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Leaf Visual Novel Series Vol.3 "To Heart"



来栖川家の一日


by 五穀豊穣



 ━━━朝。
 豪奢な絹のカーテンから、緩やかな陽光が差し込み、来栖川 綾香は目を覚ました。

 ゆっくりと上体を起こし、ベッドに備え付けの時計を見る。

 ━━━PM6:00
 いつも通りの時間だ。
 毎日綾香はこの時間に目を覚まし、トレーニングをこなすのが日課となっている。
 鳴る寸前の目覚ましを止めようと手を伸ばす━━━と、そこで優美なラインを描く眉をしかめた。
 体中が異様なまでに痒い。
 おまけに。
「なっ、何よ、これぇ〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
 疳高い悲鳴が綾香の部屋に響きわたる。
 悲鳴の原因は、腕のあちこちにある斑点だった。否、腕だけではない。体中にそれは発生していた。
 日頃が健康的であるだけに、こうした事態に綾香は意外と脆い。
 矢も楯もたまらず、呼び鈴を綾香は押した…。


「水疱瘡…ですな」
「みずぼうそう!? …何よ、それ?」
「…チキン・ポックスの事ですよ、綾香お嬢さん」
 少し考え、主治医はそう言い直した。
「な〜んだ、チキン・ポックスか…って、ちっとも良くないじゃない!」
 再び優美な眉を綾香はしかめた。子供の時分を思い出したせいである。向こうにいた時分、子分のジョンが患って、ひどく吃驚したものだ。その時はどうしたことか、綾香だけは移されなかったのであった。
   意外と皆が失念している事であるが、来栖川 綾香は俗に言う『帰国子女』なのだった。

「とにかく、4日程はゆっくりとしていて下さい。いいですね?」
「4日!? 冗談じゃないわよ! もうじきエクストリームの予選があるって言うのに」
「今我慢するか、後で苦しむかの違いです。…言っときますが大人になってからの水疱瘡の苦しみは、子供のときの比じゃないですからね」
 怜悧な口調で言って綾香を絶句させ、振り向くことなく医師は退室した。



「……ったく、何だってこんな時に…」
 嘆き、綾香はベッドに突っ伏す。
 何しろ、『エクストリーム』をわずか10日後に控えた身の上で、おまけに今年は葵も出場するとあっては、なおさら気が抜けない状況である。
「……ジョンのヤツ〜〜〜〜〜〜〜!!」
 綾香はアメリカにいるはずの子分を呪った。アイツがあの時に移しておいてくれたら、と。
 無論、その時「あんたとは鍛え方が違うのよ!」とふんぞり返ったことなど、綾香は忘れてしまっている。

 …仕方がない。ここは大人しく休んで、残る6日に賭けよう。と、ようやくまともな結論に達し、眠りに就こうとしたとき、控えめなノックの音がした。
 空耳かと思うほど、それは控えめな音だった。耳を澄ませていると、もう一度。
 綾香は、その音の主に心当たりがあった。
「━━━開いてるわよ、姉さん」
 ガチャリ、とドアが開く。果たしてそれは芹香であった。

「………………」
  「え? 大丈夫ですか、って? ……あんまり大丈夫じゃないわね」
 さっき騒いだのが堪えたのか、綾香はそう言い、ふと思案顔になる。
「…何で姉さんここにいるのよ? 学校は?」
「……休みました」
 ぽつりと芹香は言って、上半身を起こそうとした妹をゆっくりと寝かせる。
「…アリガト。でも、彼氏に悪いことしちゃったわね。…姉さんを取っちゃってさ」
 真っ赤な顔をして俯いた芹香が何かつぶやく。
「………………」
「そんなんじゃありません、って? いいの、そんなこと言って? じゃあ、あたしがもらっちゃおっかな? 彼氏、結構━━━じょ、冗談よ、冗談に決まってるでしょ」
 軽口を叩く綾香だったが、姉の悲しそうな表情(かお)を見てあわてふためいた。
 責める素振りを見せず、ただ黙ってうつむく。━━━綾香は姉のこの表情)にまことに弱いのであった。
「ホントにもう……好きなんでしょ?」
「………………」
 コクン。と芹香がうなずく。
「ハイハイ、ごちそうさま」
 綾香はベッドの中で器用に肩をすくめて見せた。


