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Original Novel 遊真 Presents



寂光堂


月輪の法則

2 川崎翔子の追想



「はあ……。」
ため息が一つ、自然と出た。
市街から外れた緑の多い区域。
半分程開けられた窓の外から内へと流れ込む暖かい陽気。
眼下のグラウンドでは、体育の授業中である男子生徒達が100m走のタイムを測っていた。
常なら、腕を枕にして居眠りをしたいという欲求が出てきて、必死にそれと闘うのだが……。
しかし。
でるのはため息ばかり。
空の蒼と、学校を囲むように植えられた木々の緑との境界線上を何気なく見詰めて……担任の瀬能が黒板に書いて行く内容などまったくあずかりしらない。
「こらっ、川崎。」
当然、何時も口やかましい瀬能の叱責が飛ぶ。
皆の視線が彼女に注がれた。
「……………。」
「川崎翔子っ。」
「えっ…あっ、はいっ。」
二度呼ばれ、やっと気が付いた翔子は、慌てて伏せてあった英語の教科書を手に取った。
周りからくすくすと忍び笑う声が産まれる。
「えっと……あのぉ……どこから………。」
恐る恐る尋ねると、瀬能は腰に手を当て翔子を睨み付けた。
「聞いてなかったな。」
「………すいません…。」
「しばらく立っていろ。」
今時、生徒を立たせる教師なんていない。
歳は若いくせにこの瀬能という教師はやけに古臭い気質が見え隠れする。
自分では教師の鏡だ、とでも自画自賛しているのだろうが、今の女子高生から見れば、ただただうざったい存在だった。
「はい……。」
翔子はゆっくりと椅子から立ち上がると、そのまま廊下へと出た。
北側に位置するこの廊下は教室とは打って変わって冷ややかで、寝不足の身体が僅かだが引き締まる。
教室側の壁に寄りかかると翔子はもう何度目か解らないため息を吐いた。
 
 
「どうしちゃったのよぉー。翔子らしくもないじゃん。」
一口サイズの唐揚げを口に放り込みながら、柳瀬真帆が問い掛けた。
イチゴ牛乳なるブリックにストローを指していた翔子はそのままの姿勢で真帆を見る。
「何が?」
「何がって、さっきの授業に決まってるでしょお。」
「そんなに、らしくないかな。」
「らしくないって。授業ほったらかしてぼけっとしてるなんてさ。」
(それって私が真面目な優等生だから?)
屈託なく笑う真帆に、僅かな苛立ちを翔子は感じた。
自分がこれだけ苦しんでいるのに、彼女だけ呑気にしているのが許せない。
そんな八つ当たりでしかない負の感情が立ち上るのを長年培ってきた優等生の仮面が押さえた。
「…………何か悩みでもあるの?」
在ったらどうするというのだろう。
助けてくれる、相談にのってくれる……表面だけで……。
(嫌だな……。)
いつからこういう考え方が身に付いたのだろうか…。
真帆にさえも、そう考えてしまう自分に嫌悪感を感じる。
「……まあね。」
「へえっ、あるんだぁ。ねえねえ、それってもしかして男っ?」
(ああ、なるほど。…好奇心ってやつね…真帆らしい…。)
翔子は納得して、僅かに余裕を取り戻した。
現に貼り付けた笑みが嘘っぽくなくなっている。
「違うよ、もっと深刻なやつ。」
好奇心で聞いてくる内は話しても構わないと、翔子は考えた。
それならばただの冗談話として終わらせられる。
「じゃあ、何?」
「……お化け。」
できるだけそっけなく言うと、いちごミルクを一口含んだ。
「お化けって、あの『うらめしやー』って言うあれ?もしかして…。」
「そのもしかして。」
真帆の箸を持つ手が止まった。
「まじっ?」
答える代わりに翔子は、制服の袖を捲り、二の腕を見せた。
突然の行動に、出された腕と、翔子の顔を交互に真帆は見る。
「紐で縛られた跡があるでしょ?」
「えっ…う、うん。」
翔子の白く透き通った腕には、確かに、彼女の言う通り、紐の跡が残っていた。
手首から始まり、だいたい五、六センチ間隔でそれは続いている。
「朝起きると、あるのよ。私の腕に赤い紐が強く縛られてね。」
「ええっ、寝ている間に縛られるって事…?。」
「そう。寝る前に何も付いていないはずなのにね、起きると必ずあるんだ、これが。」
翔子は机の横に掛けた鞄から一条の赤い紐を取り出した。
見た限り普通の、裁縫用の糸に見える。
「誰かが付けているんじゃ…。」
「父さんは転勤中だし、母さんは旅行に出かけていないのよ?」
真帆の言葉を柔らかく遮って、翔子は話しを続ける。
「それにね、それだけじゃないの。見れば解ると思うけど、毎朝、毎朝この縛られている糸の位置が変わってくるの。」
翔子は手首にある、既に消えかかりそうな跡を指差した。
「これ、これが最初にあったものよ。それでそれが少しづつ……。」
ゆっくりその指を腕の付け根までづらしていく……。
「上へと上がって行く…。」
押さえた口調で淡々と話す翔子、真帆は唾を飲み込んだ。
「へえ……面白いつ…。」
「作り話じゃない。本当の事よ。」
「はははっ……。」
続く言葉を言い当てられごまかすような笑いを真帆が浮べた。
 
