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Original Novel 遊真 Presents



寂光堂


月輪の法則

12 寂光に暴かれる



ちょうど、放課になったばかりだったらしい。
茜上高校の正門からは、流れるように、生徒達が吐き出されてくる。
正門を通過すると、早咲きの桜が、校舎までの道を連なっていて、散った花びらがちらほらと、アスファルトの道を桜色に染める。
これからどこに寄ろうかとか、今日行われたテストはどーだったとか、そんな会話に夢中な高校生は、頭上の美観に気づきもしない。
俺と翔子はそんな流れに逆行しながら歩く。
「やけに早咲きだな……」
俺は、落ちてくる花びらを、無造作に掴まえると。
掌を広げ、手中に収まった、花びらを観察した。
小ぶりで淡紅色の花びら……。
「コヒガンか。 珍しい」
大概の学校ならばソメイヨシノが、今だ芽吹く事無く、枯れ木の相を呈しているはずだ。
三月に入って直ぐに卒業していく高等学校生の事を考えれば、この花の選択は間違ってはいない。
時期的に最も手頃な種である。
「学校には一週間程、来ていなかったけど。……その時は、蕾もほとんどなかったのに」
翔子は、落ちつかなげに周囲へ視線を走らせながら、俺の後に続く。
無断欠席が続いているのだから無理もない。
「桜は花七日って言われるぐらいだから、咲くのも散るのも一瞬なのさ」
「夜月さんって、物知り……」
「物知りと言うより、桜が好きなだけだ」
「私も好きです。今度、お父さんに、庭へ植えてもらう様頼んでみようかな」
確かに、あの広い庭ならば、桜の一本や二本植えても、支障はない様に見える。
しかし……。
「止めとけって」
手の中の花びらが、風で飛ばされていく様を見ながら俺は忠告する。
「桜は思ってるよりも繊細な花なんだぜ。少しでも傷を作れば、そこから即座に腐り始めるし、害虫、病気にもやられやすい。何より完全な陽木だからな、いまさら他の庭木を除去して日差しの良い場所を確保するのは得策じゃない。あれで十分、あんたの庭は調和が取れてる」
加えて言うなら、桜はとにかく空気の汚染にやたらと弱い。
こんな都市近郊ならまだしも、翔子の家周辺では、とても。
「そうなんですか?」
「そういうものなの。庭師にとっては忌み木とも言われてるぐらいなんだからな、桜は……」
なにやら、いつのまにか庭木の話に花が咲いていた。
翔子も嫌がる風でもなく、興味深く、こちらの話しへ真剣に耳を傾けてくる。
「詰まらなくないか、こんな話」
「………いいえ」
返答に間が開いたのは聞き逃したと言うよりも、俺の言葉を吟味しすぎていたからだろう。
話している俺としては気持ち良い。
なら、もう少し御教授してやるか……。
俺は、校舎の玄関へと向かう歩を緩めて、くるりと背後の翔子へと振り返った。
「翔子の庭に、柊が植えてあったろ」
俺が突然振り返った事に、驚いたのか、思わず翔子は右手を胸の辺りに当てた。
それから色素の薄い瞳を僅かに見開く。
一体、俺が、何を言い出すのか、疑問に思ったのだろう。
「はい、一応」
「しかも、北東、南西の方角に植えてあるよな」
「………たぶん、……そうじゃないかな……」
自信なさげに、翔子は考え込んだ。
「どーだったかしら………」
一瞬吹いた、強風に、薄い色の髪の毛が舞うのにも気が付かない。
こんな他愛も無い事に、彼女は全身全霊を傾けていた。
思わず、俺の口元に苦笑が浮かぶ。
「そうだった。俺は間違いなく覚えている」
「………夜月さんが言うのなら、そうなんですね、きっと…。……やだ、私ったら自分の家の事なのに……」
「自分の家の事だからこそ、あまりに気にならないんだろ。……まっ、それは置いといてだ。丑寅の方角、北東といえば、どういう意味を持つかは、解るよな」
「……鬼門でしたっけ?」
「優秀、優秀、ちょんと覚えているじゃんか。それじゃあ羊申の方角、南西はなんて言うか解るか?」
「えっ?」
「ヒント無し、無茶苦茶簡単」
「…………裏…鬼門?」
俺の顔を伺うように、ぽそりと呟いた翔子に、にっと笑いかけた。
もちろん正解の意だ。
「表門の逆方向だから裏門、裏鬼門。この裏鬼門と鬼門に、柊を植えると、魔除けの効果があるって知ってたか?」
翔子は首を振る。
「今は少なくなったけど、昔は節分の時、イワシの頭に柊を差し、門口につるして鬼除けをする、そんな習慣があったんだ。そんな風に呪術的意味の強い木だから、鬼門封じとしての役目を果たすのさ」
「全然知らなかった……」
「あんたの両親はかなり迷信深いな。それか今流行の風水マニアとか」
「うちの親は別に、風水なんかは……。あっ、でも良く神社にお参りなんかは行きます。年に五度くらい」
「だったら、迷信深い人で決まりだ。ふふん…どうだ? 庭木一つにしても、その家の様子、住む人の性格が見えてくるだろ?」
そう話しを締めくくった所で、陽光が鉄筋の屋根に遮られた。
玄関口まで、いつのまにか歩いてきている。
下駄箱の周辺は、まだ帰り生徒で込み合っていて、その喧騒が壁に反響し二重、三重の騒々しさだ。
翔子が俺に意見を求めてくる。
「どうします? どこに行きましょうか」
教室、と言いたい所だが、放課になっているわけだから、大した収穫はないように思える。
だったら……。
「あんたは、何か部活動をやっていないのか?」
「やっていますよ」
「何を」
翔子は、廊下の北側窓から見える中庭を指差した。
厳密に言えば、中庭にぽつねんと建てられた、プレハブの小屋のようなものだ。
「柔剣道場です」
「武道か!?」
あまりに似合わない台詞が飛び出て、少々驚く。
「私、部活では、剣道をやっています。一応、二段なんですよ」
得意そうに笑った。

