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Original Novel 遊真 Presents



寂光堂


月輪の法則

8 一つの鍵



夕刻。
強く降り注ぐ西日を遮蔽するために降ろされたブラインドから、赤い光が僅かに漏れいずる。
この不況下において、この時刻に活気のあるオフィスは珍しいだろう。
サラリーマンは家路へと着く為、はたまた同僚と酒を酌み交わす為、街路に溢れている。
だが、国に仕えるサラリーマンにそんな通例はありえなかった。
世の犯罪に好景気はあっても不景気は存在しない。
並べられたデスクの上を、多くの声が行き交う。
今年、晴れて警部へと昇進した、楠誠司もまたその中で奮闘する人間の一人であった。
「おいっ、西澤っ、例の件の調べはどうなってんだっ!」
額の怪しくなった頭をぼりぼりと掻きながら、指示を飛ばす。
煙草を咥えながら大した声量である。
西澤と呼ばれた若い刑事は、直立不動で立ち上がると。
「すいません、まだ全部のリストは…」
「馬鹿野郎っ、さぼってんじゃねえっ!さっさと調べちまえっ!!」
「は、はいぃっ!!」
慌てて部屋を出ていく。
咥え煙草を、ぶっと灰皿に吹き出すと誠司は歓談をしている婦警達に苛立ちをぶつけた。
「おいっ、コーヒーっ!」
昨今、セクハラと訴えられかねないような事を言って、紙コップを握り潰すと、紙屑で一杯になったごみ箱へそれを放り込む。
と、今まで微妙なバランスを保っていたゴミの山がずるずる崩れ落ちていった。
誠司は、ちっと舌打ちをすると、席を立ちそれを拾い始める。
誠司にコーヒーを注文された婦警は、いい気味だとばかり笑いながら、給湯室へと入っていった。
「くそっ」
誠司の目に見えた苛立ちは、今朝入ってきた殺人事件にあった。
まったくもって、面倒な事件が舞い込んできたものである。
ちょうど別の山を追いかけていた誠司は、上司から掛け持ちをするよう命じられ、目が回るほどの忙しさに見舞われた。
それで給料が定額なのだから国のシステムに、できるならば毒づきたい気分。
それが敵わないから部下に当たる。
当然、部下には倦厭されてしまう。
この三段論法にも誠司は怒りをぶつけたくなる。
とにもかくにも。
(犯人の野郎っ、とっつかまえて叩き殺してやるっ)
これが彼の心の声だ。
「どーぞ」
今年配属されたばかりの婦警が、彼の乱雑したデスクの上にコーヒーのコップを置いた。
「あの、楠警部……」
「あん?」
出されたコーヒーに口を付けながら、隣の婦警を振り返る。
「楠警部の御友達という方が来ていますけど…」
ちらりと部屋のドアへ一瞥を送った婦警に釣られる様、そちらを見やった誠司は、ドアの手前に立つ漆黒の男を見付け、腰を浮かせた。
均整の取れた長身。
春先だというのに、身を包んだ黒のコート。
女性も羨望するような奇麗で長い黒髪。
端正な顔立ちには、怜悧は笑みが貼り付けられている。
目の中に入った瞬間、彼がだれであるかを誠司は悟っていた。
目に焼き付いてしまっていると言っても過言ではないだろう。
それほどの存在感が、彼から発せられている。
「どういった関係なんですか?」
神懸かり的な美貌の男性と、どうみても野生児出身と思われる誠司との繋がりがどうしても読めなくて、婦警がそんな事を尋ねる。
「仕事上の関係だよ」
それだけを告げると、誠司はのっそりと立ち上がった。
「会議室空いているよな?」
婦警に尋ねると、ええ、と言う返事。
「会議室で待っていてくれないか。覚えているだろう」
そう男に声をかけると、軽く肯いて、男は、部屋を出ていった。
泰山鷹志。
それが彼の名前だ。

 
 
