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Original Novel 遊真 Presents



寂光堂


月輪の法則

11 夜月の過去



「俺と鷹志さんとの関係ねぇ」
俺は語尾を濁すと、苦笑いを浮べて額に手を当てた。
そんな動作に、俺の戸惑いを感じ取ったのだろう、慌てて翔子が手を振る。
「話づらいのなら、別に……。ごめんなさい、立ち入った事を聞いて……」
俺はバスの低い天井をほんの一瞬睨みつけて。
「俺が鷹志さんと出会ったのは、五年前…」
前置きもなく話し出した。
手を振っていた彼女の動きが止まる。
「その時、俺は孤児院にいてさ」
「孤児院!?…………夜月さんの両親は…」
立ち入った事を聞いていると理解しながらも、口を滑らす翔子。
しかも、言ってしまった後、ひどく後悔した表情を浮べる。
感情の推移が手に取るよう、解る。
俺は苦笑した。
別に、こんな事はどれだけ喋べっても構わない事だ。
それこそ全国ネット生中継にしても意には返さない。
ただ、こんな世にも不幸そうな話をすると、必ず聞き手側が、気まずくなるので、あえて話さないのだ。
「死んだよ、両方ともあっさりと死んでくれやがった。その上、親戚の一人もいなかったからなぁ、即、施設直行ってわけ」
「……………」
案の定、顔を俯かせて、黙りこくる。
俺は、彼女の長い奇麗な髪の毛を一房掴み、くん、と軽く引っ張ってやった。
それで彼女の顔が上がる。
少し涙目だったが気にしない。
「あのな、人の話しは最後まで聞けよ。あっ、それから一言いっとくけど、可哀相だなぁ、なんて思うんじゃねえぞ。失礼だからな、そんな独り善がりの考えは」
他人の人生を可哀相などとと思った時点で、そいつは自身よりも相手の通ってきた道を悪路とみなしている。
一度しかない人の人生にけちをつけるのは、優しさでもなんでもない。
少なくとも俺は、他の誰よりも最高な生き方をしているんだと思いたいのだ。
それが強がりだとしても。
「俺は、両親が死んでくれて、良かったとは思ってないけど、悪かったとも思っていない。だってそうだろ、でなければ、俺は鷹志さんには会えなかったんだ」
そこまで強い口調で言うと、今度はがらりと調子を変えた。
「鷹志さんは、俺のもう一人の親も同然。俺を引き取ってくれた人さ」
すっと、バス内が薄暗くなる。
ちょうど欅の並木通りにはいったのだ。
道路の左右に植えられた、緑樹が、日差しを遮っている。
俺は窓枠に肘をつくと、瞳を細め、重なり合った葉の切れ間から覗ける蒼い空を見やった。
パズルの一片だけを切り取ったような、蒼い空。
あの日、見えていた景色も、これに似ていた。
あの時は、もっと濃い陰影が、俺の身体には落されていたっけ……。
こんな植樹されたものではない、人の手が加えられていない森。
鷹志さんと出会ったのは……そんな場所の、こんな日だった。




葉擦れの音は、自然の囁き。
時折、木々の合間を抜けて、吹き込んでくる風は自然の息吹。
例えば、そんな取るに足らない比喩が、どうしてか似合う。
そういう場所に、今日も夜月は寝転んでいた。
息の詰る、人工の壁で隔離された施設はちょうど、この森がある山の麓にある。
名前は忘れた。
(どうでも良い事さ、そんな事は)
どうでも良い、ただ衣食住の世話をしてくれる便利な場所とだけ少年は認識している。
日が暮れたら、こっそりと戻り。
日が昇れば、またも、こっそりと抜け出す。

