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Original Novel 遊真 Presents



寂光堂


月輪の法則

13 鞘から抜かれた刃



「どうして、あんたがここにいるんだ、柳瀬真帆」
今にも頭痛がしてきそうな頭を抑えつつ俺は吐き捨てる。
だが、白骨が何かを答えてくれるわけも無い。
差し込む光は、いつのまにか薄れて、空はぼんやりと霞んでいる。
闇が、俺と柳瀬真帆の白骨との間に落される。
闇が落されたのと時を同じくして、俺の内面で落されたものがあった。
不信。
川崎翔子に対する不信だ。
それが俺の中で、不快なまでに渦巻いた。
これが本当に柳瀬真帆の変わり果てた姿とするならば。
柳瀬真帆は、その存在事態、封じられていた事になる。
多くの者、同級生が日々と変わらない生活を送るその間近で、誰にも知られる事なく。
……寂しく、肉体を朽ちらせていったのだ。
だとしたなら、川崎翔子の行動はとても納得が行くものではない。
何故、彼女は真帆の存在を忘却していなかったのか?
一体どうやって真帆の死を知ったのか?
知ったとして何故一ヶ月以上も、黙っていた。
この白骨を見る限り、一週間やそこらでなるものじゃない。
翔子はどこまで本当の事を話しているのだろうか……?
そういえば、鷹志さんが、調べるといっていた、二つの死体はどうなったんだろうか。
この事件とやはり関係があるのだろうか。
ならば、その事でも翔子は虚偽を付いてるのかもしれない。
考えれば、考えるほど、疑問が湧き上がる。
『存在とは二極面だ』
昨夜、鷹志さんの言った言葉が、突然に思い出された。
人は誰もが二つの極を持つのか、ならば川崎翔子もまた………。
俺の中で結論が出るより先に。

凛、俺の手中にあった鈴がその時鳴った。

振ってもいないのに、唐突になった。
それと同時に、闇が質量を持った。
ずしりと、背中に圧し掛かる。
「なんだ!?」
思わず声を上げたが、それは耳鳴りのように、じんじんと響くだけで言葉にならなかった。
自然に降りた帳ではなかった、この闇は、ただの闇じゃない。
とてつもなく陰湿で、吐き気をともなう邪気にも近い、闇だ。
机に手をつき、床へ膝をついてしまうのを、必死でこらえた。
誰だ、この闇を産み出す者は?
「誰だっ!」
俺の誰何の声と、絹を裂くように飛んだ悲鳴は、ほとんど同時だった。
悲鳴というよりは断末魔の叫びに近い。
瞬発的に廊下へ飛び出た。
鍵を開けるのも面倒だ。
俺は、手頃な一枚の窓を躊躇なく叩き割った。
ガラスの破片が、煌きながら落ちていく。
そうして廊下の窓から身を乗り出して、真下を覗き込んだ。
目の眩むような闇が、柔剣道場を覆っている。
悲鳴は、その中から聞こえてきたのだ。
不味い。
川崎翔子どころか、その周囲の者にも吹き荒れる強烈な邪気に俺は戦慄した。
そうして。
また断末魔の叫び。
何かが、あの中で起きている。
「おいっ!」
自分を叱咤するかのように、布都御魂剣を強く握り締めた。
「行くぞ」
反応した剣が、空間に紫電を伝播させた。

 
 