 額に当てられた手が、ひんやりとして気持ち良かった。
 その手の持ち主が何かつぶやく。
「……辛くはありませんか、って? そうね、トレーニング出来ないのがキツイわね。やっぱ」
 首を傾げる姉に、綾香は事情を説明した。
 真剣な顔でそれを聞いていた芹香は、
「………………」
 何かをつぶやき、部屋から出て行ってしまった。
 パタン、とドアが閉まり、また綾香は一人になった。

「??? どうしちゃったのかしら、姉さん?」
 ベッドの中で綾香はひとりごちる。
「何とかしてみます、って無理に決まってるじゃな………まさか!」
 あわてて跳ね起き、綾香はカーティガンを羽織った。
 そのままベッドを下りようとしたところで、めまいに襲われる。先程医者に飲まされた薬が効いてきたようであった。
 懸命に頭を振り、眠気を払おうとする。寝てる場合ではない。何としても、姉を止めなければ!
 眠気と戦いながら、ズルズルと綾香は歩いて行った…。



 一昨年のことである。
 みんなから「おキヨさん」と呼ばれるメイド頭がひどく風邪をこじらせた事があった。
 やはり芹香が心配して、セバスチャンに『ある頼み事』をしたのである。
「おお! なんとお優しいお言葉。…承知しました。このセバスチャン、命に代えても果たして見せましょうぞ」
 と、それを聞いたセバスチャンは感極まった口調で言った後、お供を連れていずこへと去って行った…。

 半日後。
 屋敷は自然公園と化していた。
 小鳥と草花、およそ保護指定された物を除いたあらゆる物がここに集められていた。
「…して、芹香お嬢様。いかがいたしましょう?」
「………………」
「なるほど。…ではわたくしめは、『涙』を集めればよろしいのですな。して、どの位必要でございましょう?」
 問われた芹香が、ふと困った表情を見せた。
 集められた草花から蜜を選り分ける手を休め、妖しげな本を開いてみせる。
 古い本のためか、インクが滲んでおり、『涙』の分量を記してある箇所がどうあっても読めそうにない。
「……分かりました。心配召されますな。全てはこのセバスチャンにお任せを」
 ━━━慇懃に礼をする、セバスチャンこと長瀬 源四郎は、『大は小を兼ねる』ということわざの信奉者であった。

 かくして、屋敷中に小鳥たちの鳴き声が響き渡った…。

 2時間後。
 おキヨは、セバスチャンから、蜂蜜に似た薬を受け取った。
「『さえずりの蜜』と言ってな、お嬢様が仰るには、飲めばたちまち喉が癒されるそうだ。有り難く頂戴するといい」
 声の出ないおキヨはしきりに頭を下げ、ためらうことなく薬を飲み干した…。


 翌日。
 おキヨの風邪は完治していた。…腫れていた喉は治り、声も出る。ただし、余計なオマケ付きであったが…。
「さあ、急いで朝食の支度をしますよ」
 そう号令をかけるおキヨの声に、若いメイドたちが笑いを堪える。
 その声は『オオヤ ○サコ』も裸足で逃げ出すほどに高く、人間離れしていたのである。
 薬の副作用か、あるいは小鳥たちの呪いか…。何しろセバスチャンは小鳥たちから可能な限り『涙』を搾り取ったのだから。


 とにかく。姉が作る薬にはロクな物がない。本人に自覚がないだけに始末が悪い、と綾香は思う。
 朦朧とする意識を手放さぬよう何度も頭を振り、幾度か部屋を間違えはしたが、ようやく目的の場所に綾香は辿り着いた。

 一方、芹香は妹が危惧しているなど露ほどにも思っておらず、今もまた『パデキアの根っこ』から薬を作っていた。
 部屋の中央に描かれた魔法陣のさらに中央には、怪しげな壺に入ったやはりおどろおどろしい薬が煮立っていた。
 後は冷めるのを待つばかりで、妹の全快を祈って芹香がおまじないを唱えようとしたその時。