「で、あんたが興味を示した事件ってのはなんなんだ?」
窓越しから、朱の斜陽を眺めつつ、背後の鷹志に誠司はまず、そんな言葉を送った。
ふふっ、と泡沫の如き笑い声が聞こえてくる。
「察しが早いですね。俺があなたに会いたくなって訪ねにきたとは思わないんですか?」
鷹志の戯れ言に、ふん、と誠司は鼻を鳴らす。
「あんたが興味を持つほどの男じゃないだろ、俺は」
「それは、己を過小評価し過ぎだ、警部殿」
「皮肉か?」
ある事件の犯人を挙げた事が切っ掛けで彼は今年、警部に昇進したのだ。
その犯人検挙への多大な尽力となったのが泰山鷹志、その人である。
「皮肉に聞こえたのなら、謝罪します」
衣擦れの音が微かに耳に届く。
どうやら言葉どおりに頭を下げたらしい。
誠司は、夕焼けの拝観を止めて、鷹志へと向き直った。
「今朝見つかった首無しの死体か? そうだろ」
「御明察、警部殿の慧眼には感服いたします」
「だから、皮肉はよせと言ってるだろうっ」
「失礼」
まったく、こちらの言葉には耳を貸していない。
なんとなくからかわれている気がして、誠司は面白くない。
十年以上の歳の開きがあるというのに、自分が子供扱いされているようだ。
「その首無し遺体の身元は解ったんですか」
「まだだ」
その問い掛けを皮切りにして、淀みなく鷹志は質問を浴びせ掛けてきた。
「遺棄されていた、具体的な場所は?」
「……篠山公園の東口にすぐあるベンチがあるんだが…その裏の林の中だ」
「目立たない場所という事ですか?」
「いや、知っての通り、あそこは付近住人の受けが良い。二周に一回、土曜になると業者が奇麗に剪定していくんだ。視界を遮るような物騒な場所はどこにもない」
まるで、催眠術をかけられたように、誠司は情報をリークしていく。
言葉巧みに引き出してくるのではない、鷹志はただ質問を投げかけてくるだけなのにだ。
「おかしいですね」
「おかしい?…どこが」
「業者が毎週剪定をするのなら、その時に遺体は発見されるはずでしょう」
「ああ、もちろん。こちらもその点については調べを入れている所――」
「無理だ」
ぽつりと零した鷹志の独り言を誠司は聞きとがめた。
(無理だと…?)
その言葉について説明を求めようと、誠司が口を開く機先を制して鷹志が訪ねた。
「鑑識結果を教えてくれませんか」
なぜそんな事を言わなければならない。
そう頭の片隅で思いつつ、口だけが別人のように、なめらかに滑った。
「死因は頚部切断の即死。白骨化の進行具合から死後一ヶ月以上。骨格上、一人は五十代半ばの男性、もう一人は四十代前半の女性と判断された。」
鷹志の眉が訝し気に、寄せられる。
「随分と、年齢が絞られていますね」
「ああ、あんた程ではないが、人間もたいしたものだろう」
警察のではなく、人間の、と誠司が言った事に、重要なファクターが隠されている。
鷹志を警察外の者としてではなく、人間外の者として、彼は、泰山鷹志という者を捉えているのだ。
鷹志は口元に右拳を持ってきて、静かに微笑する。
「警部殿、その二つの遺体を見せて貰いたいのだが……」
「却下」
そこで初めて誠司は鷹志の言葉に抵抗する事ができた。
心なしか鷹志の目が賛嘆しているかのように見開かれたのは、こちらの気のせいだろうか……。
しかし、にべもなくそう言い切る事の出来た誠司に、鷹志は驚くべき言葉を用意していた。
「見せてくれれば、その遺体が誰のものであるか教えます」
唖然とする誠司。
「五十代半ばの男性と四十代前半の女性、その情報でだいたい確証は得ました。どうです、これは交換条件ですが」
そう言った鷹志の口元は終始笑みを崩さなかった。

 
 
いつ来ても、霊安室というものは気分が悪いものだと誠司は素直にそう思う。
腐敗を助長しないように、低温に保たれた暗い部屋。
それでも微量ながら死臭が、誠司の鼻を付く。
四つの靴が硬質な音を立てて、ある寝台まで来て止まった。
「これが、例の奴だ」
「なるほど、首の部分がぽっかりない」
被せられたシーツは、人型をしているが、ちょうど頭部の部位にくると、理不尽にも、シーツがくたくたと沈み込んでいる。
誠司が手に取るよりも早く、鷹志は、シーツの裾を取ると。
何のためらいもなくそれを退けた。
首無し死体のお目見えである。
職業上、これら変死体はよく拝むが、やはり気分の良いものではない。
咥えてこのような場所で見るとなると尚更だ。
できるだけそれからは視線を逸らし、鷹志の様子を観察する。
じっと、その死体を見詰めて、彼は微動だにしない。
いや、密かに、口元が小刻みに動いている。
何か言葉を発しているらしいが、誠司には聞き取れなかった。
「なんだ?」
誠司がその奇行について訪ねると、お祓いですよ、という返事。
それから一つ息を吐いて、彼の用件はすべて済んだようだ。
シーツを遺体に被せる。
「それだけか?」
拍子抜けするほどあっさりと用事が済み、誠司は呆れるような目で鷹志を見た。
「憑き祓いです。禍根は種子の段階から燃やしていくもの」
意味の分からない事を言って、鷹志は霊安室を出ようとする。
「お、おい。ちょっと待て」
その彼の肩を掴んで呼び止める。
「交換条件だろ?」
「何が?」
呆けようとする鷹志に誠司の表情が剣呑になった。
同時に鷹志が口の端を上げて笑った。
「冗談、もちろん約束は守ります」
「誰なんだ、この二つの遺体は」
まるで鷹志が犯人であるかのように問い詰めてくる誠司。
鷹志は、もったいぶらず、すぱっと簡潔に答えた。
「川崎寛と川崎洋子です」
さらに言葉を加える。
「一人娘の川崎翔子という子が身元を確認できると思いますよ」



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