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Original Novel T.Yokoshima Presents



DISTANCE


#04

ドイツ連邦共和国



 職員室から出た後、人気のない廊下を通りながら渡された書類を改めて見る。真っ白な用紙の一番上に『在学校移転届』と書かれてあり、その下に注意書き、そして記入欄がいくつも並んでいた。他にそれらに関する書類がホッチキスで止めて束ねてある。
 これを渡されても実感はない。逆に、「転校」と言われる度にそのこと自体が嘘のように思えてくる。
 「息子に一言も話さずに転校処置をする親がどこにいるんだよ」
 あきれたまま、紙束を鞄に押し込む。無理矢理押し込んだせいか紙が破ける音が小さく聞こえた。
 鉄製の靴箱が並ぶ昇降口を抜けてコンクリートが続く道へと出る。ここから校門へと続く長い道からは広い校庭が一望に見渡せる。歩きながらそちらへと目を向ける。
 午後5時を過ぎてもまだ昼間のような明るさを持った陽の下で、部活動に精を出す生徒たちが高らかに声を上げていた。夏本番ということに加え、大会が間近に迫っていることもあってその雰囲気はいつもと違っていた。
 大会でも上位にはくいこむものの、優勝まであと一歩届かないという部活もこの学校にはいくつかある。今年こそはという願いはどこでも同じらしい。
 「応援しても・・・あんまり意味ないよな」
 土手の上からその様子を眺めながら呟く。あと1週間足らずで海外へ行くことになっている俊哉には、今の部活動のその後はあまり関係のないこととなっていた。部活自体にも入っていないのだからことさらである。
 校門をぬけて帰り道の河原のほうへと出る。
 東に向かう空はすこし陰りを見せていた。遠く彼方に小さな雲粒が点々としている。
 「明日も晴れそうだな」
 川沿いの堤防を歩きながらそんなことを思う。
 川辺では子づれの母親や散歩途中の人たちが雑談を交わしている。その周りを子供や犬が追いかけっこをするようにくるくると周っていた。
 「・・・帰るか」
 俊哉の横を自転車がとおり抜けた。

 辺りはすでに薄暗くなっていた。空には太陽光を受けた月がその光を発しながらぽっかりと浮かぶ。その下で、人工的に作られた蛍光灯の光が小さく街を照らしていた。壊れて点滅を繰り返すものもいくつかあった。
 街から少し離れた簡素な住宅地。静かな闇の中を、会社帰りの人が歌いながら歩き、犬がその人の気配を察知して空に向かって吠え、虫がその煽りを受けて泣く。夜独特の歌が塀に反射して遠くまで響きわたった。
 その中の、「来橋」と表札が書かれたごくありふれた2階建ての建築物。その2階の窓にカーテン越しに光が漏れる。暗い外の景色の中で、この光はひときわ明るく見えた。
 カーテンと窓が開き、美樹がひょこっと顔を出す。
 「雲、増えてきている。明日の天気は持つかな」
 星が見える空には灰色の雲が漂っていた。長く伸びて尾を引く。
 しばらく外の空気を吸って換気をした後、カーテンだけを閉めて部屋の中に戻る。
 机の蛍光灯をつけてから、鞄の中から教科書やノートを取り出す。整理された机の上に本がいくつも重なった。椅子に座って姿勢を正すとギシッと重みのかかった音がする。
 時計の針が打つ音と、ノートに綴られる筆の音が静かな部屋の中にこだました。
 地理の教科書を広げたところで美樹の手が止まる。そのまま段積みにされた教科書の中から「詳細高等地図」と書かれた緑色の本を取り出して広げる。縮小して全体図が書かれたヨーロッパ大陸が目の中に入った。指でページ上をなぞりながらひとつの国を探す。
 「ドイツ連邦共和国」。ヨーロッパのほぼ中央に位置する都市。北ドイツ平原を地とし、北東に北海が広がる。
 首都であるベルリンは、かつて「ベルリンの壁」と呼ばれる数十キロに及ぶ壁で東西に隔てられていた。それが10年前の1989年11月9日、暗闇が浮かぶ空の下で市民たちの手によって砕けていった。今の統合された都市はこれを境に出来ている。
 地図上の都市の上で指を叩く。俊哉が行く場所までは聞いていない。ただ、ドイツへ行くとしか。
 ページを移して地球の全体図が書かれた場所を見る。地図上でほぼ中央に描かれた、小さな日本。そして、それより左側に位置するドイツ。最短距離を辿ってもゆうに一万キロはある。
 「ここから、こんなに離れているんだ。ドイツって・・・」
 2つの距離間を指でなぞりながら呟く。
 「本当に行くのかな、こんなところへ。そしたら、いつものように毎日顔をあわせることもできないんだよ」
 伏せた顔、肩が小さく震えていた。ひとつの音が止まり、部屋の中は刻む針の音が響く。
 再び顔を上げて遠い土地を地図越しにみる。細かい土地の名と利用土地に色分けされた土地が所狭しと書かれた地図。それらがすべてを引き裂く呪法のように美樹の目に飛び込んでくる。
 紙の上に小さな雫が落ちた。美樹の目に涙がたまり、頬をつたって落ちる。
 「遠いよ・・・。遠いよ・・・俊哉」
 微かな泣き声が静かな部屋に響いた。

 その部屋の真下にあたる、道路沿いの壁。街灯の光の下、その壁によりかかるようにして俊哉が立っていた。手に抱えた小さな包みを宙に放り投げ、再び手の中へと落とす。
 壁から背をはなして美樹の部屋の窓を見上げる。厚いカーテンに遮られて光が漏れていた。その奥から、微かに小さな泣き声が聞こえてきた。
 手の中で包みをもてあそんでからポケットに押し込む。
 「・・・明日にするか」
 そう呟いてその場を離れた。

 
《contd.》



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