 
 
 
「川崎!?」
校舎から、渡り廊下を渡って、柔剣道場に入ると直ぐ、ブルーのジャージを着た、筋肉質の見るからに体育会系教師が翔子の姿を目に止めた。
ちょうど、部員を集めて何やら教えていたらしく、竹刀を持ったまま、歩いてくる。
「お前、どうしたんだっ!」
最初っから、喧嘩越しの、きつい言い方だ。
あまり、好きにはなれないタイプだな、と勝手に俺はきめつけた。
どちらかというと彫りが深く、浅黒い顔つきは、精悍と言っても良い容姿なのだが、人をじっくりと観察してくる、禿げ鷹のような鋭い目付きが下品極まりない。
俺から言わせれば、それだけで致命的だった。
目は口ほどに物をいう唯一の部位であるのだから。
翔子が何かを口にして、瀬能と呼ばれた教師に、頭を下げた。
彼女の話によると、剣道部の顧問であり、クラスの担任でもあるらしい。
「すいませんって、お前なぁ。勝手に一週間も休んで置いて、連絡もないとは何事だ」
それにしても瀬能の声はよくも五月蝿い。
柔剣道場の入り口で中を観察する俺の耳にまで、彼の声は届いてきた。
鷹志さんのように響くのではなく、ただでかいのだ、声が。
俺は、話し合う二人から視線を剥がすと、瀬能の背後に控える部員達へ向けた。
ざっと二十人近く……正確に数えると二十三人。
その内、翔子との面識が深いのは……。
俺は柔剣道場へ来るまでの間に、翔子から聞いた特徴とを照らし合わせていった。
まずは、白袴、白胴着、白防具と、白一色で固めた、背の高い男。
瀬能と翔子のやり取りを、腕を組んだまま聞いている。
相原裕也、剣道部の部長を勤めていると言う事。
次にと、視線を隣にずらしていき、長い髪を白い紐で結った背の低い女の前で止めた。
文武両道が良く似合いそうな、きりりとした顔立ち。
前川美紀、見た目通りの才媛で、翔子はこの女から部の勧誘を受けたらしい。
柳瀬真帆の友人であったという話だ。
後は、二人して喋くってる間島、滝沢。
たいして話しもしないが、最近、この二人から翔子は告白されたと言う。
俺は再び瀬能に謝罪している翔子へ視線を戻した。
頭を下げる毎に、淡い色彩を放つ、薄い色の奇麗な髪。
目尻の下がった切れ長の瞳、顔立ちも整っている。
そうしてどこか儚げに思えてくる、ぼんやりと所在無さ気な雰囲気。
泰山嵩穂の、生気に満ち溢れた奇麗さとは別のなにか……他の……。
例えば、鷹志さんに近いものを彼女は持っている。
俺は今頃になってふと、そう気づいた。
部内で、二人に告白されたという話だが、他にも、翔子に秘めた思いを持っている奴がいてもおかしくないだろう。
もしかしたら、そういう輩が……。
俺はそこまで考えて、首を軽く振った。
早計は禁物だ。
ちらりと、こちらを盗み見た翔子に、サインを送ると、俺はくるりと踵を返した。
ぱっと見で怪しい奴は誰もいない。
俺は予定した通り、校舎の中を見学する事に決めた。
その間、翔子には、しっかりと部活に出てもらうつもりだ。
俺は校舎へ向かって渡り廊下を歩きながら、外を眺める。
中庭にもまた桜の木が植えてある。
ただしこちらはソメイヨシノ。
まだ、芽吹いている個所さえ、一つもない。