 
「止めっ!」
相原君の号令一家、打ち鳴らされていた竹刀の音がぴたりと止まった。
乱取りをして乱れた列が整えられていく。
列が整うのを見計らって、上座で両手を組んで立っていた瀬能先生が、休憩を告げた。
どっと緊張の糸が切れる、吐息がほとんどの部員から漏れた。
実際私も、久しぶりの稽古で、苦しいほど息が乱れている。
「お疲れ様」
息を整えている私の肩をぽん、と叩く手。
そのまま、その手を背後に回してきたのは、副部長の前川美紀さん。
私は彼女に先導されるように続くと、道場の隅で座り、面を取った。
汗でべったりと額に張りついた髪をどかす。
胴着もびっしょり、水分を染み込んでいたが、私はそれを心地よいものに感じていた。
最近忘れていた爽快感だ。
「翔子、なまってるぞ」
隣の美紀さんが、男の人のように胡座をかいて座っている。
そうして軽く私の頭を小突いた。
「美紀さん、痛い」
「当然だ。痛いように叩いたんだから」
美紀さんは、きりりとした和風美人だから、真剣な顔をすると逸そう迫力が増す。
「お前を、部に勧誘したのは、私なんだからな」
「ごめんなさい」
説明するべき言葉がないので私はただ頭を下げた。
すると、今度は後頭部を小突かれる。
「そうやって、すぐ頭を下げる」
ううっ、だったら私にどうしろって言うんだろうか。
「じゃあ、どうすれば……」
「馬鹿者、謝る必要なんかないの。休んだのは学校より大事な用があったからなのだろ。だったら気にしない。今私が言ってるのはただの愚痴なんだから」
にこっと整った笑みを浮べる、しかし。
「こら、また川崎さん苛めてるだろ、美紀」
部長の相原裕也さんが私達の前に立つと、直ぐにむっとした顔つきになった。
厳しい顔付きの美紀さんも奇麗だが、やっぱり笑っている時の彼女の方が良いのに…。
「苛めてなんかいない」
「そう言っても、お前みたいなきつい性格な奴が言えば、それは苛めてる以外の何者でもなくなるんだよ」
普段はフェミニストで女性受けの良い相原君も、なぜか美紀さんの事になると口が悪くなる。
二人は幼稚園の頃から同じ道場に通っていた幼馴染という事だ。
「ふん」
「そうやってすぐ怒る」
「お前が怒らせている」
私はそんな二人のやり取りを久しぶりに聞いて、思わず笑ってしまった。
口元に手を当てたが、声が漏れる。
部内どころか、学年内でも有名な夫婦漫才だ。
私の笑い声を聞いて、二人が一斉にこちらを向いた。
「あれ? ひょっとして翔子さん、笑ってる?」
「翔子、笑ってるのか」
不思議そうな顔をして、顔を覗き込んでくる。
「何か、可笑しいかしら」
「可笑しい」
美紀さんは、何のためらいもなく、きっぱり言う。
「仮面少女翔子がこれしきの事で笑うなんて、可笑しすぎる」
「こらっ、そんな即物的な言い方ないだろうが」
私はどう答えて良いのか解らず困った。
……確かに、言われてみればそうかもしれない。
前の私なら、何が楽しいのか解らず、ただ作り笑いを浮べていただけだろう。
いや、作り笑いでさえ、唯一、真帆ちゃんにしか見せていなかった気がする。
だけど、今、確かに笑う事ができたのだ。
二人の良い雰囲気に、なぜか暖かいものを感じて……。
相原君と、美紀さんの口喧嘩を眺めていると。
無意識の内に私は、そっと頭上の窓から見える、赤く染まった校舎を見上げていた。
夜月さん、何をしているんだろう…。
「それにしても」
ようやく口喧嘩に収集をつけた、相原君の言葉に、私は視線を二人に戻す。
「今日は、やけに奇麗な夕焼けだな」
背後を振り返って、開け放たれた窓から外を眺める。
私も、美紀さんも、釣られるように燃えるような夕焼けを見た。
ひんやりとした夕方の風が、私達の汗を乾かし、ほてった身体をさましていく。
「真帆ちゃんも、居たらな」
今なら彼女の言った言葉が分かるような気がした。
『だーからっ、そういう強迫観念がいけないの、ここは駄目だ、あそこは駄目だ、じゃなくて、ここもいいかなぁって考えて見るの、そうすれば結構、この世も楽しいもんよ』
そうなのかもしれない。
いつもと同じはずなのに、いつもとは違う心が私の中にある……。
「なあ、翔子さん」
相原君が首を傾げて私を見た。
そうして、気軽に尋ねてくる。
「真帆ちゃんって誰の事?」