「…ね、姉さん〜〜〜〜〜〜。そ、そこまでよ…」
 息も絶え絶えに、綾香が到着したのであった。
 よたり、よたり、と綾香は姉に近づく。
 そこへ黒い影が、突如襲いかかる。━━━芹香の飼っている黒猫であった。
 猫なりに、綾香が主人の邪魔をしに来たと察したのである。
 現在の綾香は病人であり、たちまち身体のあちこちに引っ掻き傷を作る羽目になった。
 そのさまに驚いた芹香が、慌てて何やら呪文を唱えだしたが、そこは芹香お嬢様だけのことはあり、とにかく『遅い』。
 一方病んだりとは言えど、綾香はエクストリームのチャンプであった。無駄な動きを避け、ひたすらチャンスを待ち続ける。そして、無抵抗の綾香に気を良くした黒猫の動きが大振りになった瞬間、綾香の足が跳ね上がった。
 日頃のおよそ10分の1の威力しかなくとも、猫1匹を壁に叩き付けるのは充分であった。
 綾香はそんな自分に酔い、芹香はまだ呪文を唱えていたので、気付く者はいなかった。
 猫が叩き付けられたはずみで棚から『ある草』がこぼれ、冷めつつある壺に入ったという、その事実に…。


 10分後。
 椅子に座り、姉から傷の手当を受けていた綾香が諦めの吐息をもらした。
「…分かったわよ。飲むわよ、飲めばいいんでしょ……」
 投げやりに応える綾香の目の前で、悲しそうな顔をした芹香が黙って気絶した黒猫を撫でている。綾香がまことに弱い、あの表情で。
 妹の返事を聞き、芹香の表情がわずかに動いた。
「………………」
「え? 分かってくれて嬉しいです…って?」
 と綾香が復唱する。
「まったくもう…これじゃ、脅迫じゃない…」
 小声でつぶやき、そして覚悟を決める綾香。
 
 目の前に置かれた、ツンと鼻を刺激する、黒い液体…。
 気分はドラ○ンボールの『孫 悟○』であった。まさに綾香にとって、目の前の液体は『超神水』に等しいであろう。

 目をつぶり、綾香は飲み干した。
「ていっ!」
 …………………
「うぎゃぁぁぁぁああ〜〜〜〜〜〜〜〜」
 悲鳴を上げ、綾香はのたうち回った。別に○空の真似をしてるわけではない。激烈に不味かったからである。

 約30分間、綾香は悲鳴を上げ続け、ようやく呼吸も治まってきた頃言った。
  「ち、チカラだ。力があふれている…」
 …来栖川家の次女は意外と『おたく』のようだった。
 そして言葉通り、すっかり顔色が良くなり、水疱瘡も消え去っていた。
「むっ! あっちだ、あっちの方向に葵がいる…」
 西の方角に向き、綾香は未だバカを言う。それ以上続かなかったのは、突っ込んでくれる者がいないせいである。
 何はともあれ、全て姉のおかげである。改めて礼を言おうと、一つ咳払い。
「…コホン。あ、アリガト姉さん。助かったわ。おかげでエクスト……」
 最後まで、綾香は言葉を告げれなかった。言葉の途中で得も言われぬ感覚に襲われ、姿を突如消してしまったそのせいで…。

  「………………」
   芹香はその現象に心当たりがあった。慌てて棚の薬品を調べてみたところ、やはり一つ欠けていたのである。
 ━━━先程壺に落ちた草は…。その名を『ルーラ草』と言った……。

「ね、姉さん〜〜〜〜! 覚えてらっしゃいぃぃぃぃぃ〜〜〜〜〜!!!」
 と、誰もいない亜空間に、綾香の呪詛が響き渡った…。


  
 綾香がいなくなったのと時を同じくして、各国の格闘界に『東洋の魔女』の噂が流れ始めた。
 格闘場に突如現れ、稲妻の如く勝利を収めたあと瞬く間に忽然と消える、とおとぎ話のようなことを、名の通った格闘家たちが言うのである。

 そしてエクストリームの前日に、綾香は帰って来た。
 さぞかし怒っているかと思えば、ことのほか上機嫌であり、
「ま、色々いい体験が出来たしね」
 と謎めいた事を口にするのであった。

 余談ではあるが、綾香が溜飲を下げた事はもうひとつあった。
 例の黒猫である。
 何と水疱瘡にかかってしまい、それ以来綾香には決して逆らわなくなったそうだ。



                                                                                 (おわり)


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