その、繰り返し。

今、ここにいる事も、これから続く同じ行為の延長線上の一点。
いつまでも変化のない悠久の流れの中で、夜月は考え続けるのだ。
(僕の生の意味は何?)
(俺の在る理由はなんだ?)
自然が生の使者なら、理の本質なら………いつか答えてくれる。
そう信じて、無音の言葉を中空に放つ。
仰向けに寝ながらの、言霊だから、時折、空には到達する事なく、自分に落ちてきて自家中毒を起こした。
それでも良い、それでも、意味さえもなく足掻くよりは、楽だ。
さわさわと変化する木漏れ日に時折、瞳を焼く日差し。
と思ったら、また薄暗い陰に閉ざされる。
夜月は、一年にも及ぶ森林浴の中、それらの流れが規則的な事を既に知っていた。
自然の産物が、完全、理に適ったものであると知っていた。
だから、夜月は空に問い掛けるのだ。
人は自分を欺き、自分さえも自分を欺くというのに。
一点の曇りもない蒼空は、欺かない。
悠然と己の成すべき事、つまりは理の通りに生き、滅ぶ。
夜月は目を瞑った。
同時に。
さっと一際風が強く吹く。
春、芽吹いたばかりの下草が、柔らかく風に流れ、大地の匂いを運んでくる。
木々のざわめきも高まっていった。
「自然は一つ。それ以外の何者でもない。完全なる一個……」
崇拝するが如く、夢見心地でそう呟いたとき。
少年の頬を、髪を、そよいでいた風が止まった。
夜月の悠久の流れもまた、この時止まり、別の流れへと向かった。
運命が動き出した瞬間。

「この世の全ては陰と陽の二極より生まれ出たもの。 自然もまたその例外ではないよ」

夜月の呟きに答えた者がいたのだ。
(なんでこんな人気の絶えた森の奥深くにっ!?)
夜月はぎょっとして、双眸を開いた。
そうして後ろ手をついて、勢い良く半身を起こす。
前方……誰も、いない。
「止めてしまえ。答えもしない空に向かって禅問答などと、犬も食わいなことは…」
囁きかけるような、静かな声音で、夜月の行為を揶揄している。
左右……いない。
「非生産的かつ、老けた少年」
(どこだ?)
「ここだよ」
(後ろ?)
夜月は、それで始めて背後を振り返った。
言葉通り、そこには男が一人、声音と同じく、静かに佇んでいた。
(……まるで、気がつかなかった……)
整った冷笑を浮べる、美男子。
僅かな微風にもながされそうな、繊細な黒髪。
春の陽気に場違いなロングコート。
髪と同じ、漆黒の井手達だ。
すべてがちぐはぐなようで、一点に集約されるのは……怜悧な美貌……。
(人間か?)
思わず夜月は、そう疑った。
それだけの異彩を、この男は放っていたのだ。
もちろん、こんな男を夜月は知らない。
「やっと、こちらを向いてくれたな」
「だれだ……あんた」
「人の名を尋ねるときは、まず己からと、習わなかったか?」
そちらから、突然話し掛けてきておいて、男はふざけた事を言う。
だが……。
「俺は、布椎夜月」
自分でも驚くほど速やかに、口が動いた。
まるで不可解な力がそこに働いたかのように……。
「布椎……。その姓は聞いた事があるな。剣神<経津主(ふつぬし)>を奉り、あまりにも異端なため史実から消えた一族の姓もまた布椎だったか…。そしてその一族が産み出した邪法、二対一魂の法。一つの肉体に二つの魂を封じ込める法」
語るような口調でそこまで一気に言うと、男は見下ろす様にして、夜月の顔を覗き込んできた。
まるで観察するように…。
「ふん、なるほど君のその年寄り染みた無気力さは、そこから来るものなのか」
夜月の懐疑の念は頂点に達した。
彼の頭の中で警鐘が、打ち鳴らされる。
もうこの世には自分しか知り得ない一族の秘密を、とつぜん湧いて出てきたこの男が知っている。
更には、心の深淵、その奥底でくすぶり続ける、夜月の苦悩を、男は明日の天気を言い当てるような軽さで言い当ててきたのだ。
「あんたは………」
「俺はただの人だよ。君と同じで、疑問を持ってはそれを解き。解いたと思ったら次の疑問を抱える、そんな因果を背負い続ける人さ」
そう言うと、男は、夜月の隣へ、優雅に腰を下ろした。
長い髪が、夜月の顔へ打ち掛かる。
「失礼」
男はそれを、片手で後ろへ流した。
そうして、しなやかな手に顎を乗せると、こちらへ視線を向ける。
坊主が経を読むように、宮司が祝詞を歌うように……まるでそれが自分の信仰だと言わんばかりに……。
男の話は続く。
その話に飲み込まれた自分がいた。