凛、そよぐ風に運ばれて微かな鈴の音が私の耳に、……届いた。

窓から注ぎ込まれる赤光と、頭上で灯った蛍光燈の明りが消えたのはその時。
全てが闇に閉ざされた。
目の前にあった、相原君の顔も、美紀さんの顔も闇に沈み込む。
「なに!?」
「どうしたんだ!?」
動揺した二人の声がすぐ真近で聞こえる。
「停電だ!?」
どこか遠くの方で別の誰かが叫ぶ。
停電? そんなはずはない、だって空はあれだけ明るかったのだ。
まるで窓にシャッターが落されたように、辺りは真の闇になる。
女の子の悲鳴が所々で上がった。
「こらっ、落ち着くんだっ!」
瀬能先生の声が黒に染まった道場内に響いた。
そう言った彼の声にこそ、あきらかな動揺が在る。
突然の異常事態に、皆、混乱していた。
私もその例外ではない。
………そして、第二の混乱はすぐそこに迫っていた。
自分自身の存在さえも消えてしまうような危うい、闇の中で………。
稲妻にも似た一瞬の閃光がひらめく、同時に。
「ぎゃあぁぁあぁああああぁっ!!」
人一人が発したとは思えないほどの、激しく醜い、断末魔の叫び声。
同時に何か液体が勢いよく噴出する音が耳につく。
誰もがその刹那言葉を凍らせた。
何も見通せないはずなのに、誰もが目を見張っただろう……。
私は見た。
それこそ、瞬きよりも速く。
肉眼では追えないはずの一瞬の光に照らされたものを、私は見た。
天井に括り付けられた人形……。
…だって人形としか思えない、その首が異様に細く長かったのだから。
頭の部分が首の皮一枚で繋がって、だらしなく振り子のように揺れていたのだから。
真っ赤に染まった、歪んだ顔をしていたから……。
それが、部活の後輩にいた顔だと知っていても……、あれを人と断定していいわけがない。
人形でなければ、死んでいるのだもの……。
そうやって。
まるでスローモーションのように……すべてを私は見てしまった。
沈黙が破れる。
「きゃああああああっ!」
誰が叫んだのだろう。
私が叫んだのだろうか?
解らない。
ただ私は放心して、その場にがくりと膝をついてしまった。
その悲鳴を皮切りに、闇は阿鼻叫喚の地獄と化した。

 
 
 
柔剣道場に近づくに連れて俺の足は重くなっていく。
まるでねばりつくコールタールのような粘着性へと、空気が変容していた。
それでも渡り廊下を、風のように駆け抜ける。
閉ざされたままの鉄製の二枚扉を…。
切るっ!
残響を残して、ずれ落ちる扉の向こうから、吹き出した負の念。
中の様子は、すりガラスから見る光景のようにぼやけていた。
ただ時折、断末魔の声が聞こえてくる。
彼女の声でない事だけが、俺を安堵させて、またそう思う自分に苛立つ。
「翔子っ!!」
呼ばわりながら、一歩、足を踏み入れた。
途端。
辺りは闇に包まれた。
後ろを振り返っても、そこにあるべき入り口は消えていた。
俺は舌打ちを一つして、仕方なく前へと進んでいく。
「翔子っ!」

凛、ズボンのポケットに入れていた鈴がまたなった。

「くそっ、また何か起きるってのか?」
ポケットから鈴を取り出すと、噛み付くように俺は唸る。
だが一度鳴ったきり、鈴は振ろうが、何をしようが鳴らない。
仕方なく俺は立ち止まった。
闇雲に走りまわるのを止める。
「翔子っ!!」
俺の呼びかけに答えろっ。
そう願って、喉が嗄れるまで叫び続けた。



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