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Original Novel 遊真 Presents



寂光堂


月輪の法則

1 依頼主



角度を無くした陽光が、顔を紅く染める。
民家からは、夕餉の匂いが漂い始める刻限。
両脇をブロック塀で固める狭い路地で……。
私は確かに違和感を感じた。
どこにでもある古き良き住宅街の一角が唐突に切り取られ、別の空間が繋がれていく…。
不連続な世界に踏み込んでしまった、そんな感じだ。
三叉の交差を右に曲がる…。
……在った。
酷く煤けた木造の平屋。
開け放たれた引き戸の上には、達筆で書かれた看板。
『寂光堂』……。
私は数秒、その文字をじっと見詰めて考える。
この戸の向こうに入るべきか…入らざるべきか……逡巡した。
ここまで来てしまって変な話だが、私は悩む。
「あれ?…君、この古本屋になんかようなの?」
悩む私の背後から声が掛けられた。
良く通って、聞く人を暖かくさせるような、朗らかな声。
振り返って見ると、夕焼けを背後に背負い長身の男性が一人立っていた。
手にはページの端が擦り切れた、古い本を携えている。
顔は……逆光で見えない。
ただ、笑っているんだ、という事だけ解った。
「は、はい。」
私は警戒しながら答える。
「へえ、通だね。」
感心仕切りで、男の人が肯きながら私の横まで来る、彼の顔が露になった。
大きな鳶色の瞳に、人懐っこい笑顔……決して二枚目というわけではない、だけど人を引き付けて止まない、そんな容姿をしている。
自然と緊張が和らいだ。
「……通、ですか?」
「でしょう。品揃えは確かに良いんだけど、人間より野良猫の方が歩行率の高いという、破壊的に人気のない店だよ、ここは。」
すっと瞳を細めて寂光堂を眺める彼。
私もつられて視線を向けた。
『寂光堂』
「入らないの?」
彼が、私を斜めに見下ろしてくる。
君が入らないなら、俺が先に入っちゃうよ、とそう言外に語りながら彼が無防備なほど簡単に一歩を踏み出した。
そのまま歩みは止まらず戸口の所まで来る。
一度振り返って、にこりと笑うと、彼は薄暗い店内へ吸い込まれていった。
私はまるで引き寄せられるようにその後を追った。
 
 
 
