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Original Story



〜灰色のシラード〜


生きる生きないはお前の勝手だ…(1)

by 如月想一




「はっ! …たっ!」
 夜気に気合いがこだまする。気合いとともに、手斧が空を斬る。
「やっ! …てやっ!」
 集落の西端。深い森に近い場所である。そこで、彼は一心不乱に手斧を振るっていた。
 まだ真冬だというのに薄いシャツにジーンズといった薄い格好。
 他には頭に帽子をかぶっているのと、近くに彼が来るときに着ていたジャケットが無造作に放ってあるだけ。
 一見すると寒そうだが、鍛錬のせいか、露出した肌には汗がにじみ出していた。
「せやっ! たぁっ!」
 彼は毎晩、こっそりと仲間のもとを抜け出してはこうやって鍛錬している。
 当然、目的は強くなることだ。
 ただ、はやく強くなって認められたかった。
 認められれば…! 認められさえすれば…!
 その一心で、手斧を振るい続ける。
「ふぅ…」
 小一時間ほど素振りをして、彼は手斧をおいた。いつも近所のおじさんが薪割りをしている切り株に座り、汗を拭く。火照った身体に夜気が心地よかった。
「う〜ン…」
 そして手を組み、軽く背伸びをする。
「はぁ〜」
  全身の力を抜いてゆっくりと息を吐くと、まるで全身の疲れを吐き出してしまうようだ。
 軽く肩をまわして身体を労うと、肩の骨はコキコキと鳴った。
 物知りな村長は、こうやって骨を鳴らすのはあまり健康に良くないというが、どうしてもやめられないというのが人情というものである。
 運動したあとの小休止。それがおそろしく気持ちよかった。
「…………」
 しばらくそのままで、ただぼーっと空を見上げる。眼前には、息を呑むような、しかし馴染みの星空が広がっている。
「…………」
こうやっていると、ずっとこのままでいたくなる。なにもかも忘れて、こうやって星空を見ていたくなるのだ。
「…………」
ただ、さすがに冬の夜の気候である。
 火照った身体は夜気にさらされるうちにどんどん体温を失い、身体は完全に冷え切ってしまった。寒さにぶるりと身体が震える。
「寒…」
 そろそろ帰ろうかな…
 そう思い、手斧と来るときに着てきたジャケットをとろうとした時…
 ………がさり…
 森林の方、物音が聞こえた。人影が見えた。
「………!」
 不安に、心臓が飛び出しそうになる。自分の血潮が流れる音が聞こえるような気がする。
 そこに…なにかがいる…
 そう考えるだけで、身体が寒さ以外で震えた。
「…………ごくん…」
 唾を飲む音が、妙に大きく聞こえる。
 『企業』の連中だろうか…? 
 彼は、手斧を握り直した。
 仲間を呼んでこようか…?
 そんな考えも一瞬よぎったが、すぐにそれは消えた。かわりに、『企業』の奴を一人で捕まえれば認めてもらえるかもしれない…
 そんな希望が、頭のなかを占めた。
「…………」
 緊張で手が汗ばむ。滑りそうになった手斧を握り直した。森の入り口へと、足を進める。
「…………」
 森は暗かった。丈の高い木が並ぶ森のなかは昼ですらも暗い。薄暗く、月明かりが差し込む間などどこにもないそこは、まるでおとぎ話にでてくる迷いの森そのものだ。
「……くっ…」
 彼は少し後悔した。なにがでるか分からない森のなかに、あまりにも不用意に入りすぎたのではないだろうか? 自分は、敵の罠のなかにのこのこと足を踏み入れてしまったのではないか…?
「………ごくん…」
 唾を飲む音が妙に大きく聞こえる。不安で頭がいっぱいになる。
 いまからなら、仲間を呼びにいけるんじゃないだろうか…?
 一瞬頭をよぎった考えを振り払う。
 (いまごろ後戻りはできない…それに…)
