいて、まるで空気のような。
 それでいて、その存在は忘れることはない。
 忘れることは出来るはずもない。

 ずっとずっと、その背中を追って走り続けてきた。
 時には小さく。
 時には大きく見える、その背中を。

 その人に気に入られるために、勉強も、運動も、家のことも、何だって頑張った。
 一番嬉しかったのは、上達したらしただけ、褒めてくれたこと。
 私がしたことが、下手なら下手なりに、一生懸命褒めてくれた。

 その人には、色々な私を知られている。
 私も、その人の色々を知っている。
 もちろん、欠点だって。
 でも、それでも、私はその人のことが好き。

 想いを打ち明けたのは、小学校の4年生になった春。
 私はまだ小学生。
 その人は、春から中学生。

 同じ敷地、同じ建物の中で、勉強することには変わらないけど。
 私にとって、初等部と中等部の境は大きかった。
 凄く遠くに行ってしまって。
 その人の背中が、見えなくなる気がしたから。

 その人の返事は、OK。
 嬉しすぎる展開。
 私は、その日の内に、その人の知らなかった場所まで見ることが出来た。
 自分でも知らなかった、自分を晒して。

 そんな関係は、4年間続いた。
 私にとっては、至福の時。
 その人にとっても、恐らく至福の時。

 でも、お互いをお互いにさらけ出しているときに、見られてしまった。
 最も見られたくない人に、見られてしまった。
 私と、その人が、その家の中で現実に帰らないといけなくなる、両親に。

 父親に殴られるその人。
 冷たい目で見る母親。
 必死に止める私。
 全てを受け止める、その人。

 その日の内に、その人は家から消えていた。
 私に何も告げることはなく。
 親に聞いても、叱られるだけ。
 私は、最愛の人を失ってしまった。

 その人は、どこに消えてしまったんだろう。
 いや、違う。
 どこに消されてしまったんだろう。

 2年待って、高校生になって。
 私はアルバイトを始めた。
 とにかく、お金が欲しかった。
 そう、あの人を捜すお金を。

 勉強。
 運動。
 家のこと。
 アルバイト。
 どれもこれも全て、私は真剣に頑張った。

 もし、また会えた時に、褒めて貰えるように。
 その人に、喜んで貰えるために。
 いい子供でいれば、早く見付かるかも知れないと思ったために。

 そして、高校2年生の夏。
 遂にその日はやってきた。
 高いお金を払い続けて、やっとその人は見付かった。

 ここからかなり離れた、南の街の海沿いの街。
 小さなアパートを借りて。
 ちゃんと大学に行って。
 そして、胸に秘めた人を作って。

 三連休の初日。
 ありったけのお金を握りしめて。
 必要な物は、全てトランクに詰めて。
 私は旅立った。

 大好きな、あの人がいる、彼の街へ……

 その人が住んでいるアパートは、すぐに見付かった。
 夕方過ぎ、どこかに出かけているのか、部屋にはいなかった。
 調査報告書の角に載っていた、あの女の人と、どこかに行っているんだろうか。

 そんな想いを胸の中に抱きながら、近くの公園で、その人が帰ってくるのを待った。
 待っている内に、天気は晴から曇りへと変わっていた。
 そして、曇りから、雨模様。
 突然の夕立。
 降りしきる雨。
 冷たい体。

 それでも、私は、その人を待った。
 信じているから。
 その人を信じているから。
 雨の中、ただずぶぬれになりながら。

 そして、夕方から宵の口へ。
 宵の口から、夜へ。
 時間も、急速に過ぎていった。
 雨は、やまない。

 今日はもう、帰ってこないんだろうか。
 彼の女の人と、どこかに出かけているのだろうか。
 そんな後ろ向きな考えが頭の中をよぎったとき。
 道路の方から、人が歩く音が聞こえた。

 足音。
 一緒にいたときに、何度も聞いた足音。
 遠ざかっていくときに、悲しい気分になった靴音。
 近づいてくるときに、嬉しい気分になった靴音。
 私には、解る。
 すぐに、解る。

