Back/Index/Next
Original Novel 遊真 Presents



寂光堂


月輪の法則

9 月の事情



巨木の生い茂る、古き森がある……。
幾重にも重なり合った木々の合間から、降り込む日差しは限りなく……柔らかい。
時折吹く風の音が、葉擦れの音との二重奏となる……。
どこかでトンビの鳴く声が聞こえた。
僕と僕は、湿った大地に腰を落し、歌を歌う。
それが僕達の日課だった。
………日課というと語弊があるかもしれない、これは遊び。
僕達に許された、たった一つの遊戯。
自然のオーケストラと共に、僕と僕の歌は僕達の心の中で響く。
やがて僕達は立ち上がる。
二本の足に二対の魂を乗せて立ち上がる。
そうして前触れもなく駆け出した。
幹と幹の合間を抜けて、風のように、吹き抜けて……。
下草を踏みつけて……干上がらない水溜まりを踏みつけて……。
前へ、前へと……。
その向こうに切り開かれた世界へ向かって…。

 
 
目を覚ましたら、そこは闇だった。
果て?
と思って首だけを動かすと、目覚まし時計の針が発光していた。
一時二十分と早朝の宿敵は俺へ主張している
疑問は氷解した。
要するに俺は、あのまま八時間程寝っていたという事だ。
窓の外にはとっくに闇の帳が落ちていた。
昨夜と違い、月のない夜である。
のっそりと起き上がり、手探りで蛍光燈のスイッチを探した。
手に当たった紐を引く。
部屋の闇が一気に払拭された。
隅々までに人工的な光が行き渡る。
明るさに慣れない目を数度瞬かせてから、俺は一つ大きな欠伸をかましてやった。
ついで腰に手を置き、二度三度と回転させる。
硬い畳の上で寝た身体をほぐす。
それから腹に手を当てて…。
「腹へった」
誰に言うわけでもなく独り呟く。
台所へと向かった。
何か簡易食品はないかと、棚の中、冷蔵庫と荒らしまわるが特に、そのようなものはない。
あるのは、イワシやらなんやらの魚介類と、ほうれん草、レタス、にんじんなどの野菜類。
魚は嫌いだし、野菜も嫌いだ。
大学生の癖に、カップラーメンの一つもストックがないとは…。
奴と俺では、まるで好みが違う。
一年というブランクの間に、この部屋はあいつの色で染められていた。
「コンビニにでも行くか…」
またも独り呟き、脱ぎ捨てた靴を器用に履いていく。
夜空は黒のペンキで塗り固められたかのように、暗かった。
廊下に灯った電灯は古く、数秒間隔で瞬いている。
湿った夜気。
光の色彩がぼやけ、靄が当たりを支配している事に気づく。
ぼやける……か。
……いつの日からだろう。
俺の進むべき道がぼやけはじめたのは……。
現実と虚実の狭間、陥穽に嵌まったってしまったのは、何時だ?
他に考える事がないと俺は、すぐにこの、解ける事のない難題へ立ち向かう。
過去の記憶を思い出す。
現に俺は先程まで幻想の世界に在った。
まだ俺と奴が一つであった時代。
俺と奴……本当に夜月であるのはどちらなのか。
一緒であった時は考える必要もなかった事が、今、俺が唯一恐怖するものとして、圧し掛かる。
それが、俺の陥穽、俺の靄。
どちらが虚構の存在なのだ?
「弱いな、俺は」
そう、弱い。
俺はとことん弱い。
独りになるのが怖い。
俺と言う存在を誰かに認められなければ、揺るいでしまう。
威勢がいい癖に、奴と比べて全然からっきしだ。
手前に見えた十字交差を右に折れる。
曲がれば数歩も歩かない内に、最近出来たばかりのコンビニが………。
ない。
ない代わりに、独りの男性が立っていた。
俺の思考は中断される。