「背負うという事は辛い事さ、だからと言って、疑問を放棄する事は、人である定義をすてる事。誰だったか……我思う故に我有り、先人は卓見した考えを持つ」
「だけど……」
夜月は反論した。
思わず己の本性が悲鳴を上げた、そう言って良いのかもしれない。
自分の考えを壊しに来た男、そう悟ったのである……意識ではなく、無意識が。
この男は別の意味で危険だと…。
夜月の手はいつのまにか強く握り締められている。
ひんやりと冷たい黒土の大地に、十本の爪の傷痕が残った。
「だけど疑問を持ってしまったら、先が見えなくなる。進む事が出来ないじゃないか。あんたは人間を、未来のない無能者とみなすのか?」
男が始めて冷笑以外の感情をしめした。
薄い笑いが、今度ははっきりとした笑みへ変わる。
冷たい瞳はまるで、まだ光を知らない赤子をいたわる親の慈しみのように……。
なぜか、夜月は戸惑うばかりの照れを感じ、顔を火照らせ、俯かせた。
(変だぞ…俺……)
見知らぬ人間に対して自分は何を熱く語っているのだろう。
「先が見えたのなら、人は進む事を止めるのさ。見えないからこそ進もうとする。疑問は人を留めるための枷じゃない。むしろ進むための糧だ」
夜月の反論に澱みなく紡ぎ出される、男の言葉。
「何事も、まず動く事だ。動かなければ意志は力を持たない。風の無い湖面でヨットを浮べて舵を取っても滑稽なだけさ。進む力がなければ方向をつけても無駄……おい、俺の言う事理解できるか、少年」
理解などはできない。
当たり前だ、自分の手中には真理などないのだから…。
夜月は、俯いたまま首振った。
話の内容よりも…。
男の持つ不思議な雰囲気に夜月は惹かれていた。
男は瞳に打ち掛かるほどの長い前髪をくしゃくしゃっと掻き回すと、片目を瞑って、俯く夜月の後頭部に手を乗せた。
「だったら…」
風に吹かれて消えるような囁き声。
だが、はっきりと夜月の耳には届いた。
「俺の所に来い」
(いきなり、何を…)
驚きの表情を湛えて、夜月は顔を起こした。
その時にはもう、男の顔に、優しさは消えていた。
ただ冷気の如く凍える笑みを浮べるまで。
「俺と共に、――を探せ」
「……あんたは何でも知っているんじゃないのか?」
そんな超然とした雰囲気を夜月は、この男から感じている。
現に、これが現実だよとばかりに、男は語ったはずだ。
「言っただろう。俺もまたただの人でしかない。死ぬまで"答え"を探し続ける因果を背負っている」
「あんたと、僕は同じと言う事か?」
その問いがあまりにもこの男に対しては滑稽な気がして、夜月は冗談半分にそう問い掛けた。
しかし、夜月とは反対に、男の笑みが閉じた。
それが肯く代わりの、答え。
一瞬吹いた風が、木々から緑の葉を何枚かさらっていく……。
「面倒な事だ」
「…………………」
無言の夜月に一瞥を加えると、男は、立ち上がる。
土を払うまでもなく、ダークコートには汚れ一つもついていない。
「明日もここに来るのか」
その問いかけに、信じられないほど素直に、夜月は肯いた。
「そうか」
夜月から背を向けたままで、なぜ肯いたと解るのだろう……。
「それでは、また明日も話しをしよう…」
「お、おいっ」
「……………」
「あんたの名前をまだ聞いていない」
泰山鷹志とその男は名乗った。




「………さん。………つきさん。………夜月さんっ」
俺を呼ぶ声に、俺は記憶の底から浮上した。
途端に、俺の周りは、静かな深緑の中心から、騒がしい車内へと変わる。
運転席の頭上に置かれた電光掲示板には、茜上高校前という文字が浮かび上がっていた。
「どうしたんです? ……惚けちゃったりして…」
翔子が、小首を傾げて俺の顔を覗き見た。
「いや……、ちょっと…居眠り」
そう答えると、彼女は眉根をひそめた。
実際の所はまったくと言って良いほど眠気は感じていない。
夢というよりは幻想。
深く刻まれた記憶の見せる残映……白昼夢。
「……疲れているの?」
俺は機先を制して、彼女の不安を取り除いた。
「睡眠はちゃんと取っている。別に仕事の影響じゃないから、心配するな。ただ、この陽気にうとうとと来ただけさ」
「そう……」
「それより、もう降りるんだろ?」
俺は、格好だけの欠伸をすると、席を立った。
運転席の前まで来る。
フロントガラスの向こう、並木の間から白塗りの建物が見える。
たぶんそれが、川崎翔子の通う、茜上高校の校舎なのだろう。



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