 いくら身長が伸びても。
 いくら顔つきが変わっても。
 いくら髪形が変わっても。
 解る。
 私には、解る。

 夢中になって、道路へ飛び出す。
 驚いて、立ち止まったその人に向かって、笑顔で。
 安心をいっぱいに詰めた笑顔で。

「お帰りなさい、お兄ちゃん……
 そして……ただいま……」

 お兄ちゃんは、持っていたコンビニの袋を、落とした。
 信じられないという表情で、私を見て。
 ただ、一言だけ、絞り出した。

「優美、なのか……?」

 私は、その言葉に頷いてから。
 その人の胸に飛び込んだ。
 その人は、さらに驚いたようで。
 傘もぽとりと、落とした。

 十数分後、私はその人の家に来ていた。
 シャワーを浴びている。
 でも、冷えた体に、シャワーの温もりは効かなかった。
 私を温めてくれるのは、そう。その人だけなのだから。

 体を洗い終えて。
 体を拭き終えて。
 着替え終わって。
 私は、その人のベッドに腰掛けた。

 部屋の中は、重苦しい雰囲気でいっぱいだった。
 一緒にいた頃は、こんな雰囲気になったことはなかった。
 一緒にいるだけで楽しかったのに……
 何故、こんな雰囲気にならなくてはいけないんだろう。

「優美……良くここが解ったな」

「アルバイト代、全部つぎ込んで……探偵さんに調べて貰ったの」

「……そうか、じゃあ、俺のこと聞いて回ってるヤツがいるっていう噂は、本当だったんだな」

 いつのまに煎れたのか、その人はカップに注いだコーヒーを口に含んだ。
 私の前のテーブルにも置かれている。
 昔、私に出してくれたときのように、たっぷりのミルクと、たっぷりの砂糖を入れたコーヒーを。

「こっちにいるお兄ちゃんが何をしているか、全部解ってる……」

「探偵だもんな、それが仕事だし」

「だから、私、知ってるんだよ……お兄ちゃんに彼女が居るの」

 その人の手が、ぴたっと止まった。
 ゆっくりカップを回してから、中身を口に含む。

「ああ、こっちに来てから、ずっと付き合ってる」

「そうなんだ……もう3年とちょっとなんだね……」

「ああ、そうなるな」

 その人は、コーヒーカップをテーブルの上に置いた。
 そして、ゆっくり立ち上がる。
 近くの本棚から、アルバムを一冊持ってきた。

「この子だよ、美津子っていって俺の一個下の……」

「そんなの見たくないっ」

 そのアルバムを、強引に払いのける。
 アルバムは転がり、壁に思いっきり当たって止まった。
 払いのけた手が、じんじんと痛みを発している。

「おい、何するんだよ」

「お兄ちゃんこそ、なにしてるの?」

「なんのことだ?」

 私は、アルバムの所へ歩いて行く。
 中から、その人と彼女が二人で映っている写真を取り出す。
 おもむろに、まん中から引き裂いた。

「私じゃ駄目だったの……?
 私じゃ満足できなかったの……?
 私と別れてすぐ……
 私たちの家からいなくなってからすぐ……
 彼女作るなんて……」

 写真がはらはらと床に落ちる。
 その人はそれを目で追ってから、立ち上がって叫んだ。

「優美っ なにしてるんだっ」

「私に連絡を取る方法なんて、いくらでもあったのに、お兄ちゃんはしなかった」

 私も立ち上がって、お兄ちゃんの胸元を掴む。
 溢れる涙を抑えることが出来ない。

「私たち、兄妹だもんね……
 血が……血が繋がってるんだもん……
 だから、私がどんなにお兄ちゃんを想っても……
 お兄ちゃんを愛してもっ
 私じゃっ!
 私じゃ駄目なんでしょっ!」

 そのまま、膝から崩れ落ちてしまう。
 その人も、一緒に膝をつく。
 その人の胸元に、顔を埋める。
 そして、予想出来なかったこと。

 その人が、私を抱きしめてくれた。

「ごめん……俺が間違ってたよ……
 優美の本当の気持ちをしらなくて……
 俺ばっかりが暴走しちゃったみたいだな……」

 片手が、私の頭に伸びてくる。
 優しく、優しく、頭を撫でてくれた。

「優美の気持ち解ったから、彼女とは別れるよ。
 ごめんな、優美……
 俺は素直になるから……
 だから、許してくれないか……?
 こんな俺を、許してくれるか……?」

