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Original Novel 遊真 Presents



寂光堂


月輪の法則

5 狂気を呼ぶ衛星



 
子の刻……。
つまりは午前零時。
まだ人々が寝静まるには、いささか早い時刻だが……。
閑静な住宅街は水を打ったような沈黙に包まれる。
唯一、聞こえてくる音と言えば、時々どこかで犬の遠吠えが聞こえる呑み。
カーテンのかけられていない窓からは、淡い月の光が漏れ入ってくる…。
僕は、身体にかけた毛布を剥ぐと、窓の側まで寄って行った。
昼の光の強さとはまた別の、優しい光…。
この部屋に宿った憎を、洗い流しているようだ…。
……いや、もしかしたら、ただ煽っているだけなのかもしれない。
人の心をかき乱し、狂わせる……そんな魔性的な部分を月は持っているのだから…。
僕は、懐から、一枚の符……鷹志さんに封じ込めてもらった、相棒を取り出した。
まるで、月光と共鳴するように、その符は僅かに震える。
「お前も、怖いか……。」
そう語り掛けると、ぴたりと震えが止んだ……強がっている…。
僕は苦笑を浮べると、またもや、中空に輝いた月に視線を這わす。
人を含め、この星に生きる生物は海より生まれた……。
そうして海は月の運行に多大な影響を受ける…。
ならば、自分達、ヒトという生物も、月の影響下にあるのではないか?
引き潮のように、心を安らげ……満ち潮のように、心を荒げる。
「阿呆か、僕は…。」
変な事を自分は考えている。
これもまた月の所業なのか……それともこの部屋に沈殿する瘴気のせいなのか……。
「…………。」
どちらでもいい事か。
今度こそ、僕の口からは笑いが零れた。
そうして、窓を全開に開けると、その縁に僕は乗り上げる。
外へ足を投げ出す格好で座った。
ささやかに流れ込む微風に煽られ、散髪するのを忘れた長い前髪が舞う。
身体全体に月の光を浴びる……日光浴ならぬ月光浴。
危険な仕事の最中に、僕は緊張の糸を緩めた。
そうして今日出会ったばかりで、屋根を同じくして夜を明かすという縁を持った少女、川崎翔子の事を考えてみる。
どこにでもいる少女だ。
"呪い"を受ける謂れなど無い様に見受けられる。
ただ、この大きな屋敷に住む程の娘である…言われない恨みを飼う可能性もあるだろう………しかし。
僕は一つだけ彼女に対して違和感を感じていた。
その違和感が何なのかというと……。
…………。
はっきりしない。
「あれ……?」
益々おかしい、改めてそれが何かを考えて見て、まったく頭に浮かんでこないのだ。
なんとも曖昧で、掃いて捨ててしまえば良い事だったと思うのだが……それでも気になる。
なんだったけ?
「うーーん。」
うんうん唸り続けながら、考え出す僕。
気になりだしたら止まらない性分なのである。
そうして十五分程唸り続けただろうか…………。
すっかりどつぼに嵌まり込んだ僕は。
「へっ、へっ……へっくしょいっ!!」
盛大なくしゃみと共に、身体を震わせた。
春とはいえ、夜風をまともに浴びていたのがまずかった。
はっくしょい…っくしょい……くしょい………しょい……ょい…い。
間抜けな音が、当たりに響き渡る。
慌てて僕は、縁から飛び降りると窓を閉めた。
近所迷惑もいいところである。
閉められた窓に近づき、外を観察した。
幸い、僕のくしゃみには誰もノーリアクション。
反省しているつもりで頭を軽くかきつつ、僕は、先程まで座っていた場所に戻った。
翔子さんから与えらた毛布を取り上げて、壁によりかかり…。
そのままづるづると座り込む。
そうして、前方に視線を戻して……!?
僕は、息を継ぐのを忘れた。
静かな部屋だ。
家具の一つも無い部屋だ。
