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Original Novel 遊真 Presents



寂光堂


月輪の法則

15 鷹志と嵩穂



『寂光堂』は窓の一つも無い古本屋だ。
強い日差しで本が傷むのを抑えるため、日の光の侵入は皆無と言って良い。
昼夜とわず、暗がりがこの空間を占拠している。
換気と言えば、入り口に当たるガラス張りの引き戸と、家の奥へと続く戸の二つだけだ。
だというのに、店内における空気は、湿気る事も乾く事も無く、常に適温で保たれている。
店自体が骨董品になりかねない超後進的な寂光堂に、空調などというものはない。
では何がこれほど本にとって快適な環境を提供しているのか、と聞かれれば……。
謎である。
一つだけぶら下がっている裸電球の光が一瞬揺らいだ。
嵩穂は、二つの湯飲みを盆に乗せて、顔を上げた。
一度揺らいだ光はその後は何の変哲もなく、晧晧と明りを提供している。
可愛く首を傾げると、嵩穂は視線を戻した。
店番用にあつらえた机の上に、湯飲みを二つ置くと、積み上げられた本で姿の見えない店主に声をかける。
「はい、お兄ちゃん、お茶」
嵩穂は本棚の側に置かれた脚立を持ってくるとその上に座った。
そうして積まれている本を、床に移動させていく。
すると熱心に本を読みふける鷹志の顔が発掘された。
すかさず本を抜き取る嵩穂。
夜月が見たならば何て恐れ多い事を、と慄くであろう…。
だが、この男は唯一、妹に甘い。
本を掴んだ格好のまま、嵩穂の顔を伺うと、一つため息を吐いた。
「受験を控えた学生というのは、こうも暇を持て余すものなわけか。初めて知った」
丸縁の眼鏡を机の引き出しに入れながら鷹志が皮肉ると、えへへと嵩穂は邪気なく笑う。
まるで人の忠告を異に返さない所は、良く似た兄妹なのだ。
「まあまあ、そんな堅い事、言いっこ無し無し。せっかく遠路はるばる来たんだからね」
「駅一つを挟んだ隣町が遠路というのなら、列島の突端は、彼方の世界か」
二人の会話はほっておくと平行線を辿り続ける。
本来これに割ってはいるべき、存在がいるのだが、今は依頼完遂のために奔走している。
冷めた目で言葉を返しながら、鷹志が出されたお茶を口に含んだ。
途端に、眉をしかめる。
「白湯か、これは……」
朝飲んだままの出涸らしで入れられた、ほとんど無味のお茶に鷹志は閉口した。
眉をしかめたり、閉口したり……鷹志にして、珍しすぎるリアクションのオンパレードだ。
「面倒臭かったんだもん」
「夜月の居るときは、ちゃんと丹念に入れるだろうに」
「愛の成せる業ね」
「……あまり浮っついていると、ただでは置かないよ」
「うっ………すみません……」
じろりと鷹志が睨みを効かせると、嵩穂は借りて来た猫のように大人しくなった。
それに満足したのか、鷹志は机に両膝を突くと組んだ手の上に顎を乗せた。
「で……」
「でって、何?」
「今回の夜月の仕事が、そんなに気になるのか、嵩穂」
嵩穂の瞳が僅かに見開かれる。
だがすぐに、何でもお見通しねとばかりに、諦めたような顔つきを作った。
「もしかして、ばればれ、とか?」
「ああ、非常に思考を読み取りやすい」
「言い換えれば根が素直な良い子って事ね」
「………茶が不味い」
嵩穂の科白を黙殺して、鷹志は湯飲みを妹の目の前に掲げた。
その湯飲みを取り上げると、嵩穂は、給湯室へと向かう。
給湯室と銘打ってはいるが、実際は、座敷へ上がった、台所の事だ。
出涸らしを捨て、新しい茶葉へと代える。
そうして先程沸かしたヤカンのお湯を注いでいると…。
「お前が気にしているとおり、今回の事件は、夜月にとって少し荷が重いな…」
兄の声が店の方から聞こえてきた。
脈絡もなく、彼の話しが始まっている。
慌てて、熱い湯気を立てる湯飲みを持って嵩穂は、鷹志の元へ急いだ。
途中、やはり頭上の光がちらつくのを感じた、そろそろ電球の寿命だろうか……。
「じゃあ、なんで夜月さんだけに任せるの? 別に私も一緒に行って構わないのに……」
「お前は受験勉強で忙しいだろ?」
それは建前だという事は、十分解りきっていた。
だいたい今、こうやってのんびり茶をすする妹を見て兄はさして嫌な顔をしていない。
「本当の理由は?」
妹の詰問に、鷹志は苦笑を浮べた。