駆け込むように店内に入った私は、入って直ぐの所で待っていた彼の背中にぶつかった。
「おっと…大丈夫?」
「だ、大丈夫です。」
ほんとは、ぶつけた鼻がひりひり痛んだけど、やせ我慢をする。
鼻をさすりながら私は周囲を見回した。
本特有のかび臭さが部屋中を満たしている…。
天井にぼんやりと輝く裸電球。
その僅かな光に照らされて、壁伝いに書棚が並んでいた。
哲学書、文学全集、画集……はたまた文庫、漫画とジャンル豊かに敷き詰められている。
彼の言った通り、これはかなりの規模だと思えた。
いったいこのさびれた古本屋で、なぜこれほどの物がそろえられるのだろうか、不思議だ。
「いらっしゃい。」
ずっと奥の方から、店主らしき人の声が届いた。
彼がその声に招かれるよう奥へと進んでいく。
私は背後に隠れるようにして、続いた。
一番店の奥まった場所で、籐の椅子に腰掛けて、卓上に足を乗せた男性が新聞を開いている。
歳は三十代前半ぐらいだろうか……。
黒色のコートに身を包み、丸縁の眼鏡が、ひどく様になった美男子だ。
この人が店の主人なのだろうか…?
「こんにちは、鷹志さん。」
眼鏡を中指で挙げながらの上目遣いで、鷹志と呼ばれた男がこちらに視線を這わせてきた。
それから小さいため息を一つ。
「夜月、遅い。」
鷹志と呼ばれた男が、彼の名を呼ぶ。
夜月さんって言うのか………。
「すいません、止むに止まれぬ事情があったもんですから…。」
へこへこと夜月さんが頭を下げた。
「知らんよ、遅刻は時間給十パーセントカットどんな理由があろうとね。」
「そう言わず、ほらっ。見てくださいよこれっ。」
夜月さん、先程から携えていた古本を彼の前に差し出す。
彼の眼が見開かれた、僅かに椅子に静めた腰が浮く。
「ほう、『誰にでもできる呪禁道』……俺の著書じゃないか。よくこんなもの探し出したな。」
じゅきんどう?
なんだろう、宗教か何かの事?
「二十年前に即絶版して、発行部数二百部という超レアものですよね、確かこれ。」
「若気の至りさ。泰山家に秘密裏で受け継がれてた術理の基本を大衆に垂れ流したんだからな……もっとも、誰も信じはしなかったが。」
呪理?
話がつかめない。
というより私という存在が無視されているような気がする。
「あ、あの……。」
遠慮がちに私は二人の興味を引く事にした。
この鷹志という男が、『寂光堂』の店主ならば……話すべき事があるのだから。
「すいません、泰山鷹志さん……ですよね?」
「……そうですが、何か?……おい、夜月、彼女は?」
「いえ、入り口前で会っただけで別に知り合いじゃないです。」
「なんだお前の彼女じゃないのか。」
「馬鹿言わんでください。だーれが、こんな陰気な場所に女の子を連れてくるっていうんです。そんな事したら、一発で俺の人格は疑われますよ。」
「店主の目の前で、陰気呼ばわりとは――。」
「お願いが会ってきたんですっ。」
自分でも驚くほど大きな声が出た。
二人共に会話を中断して私に注目する。
「噂は……。」
一度切り出してしまうと、私の口は滑らかになった。
「噂は聞いています。」
「何の…かね?」
そう言った鷹志さんの瞳は鋭角に尖り、剣呑な光が増している。
私を品定めしているようだ。
いや、もし……もし噂が本当とするならば文字通り品定めをしているに違いない。
だから私は、こんな馬鹿馬鹿しくて笑われるような科白を吐く。
藁にもすがるとはたぶんこんな状況の事を言うんだと思う。
仕方がないのだ。
「お願いです、私の命を救ってください。『寂光堂』はそういう所、なんでしょう?」
私には時間がないのだから……。
 
 
 
 
 
