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Original Novel 遊真 Presents


くるくると世界が回転する。
その遠心力に私は引き裂かれそうな快感をを感じた。
ただただ、私は回り続ける、手を広げ、嬌声を上げ、まわり続ける。
ああっ、このまま消えてしまいそうだ……。
 
 


寂光堂


月輪の法則

10 思惑が廻る



白い帯が風に舞うように、くるくると回る。
熱い湯気を立てるカップに、ミルクを一匙入れると、翔子は二、三度それを掻き回した。
やがて帯は、黒い液体に拡販して消える。
混ざり合って、色が薄くなったカップの中身を俺は肩肘をつきながら見詰めていた。
「あの……」
翔子が様子を伺うように、ちらちらとこちらを見る。
「私のコーヒーになにか?」
「いや、別に」
俺は、視線を、自身のカップに注いだ。
ブラックだ。
何ものも混ざらない純粋な黒。
俺はこのブラックが酷く気に入っている。
甘い匂いとは裏腹に、こちらを小馬鹿にしたような苦味もまた好きだ。
「夜月さんってブラックで、飲むんですね。以外にも」
以外ねぇ……。
「どちらかというと、鷹志さんなんかが飲んでいると、凄く似合うと思うんですけど」
「期待にそぐわなく、あの人は、信じられない程の甘党だよ。先日なんて、砂糖を飽和する限界までコーヒーに入れてたから」
俺は話しのネタに鷹志さんの奇行を更にばらす。
「ショートケーキを主食に、ぜんざいを飲料として、餡蜜を食後のデザート……なんていう破滅的な献立を組んだ前科も一犯や二犯どころじゃない」
すべてノンフィクションだ。
「凄い」
翔子が、カップを口元へ持っていった右手を硬直させて驚く。
俺なんか話しをしただけで、口の中が甘ったるくなってしまった。
口直しの一口。
「それで成人病とか大丈夫なんですか?」
翔子は女子高生らしからぬ心配をする。
「どうだろう、もしそうなったら笑ってやるけどね」
糖尿病患者になった鷹志さんを想像して、俺は笑み零す。
絶対にありえない。
「あの……鷹志さんって幾つなんですか?」
「今年二十八、とさば読んでたけど、………三十三だ、確か」
鷹志さんの年齢は、俺が彼と出会った五年前から変わっていない。
案外、潔良くない男なのだ。
「だったら、やっぱり甘いものは控えないと……」
「心配するだけ時間の無駄さ。絶対に人の話しに耳を貸さない人だから。それに自分の身体は自分が一番良く知っている、だろ? 自己管理もできないような馬鹿な人じゃない」
「……それもそう、ですよね」
あの人の心配をするぐらいなら、翔子は大いに、自分の心配をするべきだ。
まずは…。
「で、どうなんだ。あれから」
俺は、ここでやっと本文へ立ち戻った。
俺の台詞に、翔子は軽く首を捻る。
たぶん、俺の言葉使いに、少なからず違和感を感じているのだろう。
こちらとしても、奴の振りをするのがベストだと思ったが、俺はやはり俺だ。
第一、丁寧な言葉など、どんなに語彙を絞った所で、俺からは出て来やしない。
「はい、あれからは何事もおきません、っと言ってもまだ一日しか経っていませんけどね」
「それでも、赤い糸は発現しないんだろ」
「はい。」
ならば完全に呪いは断たれたと言う事だ。
「でも、呪いを私に掛けた人は……まだ生きているんですよね」
生きている……か。
穏やかでない言葉だ。
表情にはまったく出ていないが、親友を殺された事により激しく憎悪しているのだろう、相手を。
「ああ、例え呪詛返しと言えども、瞬殺するような力は俺にない」
鷹志さんは別だが…。
もとより俺に相手を殺す……もとい、人を殺す意志などこれっぽちもない。
ただ行動不能状態にまで痛めつける、そのために呪詛返しを打ったのだ。
「だが、相手にはもう手札はない。一度返されてしまった呪術をもう一度かけてくるのは、はっきりいって勇気があるというよりも無謀に値する。他のバリエーションがあるならまだしも、鷹志さんが言うには、相手は素人に毛が生えた程度という事だし…」
もっとも俺が対峙した呪いは、思ったよりも強力な物だったが。
「それでも……相手が解らないというのは、気味が悪いです……」
翔子の言う事は正しい。
俺は、軽く頭を掻きながら、視線を外界と隔てた薄茶色の強化ガラスへ向けた。
平日の昼。
一時の休息を得たサラリーマン、OLが歩道を慌ただしく歩いている。
雑多な騒音はこのガラス壁に遮られて届かないが、彼等の発する気は荒く、乱れて感覚的に俺を刺激する。
…………。
この中に、敵はいるのかもしれないのだ。
翔子を、憎悪の対象として、監視し続けているのかもしれないのだ。
例えば、道路沿いに止められた無断駐車の車内から。
例えば、真向かいのビルのどこかから………。
更に、視線を店内に戻す。
名は知らないが、緩やかで落ち着いた交響曲が耳に届く。
時折、近くの席から談笑が聞こえてくる。
……………。
この中にもまた、敵はいる。
その可能性は消す事ができない。
俺のまさに背後の席にいるかもしれないし、彼女の背後の席にいるのかもしれない。
………つまり、彼女に気の休まる時間が無いのだ。
呪いは封じても、それ以前の問題で彼女が体調を壊してしまうだろう。
俺は、翔子へと視線を合わした。
彼女の憂いを帯びた瞳から目を逸らさず、逆に射抜く。
「だったら、犯人探しと行くか」
「犯人探し?」
彼女が反復する。
「ああ、呪いをかけた奴が、まさか全然見知らぬ赤の他人というわけでもないだろう。警察じゃないが、あんたの周囲を順に洗って行けば、ひょっとすると特定できるかもしれない」
「本当ですか?」
「絶対じゃないけどな。何もせずに、仕掛けて来るかも解らない相手のアクションを待つよりは懸命さ」
俺はテーブルに置かれた伝票を取ると、すっくと立ち上がった。
釣られて彼女も立ち上がる。
「どこへ?」
「とりあえず、あんたが仮病を使って休んでいる、学校へ行ってみる。接点があるとして一番怪しいのは、そこだろ」
そう言葉を残し、俺はレジに向かい……かけて。
立ち止まる。
「夜月さん」
不思議そうに俺を見る翔子。
俺は出もしない汗を拭きながら、彼女の手に伝票を託した。
「悪い、財布忘れた」