 
 
 
再び校舎に舞いもどると、すっかり玄関での喧騒は止んでいた。
長い廊下に人の影はなく、明日の朝までの空白が訪れていた。
頭上を、下校を告げるアナウンスが流れていく。
シンと静まり返った校舎内に、それは染みとおる。
俺は下駄箱へ近づくと、サイズの合うサンダルを適当に取り出した。
それを履いて、廊下の奥へと歩き出す。
床のリノリウムと、靴底が擦れて聞こえる耳障りな音が、周囲の壁に反響した。
廊下の突き当たりまで行くと、四階建ての校舎を吹き抜いた階段があった。
踊り場に付けられた大きな窓ガラスからは、赤味を帯びた光線が入り込み、俺の顔を染める。
手摺に手を乗せながら、登っていく。
確か、建てられて十年も経っていない校舎という話なのだが……。
黄昏の光に照らされた、白い壁は酷く煤けていた。
強い日差しの中では隠蔽されてきた闇が、寂光の前ではすべてをさらけ出す。
寂光……。
寂静(じゃくしょう)の真理によって発する真智の光照。
寂静とはすなわち涅槃(ねはん)。
全てからの脱却、完全なる自由、悟りの境地……。
意味はどこまでも深く、高尚になっていくが、こんなどこにでもある風景の中からでもその事実を読み取る事ができるのだ。
鷹志さんもそうやって、『寂光堂』なんていう名を付けたのだろうか?
この斜陽のように、真理をあばきだしたい、そう願って付けたのだろうか?
俺自身の真理はどこにあるんだろう……。