店先で出会った少女は、どうやら表の『寂光堂』ではなく、裏の『それ』に用事が在るらしい。
まずは通例通りに、鷹志さんが彼女…川崎翔子へ幾つかの質問を浴びせた。
読みかけの本で埋まった机の上に足を投げ出して、さらには丸縁の眼鏡から覗く鋭い視線。
鷹志さんの威圧ポーズは少女を固まらせるのに十分である。
「そんなにかしこまらなくてもいいよ。」
僕が苦笑を浮べながらフォローすると、翔子さんはこちらを向いて軽く頭を下げ、力無く笑った。
「こら、お前が仕切ってどうする。」
「鷹志さん、そんな怖い顔していたら、女の子はみんな逃げてっちゃいますよ。」
「余計なお世話だな。」
ぴくりとも表情を崩さずに鷹志さんは言葉を紡ぐ。
だから、その表情がいけないというのに……これだから彼の独身生活は続くのである。
僕は肩を諌めながら、隣の給湯室へと入った。
三つの湯飲みにお茶を入れ盆に乗せて持って行く。
二人の話はまだ、依頼内容についての話へ移行していない。
二人の前に湯飲みを置くと、僕は邪魔にならないよう二人の視界から外れた一角へ座った。
「翔子さんは、どうやってこの『寂光堂』を知ったのかね。」
「友達からです。………友達自身が知っていたんじゃなくて、その人自身も別の人から聞いたって言ってました。」
ゆっくり言葉を選びながら翔子さんは語る。
見た目通りに頭の良い少女のようだ。
簡単な自己紹介の際、彼女は自身の住所を明かしていない……まだこちらを警戒しているのだろう。
「君はこの『寂光堂』をどういう所だと聞いたのかな?」
「…不思議な力を使う者が…集う、場所だって……。」
不思議な力を持つものとは鷹志さん達、『退魔師』の事を指しているに違いない。
退魔師とは魔を消去する異能の持ち主達の事…。
永劫なる闇からいずる、異界からの使者。
それと対抗できる者達。
冗談みたいな話だが、僕はその事実を知っている。
なぜなら僕もまた……。
「信じるのかい?…そんな馬鹿げた話を。」
「……信じています。」
「本当?」
真実を見抜く漆黒の瞳には、頭上を照らす電球の光りが灯っていた。
深淵を思わせるこの瞳を僕はいたく気に入っている。
「…………本当…ではないです。すいません、実際の所はまったく半信半疑で…。」
「正直に言って結構。まったく信じていないのでしょう。」
よせば良いのに、鷹志さんは強い調子で翔子さんを責め立てる。
「……………。」
案の定、彼女は黙り込んでしまった。
こうなると僕は口を出さずに要られなくなる。
「鷹志さん、いじめるのはそれぐらいにしたらどうです?だいたい彼女はこの『寂光堂』に辿り着いているんですよ。十分じゃないですか、それで。」
本来、この『寂光堂』という場は、その存在を知るものには見えない場所なのだ。
店主である鷹志さんの手によって<反閇>の術が固定されているため、『寂光堂』の存在を知らぬものには辿りつけても、知る者、つまりは『寂光堂』を探そうとした場合、この空間は対象から完全に閉じてしまうのである。
反閇(へんばい)とはすなわち、平安の時代より派生した禁術の進化系、陰陽道の結界術の一つである、邪気を払いて正気を呼び込み魔なる者から気配を遠ざける業、しかし希代の陰陽術師である鷹志さんはこれを人払いの意気まで極めて『寂光堂』に応用しているわけだ。
「という事は、間違いなく彼女はトラブルに巻き込まれてるって証拠じゃないですか。」
そうしてこの<反閇>を抜ける鷹志さんの作った唯一無二のキーワードは"異質な気を保持する者達"である。
最初は気が付かなかったが、改めて注意して見ると、彼女の人としての気の周りには、微量ながら邪気が紛れている。
「話しながら、考えをまとめていたんだよ。まったく、お前はいちいちうるさい。妹に似てきたぞ。」
「考えって何です?」
「誰に任せるか、だ。嵩穂の奴は受験勉強で忙しいし――。」
嵩穂とは鷹志さんの妹に当たる。
兄に似ず素直で明るい少女で……彼女もまた泰山の家系よろしく陰陽術の使い手である。
現在、中学三年生の彼女は鷹志さんの言う通り某有名私立編入のため大忙しだ。
そういえば最近、見かけていない。
「だったら七瀬さんは――。」
「だめだ。彼女、連絡先も継げずにぶらりと旅に出てしまっている。」
鷹志さんと並んで無敵の力を誇る神道術師、七瀬薫さんも無理と来た。
……なんか、いやな予感がする。
鷹志さんの口の端が釣り上がって見えたのは錯覚だろうか。
「これは……しょうがないだろう。」
何がしょうがないだ。
既にこの瞬間で僕は彼の思惑を悟る。
「夜月。」
「はい。」
「やってくれるよな。」
やってくれるよな、イコールやれ、だ。
「………しょうがないですね。」
ほんとうにしぶしぶと僕は肯いた。
僕だって、大学の単位が危ういというのに……。
鷹志さんはにやりと作り笑いを浮べると、すぐに翔子さんの方へと向き直った。
両手を組んだ上に顎を乗せた。
そんな動作の一つ一つが妙に様になっている。
「さて…こちらの話は付きました。どうぞ、あなたの依頼内容、包み隠さず話してください。お力になりましょう。」
すらりとそう継げて、鷹志さんは双眸を閉じた。
瞬間、完全なる結界が場を閉ざした。
何者も……神さえの侵入も阻む泰山鷹志の結界である。



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