 
 
 
市内の雑多な交通網から抜け出し、緑の気配がちらほらと見え出す。
視界に止まる景色はどんどんと、後方へ流されて行く。
川崎翔子の通う高校は、市の中心から外れた近郊にあるという事だ。
俺は、バスの産み出す不快な振動を感じながら、運転席の頭上の料金表に目を這わせる。
530円、市バスは経営悪化で退き、私営になったがためのこの料金だ。
一銭も持たない俺にとって、安いも高いも関係ないのだが、金を借りる身としては肩身が狭い。
「明日にでも、倍額で返すから」
俺は料金表をにらみつけながら、隣に座る、翔子にぼそりと言う。
「えっ? ……何が、返すんですか……?」
彼女に貸したという観念はないようだ。
俺は首を軽く振って、ため息を吐く。
「いや、なんでもない………」
後で有無を言わさず返せば言い。
しっかし、……格好悪過ぎだ。
俺は窓枠に肘を置くと、額に手を当てた。
ふてくされるように、そのまま目を閉じる。
「………夜月さん」
閉じると同時に、翔子が俺を呼ぶ。
「なに」
素っ気無く俺は応答する。
「一つ聞いてもいいですか?」
何を聞いたいのだろう?
俺は閉じたばかりの目を開き、彼女の方へ顔を向ける。
開け放たれた、窓から吹き込む暖かい風が、彼女の髪を柔らかく舞わせていた。
それぞれの角度から、彼女の黒髪に陽光が当たり、乱反射するように輝く。
滑稽な事だが、俺はこの時始めて彼女の容姿の異端さに気づいた。
異端…というと語弊があるかもしれない。
……異彩。
そう異彩だ。
脱色などせず、自然なままに薄い色を持つ髪、光が反射したのはこのためなのだろう。
そうして、同じく色素の薄い瞳、やや蒼が混ざっている…。
川崎翔子は、ハーフなのだろうか? それともクォーターなのか?
「別に構わないけど、……聞いてやる代わりに、一つ注文。そのですます調はやめてくれないか」
俺は突如振って湧いたどうでもいい疑問を押し込めるため、こめかみを指先で軽く小突いた。
「えっ!?」
「えっ、じゃない」
「で、でも……」
「でも、でもない。俺だって言葉使い変えてるだろ?」
これは反転したためであるが、この際、そう言って置こう。
「会って間もない人に、そんな言葉使いは、失礼にあたるんじゃ……。」
「布椎夜月、21歳、拓英大学二年生、現在家賃三万円のボロアパートで一人暮らし。好きな食べ物は、やや焦げ目のついた肉入りお好み焼き。嫌いな食べ物は、野菜、魚介類全般。趣味は身体を動かす事、特に居合道、空手道、柔道やらの格闘技系は大好きだ。尊敬する人は両親、………なんて言う奴は馬鹿だアホだと思う今日このごろ」
俺は彼女の言葉を遮って一気に捲し立てた。
ポカンと小さな口を開け、彼女は唖然とする。
にやりと笑ってやって。
「これで、あんたは俺の事をかなり知ったぜ。これ以上の事を知っている奴なんざ、鷹志さんと、その妹だけだ。よって川崎翔子は俺にとって第三番目の知人と相成るわけ」
「そんな強引な……」
「強引? 結構結構。良く解ってるじゃないか、俺の本性を」
「…………」
一瞬、俺と翔子の前に、沈黙が降りた。
そして、最初に彼女が含み笑いを漏らす、続いて俺も笑う。
「負け、です。私の完敗」
笑いながら言葉を継ぐ翔子。
「でも、そんな簡単に夜月さんみたいにはできない。だからですます調が混ざるかも」
「それで、オッケー」
ふふっ、と拳を作った手を口元に置き彼女はまだ笑っている。
そうして突然思い出したかのように、俺を見た。
「何か聞きたい事があるって言ってたよな」
機先を制して俺が訪ねると、彼女は肯いた。
「何を聞きたい」
「夜月さんと、鷹志さんってどういう関係なのかなって」



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