「鷹志さん…?」
180近くある俺の頭一個分高い背。
まるでこの闇に溶け込んでしまいそうな濃色のダークコート。
僅かな微風にも舞う、繊細な黒髪。
彼以外にありえない。
「こんな所で会うとは奇遇だな」
夜中の二時、しかも俺のアパートの近く、このどこが……。
「どこが奇遇ですか、どこが」
狙い澄ましたかのように、待ち構えている。
もしかしたらこの男は、人の心まで読む事ができるのかもしれない。
「奇遇だよ。お前に会おうとした俺の気まぐれが、奇遇だ」
「悪趣味な奴……」
俺は顔を俯けぼそりと呟いた。
「この夜更けに、ぶつぶつ言いながら歩いている夜月には言われたくない」
しっかり聞こえている。
「考えても詮無き事を、また考えていたか」
「鷹志さんには、関係ないね。ほっといてくれ」
「布都御魂剣と夜月、どちらが主人格なのか、か。何度も言うが、お前達二人は二重人格などという浅学な心理分析で説明できるものではない。二人で一対の魂。どちらも欠けてはならず、等価の存在さ」
「…………」
黙り込んだ俺に、鷹志さんはコートを翻した。
そして、肩越しにこちらを振り向き、歩き出す。
少し付き合え、という事らしい。
彼の後に続く。
「まあ、いいさ。若い内は大いに悩め。人間は考える動物だからな、止めろとは言えん」
鷹志さんは夜空へ視線を彷徨せながら音も立てずに歩く。
「……用事はなんですか…」
たぶん俺の声音は、かなり陰気だったと思う。
ずかずかと俺の心の内を覗く鷹志さんに僅かながら憤りを感じていた。
そんな胸中を知ってか、彼は含んだ笑みを漏らした。
「………どいつも、同じ事を言うな」
「どういう事です」
「ふん、つい最近会った知人も、俺に会うなりそんな言葉を吐いた」
その知人とやらの気持ちは良く解る。
どこまでも続く寂しい細道を歩きながら俺はしきりに肯いた。
と、鷹志さんの足が止まる。
「月が……出ていないな…」
突然、意味の解らない事を言い出した。
「月、ですか」
それがどうした。
「この世は、陰と陽、この二つより産まれた。すなわち陰陽道」
また、何の前振りも無く…。
話しが変わる。
「闇より生まれ出て、光より産まれ出でるものは何か……簡単な謎掛けだ」
鷹志さんがこちらへ身体を向ける。
答えてみろ、とその目が言っていた。
直ぐに答えは頭の中で像を結んだ。
「月」
鷹志さんが肯く。
「月とは…陰と陽の二つの極を持ちしもの。そして生の親なり」
「生の親?」
「月が満ちれば赤子が誕生するだろう」
ああ、そういう事か。
彼が迷信的な見地を持ち出すとは珍しい。
「それも陰陽道と関係があるんですか?」
鷹志さんはゆっくりと首を振るう。
「いや……、これは俺の持論だ。鷹志的陰陽道とでも命名しようか?」
「止めた方が良いですよ。それじゃ誰も門下生が寄ってこない」
「だな」
顔を見合わせて、深夜の屋外で、俺と鷹志さん、大の大人が二人して笑い合った、あからさまに怪しい。
笑いが一段落すると、鷹志さんは再び常のポーカーフェイスをかぶった。
「夜月、存在とは二極面だ。どちらか一方では成り立たない、忘れるな」
「忘れるなって…言っても」
「そうして月は、二極面を引き出すもの。……これは忠告だ。そしてそれが俺の用事でもある…」
その言葉と同時に。
すっと意識が遠くなった。
鷹志さんの姿がずんずんと遠ざかっていく錯覚に陥る。
どこまでも、どこまでも……やがて胡麻粒程のシルエットは、完全に消えた。
半拍の後。
コンビニエンスストアーの夜を徹した明りが、俺を照らしていた。



Back/Top/Next