再度入れられたお茶を、口に含む。
彼自身、こんな言い方が通用するなど、思ってはいない。
あっさりと前言を撤回した。
「夜月にとって重要な意味を持つ事件だからだ」
湯飲みへと伸びた彼女の手が止まる。
片方の眉を潜めた。
兄と同じ癖だ。
「どういうことなの?」
「言い換えれば、夜月にしかどうにもする事ができない事件という事さ…」
「お兄ちゃんでもお手上げって事!?」
「ああ」
即答されて、嵩穂はさらに頭を混乱させた。
ただ、これだけは彼女でも言える。
「お兄ちゃんに無理な事を、夜月さんに押し付けてどうするのよっ!」
陰陽道と泰山家、その関わりは一千年以上も昔から連綿と続いている。
後にも先にも、これ程の陰陽師は産まれないだろう、そう言われる男が、どうする事もできないと言いきるのだ。
夜月に、それをどうこうできるとは天と地が引っくり返っても有り得ない。
「何か、勘違いをしていないか? 嵩穂」
夜月を思って表情を暗くした嵩穂に、鷹志は口の端を釣り上げて笑みを作った。
嵩穂にはそれが、非常に癪に障る。
つい言葉が乱暴になる。
「どこが、勘違いよっ」
「俺はそれほど頼りになる人間ではない。人であるかぎり万能であるはずがないんだ、神はちゃんと帳尻を合わせているよ。俺に弱い部分は山程ある」
兄の弱点など、あるとは思えない。
そもそも鷹志の言動はどこか、こちらをからかっているようなニュアンスである。
剥きになっても糠に釘では、張り合いも無い。
嵩穂は気の抜けた、ため息を吐いた。
そうして額に手を当てて。
「……今回の事件は、そのお兄ちゃんの弱い部分がネックになっているってわけ?」
「いいや」
「じゃあ、さっきの講釈は何なの?」
「ふん、お前がどうも俺に対して穿った考えを持っているようだから、正したんだ」
なかなか話しが先に進まない。
いい加減焦れて、嵩穂が口を開こうとした時。
座敷の方から、ダイヤル式黒電話の時代遅れな呼び鈴が聞こえてきた。
鷹志が目だけで、電話を取ってくるよう、促す。
「はいはい、解りました、お兄様」
はんば自棄気味に、そう言い捨てて、嵩穂は立ち上がった。
店と電話のある居間は引き戸一枚で繋がっている。
戸を開くと、居間の片隅に置かれた古びたサイドボードの上でリンリンと鳴る電話機を睨み付けた。
受話器を取る。
「はい、寂光堂です」
「ん、何だあんた……?」
低いが、大きな広間などでは良く通りそうな声が不機嫌に尋ねてくる。
「泰山鷹志の家じゃないのか?」
「あの、私は鷹志の妹ですけど…、兄に何か?」
受話器の向こうから、あいつに妹がいたのか、とか言う声が聞こえてきたが嵩穂は無視した。
どうにも、無作法な相手である。
「兄に何か用なんですか」
嵩穂がもう一度、相手に聞き返した所で横合いから受話器が奪い取られた。
いつの間にか鷹志が隣にいる。
「私です…………いや、お転婆が過ぎて困るぐらいで…………あの件? それは有り難い………」
一体誰だろうか。
泰山鷹志の交流関係が実際の所どれだけの幅を持っているか分からないが、妹の目から見る限り、あまり人との接触を好んで取っているとは思えない。
「住所は?…………解りました。…………何となく、という所ですか。……………本当ですよ。………それでは……」
何やら相手から聞き出すと、あっさり鷹志は受話器を置いた。
話しを面白くしようとか、そういう努力が一切ない。
余情を削りきった会話だった。
「誰から?」
嵩穂の問いに、鷹志には珍しく、すんなりと答えた。
「県警の、お偉い警部殿」
「警察!?」
警察が一体この古本屋に何のようだというのだろう。
問いただそうとするよりも速く、鷹志が口を開く。
「どうだ、今から少し出かけようと思うんだが、夜月の事がまだ気になるのなら、俺についてくるか?」
「ついてくるって……」
鷹志は笑みを浮べるだけで、何も語らず店へと直行する。
嵩穂はその後を追った。
例のダークコートを羽織り、色付きの眼鏡へと掛け返る。
そうして寂光堂の入り口の引き戸に手を掛けた所で、後ろをついてくる嵩穂へと振り返った。
「言い忘れていたな、なぜ夜月でなければならないのか、か。………それを結論付けたのは"月の理"と"狂い"さ」
嵩穂には、わけが解らなかった。



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