三階に着いた。

意識の深層から浮き上がると、俺は当面、見つけ出すべき真理へ舞い戻った。
今、見つけ出すべき真理は……。
川崎翔子に呪いを掛けた人物は誰か…だ。
引き戸の真上に突き出た、プレートは、一組、二組………と八組まで並んでいる。
翔子の組は四組という事。
教室を三つ横切る。
何気なく、教室と反対側の窓から下を見下ろすと、中庭の真ん中にある柔剣道場の青い屋根がみえた。
絶え間なく、竹刀を打ち合う音が、ここまで届いてくる。
たぶん翔子も久しぶりに、汗を流しているのだろう……。
一週間近くも塞ぎ込んでいれば、どんな健康体も体調を崩す。
彼女を柔剣道場に残してきたのは、むしろそれを考慮しての事だ。
四組の前までくると、引き戸の窓から中を覗いて見た。
誰もいない。
戸を開けようとして……。
「げっ、閉まってやがる……」
当然と言えば、当然の結果に舌打ちをした。
俺は、うーんと唸りながら、鍵穴を恨めしく見詰める。
「まっ、いいか」
一応、これは人命救助の一環なのだから、許されるだろう……たぶん。
そう、一人で勝手に結論をづけると、俺は手に力を集中させていった。
布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)が具現化する一歩手前で、俺は鍵穴の周りに添って人差し指を一回転させていく。
見事な切れ味を見せて、鍵の部分だけがすっぽり切り取られた。
「一丁上がり」
剣から、抗議の意思が伝わってきた気がしたが無視する。
音も経てず、滑らかに戸が開いた。
中に入ると、まず教卓の前までいき、黒板に背を預けた。
一個、一個の机を眺めていく。
所有者のはっきりしない………まるで、首無しの胴体のようだ。
ずらりと並んだ主人のいない机は、そんな不気味さを呼び起こす。
その中で取り分け異質な残り火を、窓際の後尾二列目から感じた。
川崎翔子の席だ。
他の机に異常は見当たらない。
彼女に掛けられた呪いの残り香。
右隅の一角にあるその机だけに異質さが刻み込まれていた。
……………。
……彼女の机だけ?
……右隅の一角?
なんだ?
俺は、突然襲った違和感に眉根をひそめた。
そうして、川崎翔子の机が置いてある、窓際の最後尾をじっと見据えた。
……何かが……おかしい……。
俺はどんな些細な違いでも見逃さぬ様、鋭く彼女の席の背後を射抜き続けた。
やがて、理解できなかった違和感の正体が確かなものとなる。
…俺は、翔子の席を窓際後尾二列目と、判断したはずだ。
……なのに、なぜ翔子の席が最後尾なんだ?
俺が見間違ったのか?
……いや、違う。
最初に判断を下した俺が間違っているのではなく。
今の俺が間違っているのだ。
あそこには、俺に見えない席がある。
その推論と共に、ぞくりと背筋を駆け上がる悪寒めいたもの。
その見えない席とは、たぶん………。

凛、俺の耳に乾いた鈴の音が届いた。

紅色の空間、すべての影が、東側に向かって、長く伸びている……。
それにつれて、じわじわと偽りの暗幕が開いていく…。
隠されたものが見極められていく。

凛、さらに鈴の音。

今度はどこから届いた音なのか、俺には解った。
俺の見詰めている先から聞こえてきている。
「布都御魂剣」
俺の呼びかけに答えて、剣が具現化した。
音も立てず、俺は川崎翔子の席を素通りして、鈴の音が聞こえた空間に近づいていく…。
俺の喉が緊張で無意識に鳴る。
胸がむかつくほどの、嫌な予感がした……だが。
絡み付く糸を振り払うように、俺は剣を掲げた、そうして。
切る。
凛ッ!
まるで悲鳴を上げたように、鋭い音を響かせて、空間を、否、呪縛を切断する。
呪(しゅ)同士のぶつかり合いで生じた、物理的な衝撃が、密閉された室内で吹き荒れた。
掲示板に止められていた紙面が、破れて舞う。
がたがたと机やら椅子やらが倒れる。
俺は吹き付ける風を、目を開けて踏みこらえ、その先で見えるものに驚愕した。
もう一つの机がそこにはあった。
そうして、赤い寂光に照らされて椅子に座っているのは……。
首の無い白骨。
赤い糸に括り付けられた鈴が、風に揺れて小刻みに鳴る。
白骨もまた間接が擦れ、軋んだ音を立てる。
やがて、風が収まった。
俺は呆然としたまま、机に張られたプレートを見る。
『柳瀬真帆』
川崎翔子の友人にして、哀れにも、呪いの犠牲者になってしまった女性。
俺は、ゆっくりと、震える手をその骨に這わした。

凛と鈴の音が響く。

硬く、ざらついた手触り。
生あるものとはかけ離れた冷たさ………。
息を呑んだ音が、ひどく大きな音に聞こえた。
一度、双眸を閉じ、また開ける。
そこにあるものは、やはり消えていない……、目の前に確固としてあり続ける……。
先程のような幻覚ではない。
……これは現実だ。
俺は、さらけ出された彼女に巻き付かれた赤い糸を、振りほどいていく………。
鈴が俺の手中に収まった。
飾り付けも何もない、ただの鈴。
その鈴に一瞥を加えてから、白骨に向け、俺は名状し難い顔つきで、問うた。
「どうして、あんたがここにいるんだ、柳瀬真帆」



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