 それに、逆に考えれば相手からもこちらの姿は見えないのだ。下手に銃を撃つこともできない。
 そう。地の利はこちらにあるのだ。
(恐れる必要なんか…ないんだ)
 そう自分に言い聞かせ、森の奥へと歩を進める。人影が見えたのはもっと奥の方だったのだ。
「…………」
 かさ…かさ… 
 自分の足音が、大きく妙に大きく聞こえる。不気味なほどに森のなかに響く。
「…………」
 歩きつつも、用心深く周囲を見回す。夜空を、不気味な鳥が飛んでいる。鳥の不気味な鳴き声が森にこだましている。
 かさ…かさ…
 その不気味な、まるでこの世の終わりを告げるような声に少しばかり不安になりつつも、彼は森を進む。しかし、
「なにも…いない…?」
 安堵感が身体中を駆けめぐった。
 あの物音はもしかしたらただの動物で、あの人影もただの思い過ごしだったのかもしれない。
 いや、きっとそうだ。そうに違いない。
 よく考えると、これは非常に楽観的な考えなのだが彼の精神状態はすでに極度の不安でかなり追いつめられていたので、そこまで頭が回らなかったのだ。
「は…はは…なんだ…なにもいないじゃん…」
 どうやら緊張の糸が切れたらしい。
 自然と、笑いが漏れる。
「は…ははは…なんだ…俺の思い過ごしじゃねぇか…」
 人間、極限まで安堵すると、安堵感を通り越して高揚状態になってしまうものだったりするものだ。
 彼はひとしきり笑うと、だんだん寒くなってきたのか、身体を震わせた。
 よくよく考えると、ジャケットを着ずにここまで来たのだ。
 寒いのは当然だった。
「うう…帰ろう…」
 そう思い、森の入り口に向かおうと歩きだそうとして…
「う…」
 なにかを踏んだ。しかも固いようで、柔らかいようで、それでいてなま暖かいモノを、である。
「むぅ…」
 うなり声におそるおそる足をどかすと、それはむっくりと起きあがった。鋼鉄のように艶やかな灰色の髪の、かなりの大男である。男が横目にこちらを見た。
「………う…」
 目があってしまった。
「…………」
「…………」
 一瞬、時が止まったような気がした。男は無表情にこちらを見ている。
「………あ〜…えと…」
 彼はこのとき『抵抗するならこの斧が黙っちゃいねぇぞ』とか、そういう気の利いたセリフでも言おうと思ったのだが、つい言葉がでなかった。男の放つ気配は彼を、そしてこの森を完全に包み込んでいた。
「むぅ…」
 男は立ち上がる。でかい…。男は座ったままでも十分でかかったが、立ち上がると思ったよりでかい。
「…………」
 それはぼろぼろのコートの胸ポケットから丸いサングラスを取り出し、かけた。もとが仏頂面なだけに、サングラスをかけるとより表情がわからない。
「あ…ああ…」
 彼はもはや完全に男の気迫に呑まれていた。彼の頭のなかを、不安と違う、恐怖が支配する。
「むぅ…」
 男一言唸った。
(やられる…!)
 彼は身構え、恐怖に目をきつく閉じた。
 銃で撃ち殺されるのだろうか…? それとも殴られて連れていかれるのだろうか…? 
 それがくるまでの時間が永遠のように感じられる。
(ああ、母さん…)
 一体自分はどんな目にあうのだろうか? 暗いなかで、不安が増大していく。しかし…
「あれ…?」
 予想していた一撃はどれもこなかった。恐る恐る、その目をうっすらと開く。そこには、予想外の光景が広がっていた。彼は驚きの声を…
「え〜、っと…」
 というよりは困ったような声をあげた。そこに、男は立っていなかった。ただ…
「…………」       
地面には男が倒れていた。しかもコートのポケットに両手を突っ込み、直立不動の姿勢でである。
「え〜、っと…」
 彼は途方にくれた。
「え〜、っと…?」
 途方にくれたまま、夜は明けようとしていた…



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