むき出しのフローリングが月の光を反射して無機質な冷たさをいっそうアピールしている。
濁りきった澱む瘴気も変わらない。
僕は、この部屋唯一の窓と反対側の壁によさりかかり、毛布を羽織っている。
……それだ。
その窓が…問題だ…。
何故…。
何故窓が開いている。
間違いなくさっき閉めたはずだ、窓をっ。
冷涼とした外気が部屋の中を徐々に支配していく…。
僕は一瞬、呆然としたが次の時には毛布を蹴散らして立ち上がっていた。
立ち上がるのと、部屋が一切の闇に閉ざされるのは同時。
月の光を投げ込んでいた窓にシャッターが落されたかのように……。
窓があったはずの場所に僕は駆け寄る。
ガンっと何かに僕の爪先が当たった。
壁はある。
さらに両手を這わせると…滑らかな手触り。
窓も確かにここにある。
僕はその壁を背にして、周囲の闇を必死でみつめた。
駄目だ……何も、見えない。
焦りから額に嫌な汗が出る。
懐から相棒の符を取り出した。
来るならば………来い……。
「なあ……。」
あっさりと…。
心中の呟きを聞いたかのように、答えが返った。
僕は思わず自分の口に手を当てる。
自分の口がそう言葉を紡いだのかと錯覚したのだ。
それほど…僕自身と同じ…声。
それは背後から聞こえた。
「なあ、聞いているの?」
窓を背にしたはずの僕の背後から…………ありえるはずがない。
「こっち向いてよ。」
何か楽しむような口調が、こんな状況では悪魔的な不気味さを放つ。
「………向いたら、どうなるんだよ。」
僕は己の恐怖と闘いながら、そう挑戦的に言ってやった。
符を持った手がじっとりと汗で濡れて行く…。
「面白い事が……起きるよ。二番目の友達。」
二番目の…友達?
「………一番目の友達は、真帆って子か?」
「そう…だけどすぐ死んだよ。少し遊んだだけで彼女の首が取れたから。」
愉悦の篭った声だ。
僕は直感した、こいつは楽しんでいる、まるで子供が虫を殺して遊ぶような無邪気さで…人の命を奪う事を楽しんでいる……。
それが僕の琴線に触れた。
同時に恐怖は止んだ、それにもまして湧き上がるものがある。
個人的にどんな恨みがあろうと……。
人の死を……。
「なんだと思ってるっ!」
激情にまかせて振り返る。
想像した通り、そこには僕がいた、もちろんそれは擬態に決まっている。
にっと口の端を不気味に釣り上げて笑う僕。
その首には、あの……赤い糸。
「なっ!?」
つられる様にして、自分の首を見た僕は愕然とした。
窓ガラスに写し出された自分と同様、僕の首にも、いつのまにか赤い糸が絡まっている。
ぞわり、危機感が走った。
この糸はまずい。
慌てて、糸に手を這わせたが、ぴっちりと首に巻きついていて、間に指を入れる事も出来ない。
じわじわと糸はきつくなっていく。
このままくびり殺す気か!?
笑い続ける、ガラスの中の僕に、僕は渾身の力で拳を叩き込んだ。
鈍い音と共に、殴った手に鈍痛が走る。
ガラスは割れるどころか、びくりともしない。
一瞬、殴った場所を中心にして、波紋が広がり、奴の姿が歪んだだけ…。
それも直ぐに元に戻る。
結界だ。
この部屋はいつのまにか敵の領域に変わっていた。
「くあっ……くっ………。」
ふつふつと吹き出した血の沫がいっそう、あがく手を滑らせる。
酸欠状態で足元がふらついてきた。
と、何か紙切れのようなものを踏んで、僕は大きくバランスを崩した。
盛大に床へ叩き付けられる。
なにを……踏んだんだ?
溺れるものが藁でも掴む用に。
朦朧とした意識の中、そんな他愛も無い事がどうしても気になって手を床に這わせた。
かさりと、触れる感触。
先程まで手に持っていたあの符だ。
僕は、最後の力を振り絞ってその符を縦に引き裂いたっ!



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