 
 
 
照度の少ない暗い店内の中で、翔子さんは明瞭に話しを進めて行く…。
僕はその話を聞きながら鷹志さんの顔を伺った。
何かを考えるよう、顎に手を置いたまま微動だにしない。
と…、鷹志さんが、彼女の話を遮った。
「話の腰を折ってすまないが、その、赤い糸というやつは今も持っているのかい?」
翔子さんは肯くと、膝に置いていた小さなバックから、例の紐を取り出した。
「ちょっと……いいかな?」
手渡された糸を目の前でぶらんと垂れ下げて、鷹志さんは、それを穴があくほど観察を続ける。
やがてずり下がった眼鏡を薬指で押し上げるとそれを掌に載せて僕たちを振り仰いだ。
「ただの糸じゃないな、これは。」
「どういう事です?」
僕は翔子さんと顔を見合わせてから鷹志さんに問い掛けた。
「強度といい、糸の細さといい……これは傀儡用の糸だ。」
「傀儡?…それって操り人形みたいなやつですか?」
「みたいなじゃなくて、そうだ。」
そう言うと、鷹志さんは赤い糸を握り締めた。
双眸を閉じて、聞き取れない言葉を呟く。
すると、握り締められた鷹志さんの手ごと真紅の陽炎が立ち昇った。
まるで闇に沈み込んでしまうような暗い色を纏った炎だ。
邪気を祓う浄化の炎……。
翔子さんの息を飲む音が隣に座る俺の耳に聞こえた。
彼女は目の前で展開される不可思議な出来事に対して言葉を継ぐ事が出来ずただただ眼を見張る。
しばし、緩やかなその炎の揺らめきが三人の顔を照らして……そして消えた。
火傷の跡一つもない掌を広げると…そこには何も存在していない。
赤い糸は消えていた。
「祓い……ですか?」
僕の問いかけに鷹志さんは静かに肯く。
「祓い?」
翔子さんの疑問。
鷹志さんが僕に説明してやれ、とばかりに目で合図を送った。
と言っても何から話せば良いと言うんだろうか……。
面倒な事はすべて僕に任せようとする……困る人だ。
「………良くテレビとかでやっているでしょう。誰それに取り憑いた悪霊の怨念を祓う…とか…。」
「はい。」
「まあ、それとある意味、同じような事なんだけど…。」
実際は違う。
あんな児戯にも等しい行為などと、鷹志さんの祓いは雲泥の差がある。
陰陽道五行を全て己のものとした彼の知識は古の神々にまさるとも劣らない。
ようするに、いつ作られたのか解らないような祭文(神仏を祭る時に使われる詞章)を棒読みするだけの似非神主と違い、本物なのだ、泰山鷹志という男は。
「対象に宿った邪気を退散させるそんな効果があるんだ。」
僕の話を吟味するようにしばらく沈黙した彼女は、はっとしたように鷹志を見返した。
「ちょ、ちょっとまってください。その祓いというものであの糸が消えたと言う事は…。」
僕もそれは既に考えていた。
鷹志さんの祓いがものの見事に効果を表した、赤い糸は、間違いなく…。
「ああ、あれは呪具だ。……正確に言えば、"呪い"だよ。……誰が何のために君へかけたかは解らないが。」
あっさりと、まるで何かのついでのようなそんな調子で鷹志さんは答えた。
「さて……君の話の裏が取れた所で…。話を進めてもらおうか?……まだ終わっていないのだろう翔子さん。」
 
 
 