「うん……」

 よかった……
 その人は、その人だった……
 あの頃から変わらない、その人。

 私は安心に包まれて……
 大好きに囲まれて……
 久しぶりの、至福の時を迎えた……

 朝。
 久しぶりに、寝覚めのいい朝。
 辺りに漂う、物が焼ける匂いと、コーヒーの匂い。

「お兄ちゃん……?」

 ベッドから体を起こした私を、その人が優しく出迎えてくれる。

「おはよう、優美」

「うん、おはよう……」

「朝御飯出来てるぞ。もっとも、もう10時だから、朝御飯には遅いけどな」

 洗面所で顔を洗う。
 歯を磨いて、少し髪の毛を整える。
 部屋に戻ると、テーブルの上には、遅い朝食の用意がしてあった。

 ゆっくりとした朝食。
 幸せの一時。
 久しぶりに訪れる、美味しい食事。

 その人の顔を見つめながら。
 会話に花を咲かせて。
 流れる一瞬が、とても大切で。

「そうだ、海、見たか?」

「海……?」

「ああ、ここの海だよ。来るときに見なかったのか?」

「うん……」

「綺麗だぞ……青くて透き通っててな」

 青い海……
 そう……ここは南の海。
 私の住んでいたところより、遥かに綺麗な海……

「海、見てみたいな……」

「今なら泳げるぞ。一緒に泳ぐか?」

「え……う、うん!」

 その人と一緒の海……
 初めての、二人きりでの海。
 デート……待ち望んでいた……

「じゃあ、今から早速用意しないとな。
 そうだな、飲み物とか、食い物とか、駅前のスーパーで買ってきてくれないか?」

「うん! 駅までなら解るから、大丈夫」

 パンを少しぬるくなったコーヒーで流し込む。
 そのコーヒーは、期待の味、幸せの味。
 初めてのデートへの、想い。

「ははは、慌てなくてもいいからな」

「いってきまぁすっ」

 私は、サンダルを履いて、家から飛び出した。
 お兄ちゃんの好きな飲み物は、解っている。
 味覚とか、好きな物とか、変わってなければいいな。
 鳥の唐揚げ、いっぱい売っているかな……

 何となく、主婦の気分。
 愛する人の為だけに頑張るのって、やっぱり嬉しい。

「ふぅ……重い……」

 思いの外重くなってしまった荷物。
 両手で何とか抱えて、家路につく。
 公園の側を抜けて、目の前のアパート。
 私とあの人の、愛の巣。

 ドアを開けて、言いたかった一言を叫ぶ。

「ただいま、お兄ちゃん!」

 だけど……
 欲しかったその人の返事は、無かった。

「お兄ちゃん……?」

 台所の中へはいる。
 2ドアの冷蔵庫。
 電子レンジ。
 炊飯器。
 トースト。

 ありとあらゆる物が無くなっていた。
 私は、あまりの驚きの余り、荷物を落としてしまう。

「お兄ちゃん!」

 部屋のドアを開ける。
 だけど、そこには、予想していたとおりに……
 何も、残っていなかった。

 本棚もテーブルもソファーベッドもテレビもビデオも……
 何もかも……
 部屋の隅に置かれた、私のトランクを除いて。
 全てが……消えていた。

「嘘でしょ……お兄ちゃん……」

 私は、にわかに絶望感に襲われる。
 へなへなと、その場に崩れ落ちる。
 その足許にあったのは、半分だけの写真。
 その人と、彼女の写真を、私が半分に破った、あの写真……

 微笑むその人。
 私に向かって、ただただ、微笑むその人。
 その人の顔は、すぐに見えなくなった。
 滲んで、見えなくなった。

「お兄ちゃん……
 私は、お兄ちゃんさえいれば、それで何も要らないのに……
 例え殴られたって、壊されたって。
 慰み物にされたって……よかったのに……
 普通の人に戻れなくても、よかったのに……
 兄妹だからいけないって言うのなら、いくらでも投げ捨てるのに……
 どうして……
 どうしていつも、私を追いてっちゃうの……?
 どうして、私を苦しめるの……?
 どうして……」

 私はまた、その人を捜さないといけない。
 もう、この身は、心は、全てその人に捧げるって決めているから、それは苦にはならなかったけど……
 溢れ出る涙は、止まることを知らなかった。




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