 
(柳瀬真帆に話しをしたのは間違いだったかもしれない…。)
昼時、当たりの騒がしさに反して、翔子と私の間には水を打つような静けさが産まれていた。
翔子の背後では男子生徒が机を囲んで賭けトランプに乗じている。
時々、悲鳴、歓声の類が二人の耳に入ってくる。
「ねっ。」
真帆が沈黙に耐えられなくなって声を発する。
「何?」
「その赤い糸、見せてくんない?」
僅かに逡巡してから翔子はその赤い糸を机の上に置いた。
真帆がそれを手に取る。
窓から差し込む光に透かすように片方の目を瞑り、観察する。
「……ただの……糸だよね?これ……。」
「うん…私もそう思うけど。」
糸から翔子の方へ視線を戻した真帆は、にこっと悪戯っぽい笑みをうかべると、何を思ったかそれを手首に括り付けた。
「真帆ちゃん……?」
「こーやって、縛り付けて在ったんだよね?」
「……そうだけど…。」
掌を交互にひっくり返しながら、遊ぶ真帆。
「別に、何ともないんじゃない?……あまり気にしない方が良いよ。翔子ちゃんって何でも根を詰めちゃう質だから。もしかしたら、フラフラーって夢遊病者よろしく自分で縛ってるのかも……。」
そういって屈託なく笑う。
それで、翔子の不安を取り除いてやろうとしているつもりなのだろう…。
彼女自身、翔子の話した気味の悪い話を、不快に思っただろうに…。
苦笑混じりだが、久しぶりの笑みを翔子も浮べた。
真帆は腕に付けた糸を翔子に返す。
「ねっ、そんなことよりさ、今日、私につきあってくれない?」
―――――。
 
 
「結局ストレスが溜まってるんだよ。」
ガラスのショーケースに入れられたブランド物の化粧品に視線を這わせながら、真帆は言った。
「受験も近いし、…翔子ちゃんの所の両親ってどちらも家にいないから、相談事もできないし…。」
人差し指を立て、くるくると回しながら。
一つ一つ要因を羅列していく真帆。
翔子は彼女の背中を追いながら、問い掛けた。
「ノイローゼみたなものって事かしら…。」
「そう、それっ。」
くるりと振り向いて、真帆は翔子を指差す。
「まさにそれねっ、翔子ちゃんのその現象はそれが原因。」
当の本人の前で、あなたはノイローゼです、という真帆の無神経さに怒るよりも呆れて翔子は肩を諌めた。
「だ、か、ら。こんな風に生き抜きのつもりでショッピングするのも効果的よ。あぁ、なんて友達思いな、わたし。」
「でも、私、人込みってちょっと……苦手なのよね…。」
「だーからっ、そういう強迫観念がいけないの、ここは駄目だ、あそこは駄目だ、じゃなくて、ここもいいかなぁって考えて見るの、そうすれば結構、この世も楽しいもんよ。」
そう言いながら、真帆は商品の値札と財布の中身とを格闘していく。
どうやら財布の中身の方が負けたらしい。
あっさりと店から出ようと進言してきた。
店を出ると、途端に周囲は喧騒に包まれた。
学校帰りの学生がほとんどの割合を占めている。
翔子と真帆もその流れの中に入っていった。
遊歩道を歩きながら、小柄な真帆は翔子の顔を覗き込んでくる。
彼女は、とくとくと翔子を説教するように話し続けた。
移動している最中も、ファーストフード店に入った時も……翔子が辟易すほどその話を止めなかった。
だが、悪い気はしない。
自分の事を心配してくれるという事に、悪い気はしない。
うんざりとしつつも翔子は彼女の話しを漏らさず聞く。
そのうち、あの事についても、気が軽くなっていった。
ほとんど洗脳にちかいような気もしたが、真帆の言う事はあながちそうかもと思えてくる。
そうして日が暮れる時刻。
いつもの駅で二人は別れた。
「また明日」そう言って別れたのだ。
…………。
明日があるという事は間違いない事だと信じて疑わずに……。
 
 
 
 
 
…………。
周囲に並ぶ本棚の上にある置き時計が時を刻む。
カチカチと単調な音を刻む。
それを耳にかすめながら…私は話しを止めた。
………。
時には煩わしい時も合った。
だけど私にとって、唯一彼女は……友人と呼べる存在だったのだ……。
ここまで話しを進めた所で、私は自然と涙が零れている事に気づいた。
外もすっかりと暗くなり、さらに闇の濃くなった店内は、その事実を隠してくれる……有り難かった……。
私の話を静かに聞き継げる二人の男は、この日始めてあった人達だというのに、私に安心感を与えてくれる。
たぶん、それが涙を誘ったんだと思う。
私はそんなに強い人間でもない。
まだ話しは終わっていなかったけど……鷹志さんはこれだけの話ですべてを悟ったようだった。
無表情を装っているようで、僅かに眉間を寄せた顔が、沈痛な表情を形作っている。
「彼女は………。」
鷹志さんが口を開く。
真実を確認するため……。
「彼女は……柳瀬真帆という人は……。」
「鷹志さん…それは――。」
夜月さんが、それを遮ろうとして…そして口を閉ざした。
「亡くなったんですね。」
強くはっきりとそう私に告げる。
「あなたにかけられた"呪い"の肩代わりをして………亡くなった。赤い糸で…首を断ち切られた……そうでしょう?」
どこまでこの人には真実が見えているのだろうか……。
私は、ただ肯く。
「そして、あなたにかけられた"呪い"もまた続いている……そうでしょう?」
肯く。
「……では、契約をするとしますか。……『寂光堂』はあなたを間違いなく守ります。」



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