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Original Novel 遊真 Presents



寂光堂


月輪の法則

17 九人の生存者



身を起こした僕が見たものは、明らかな"ずれ"だった。
狂気の扉を開くのに他に何の外力もいらない、既に十分すぎるほど、僕達を閉じ込める空間は歪んでいた。
それほど救い用の無い"狂い"だ。
僕は、柔剣道場中に充満したどぎつい臭いに咽た。
刺激臭にも近いその臭いは、涙腺から涙を呼び起こした。
窓の外には、鮮やかに焼けた空が見える。
そうして同様に、道場内の壁も床も天井も……赤で染められていた。
ただし、透き通るような夕焼けではなく、粘りつく不快で忌むべき赤。
……本来、人の体内で呑み彩られるべき赤。
それが、大量に撒き散らされている。
これでもかというほど、陰惨に、激しく………。
頭上に首の無い死体が、十体以上、足をクサビのように天井へ打ち込まれ、所在なく揺れている。
時折、凝固しきれていない血が、首の辺りから滴り、床に落ちた。
僕は、背後ですすり泣く女性の声に振り返った。
生きている者が、翔子さんと僕を入れて九人いる………。
…………再度確認した。
……………間違い無く九人だ……。
名前の知っている者で、翔子さんを抜かし、瀬能、相原、前川、滝沢、間瀬……いずれも翔子さんと何らかの符号を持つもの。
そして、肩を寄せ合い泣く、無名の二人の女子生徒。
「…………九人」
………僕は事の重大さに眉をひそめた。
それは死体が幾つもぶら下がっている事に起因するものではない。
そんな既に起きてしまったものではなくて………今、まさに現在進行中の危機だ。
問題は九人生き残ってしまった事。
「……………」
………おい。
一体、僕は………。
「……なんなんだ、いったい……」
独白した。
………この状況下において、驚くほど冷静な自分に遭遇し、自然、微苦笑が産まれた。
何が、"そんな既に起きてしまったものではなくて"だ。
何が、"問題は九人生き残ってしまった事"だ。
自分の考えに対して、呆れての苦笑。
誰にも見られないよう、僕は歪んだ口を手で覆う。
相棒ならば、憤怒する状況なのに……。
苦笑した自分に戦慄く……。

………慣れが悪いんだろうか……。

僕は首を左右に振った。
遠心力で、己の頭にこびりついた"狂い"を振り払おうとする。
………冷静なんかじゃない。
これこそ、"狂い"であり"ずれ"なのだ。
僕は鷹志さんの言った事を実感した。
まさに、この場に堪った強烈な"狂い"が無意識の内に僕を引き込んでいる。
僕に内在する"狂い"をこの場が、磁力を伴って勝手に調整している。
………結論が出た。
自分を正気だと思わない。
それがこの場で本当の意味で冷静にいるための方策だ。
自分への精神分析を終えた僕は改めて、生きている者達へ視線をはわしていった。
僕が意識を失っている間に、混乱は小康状態に入っているようだ。
誰もが沈黙を守っている。
静かすぎて、すすり泣く声だけがこの四角い空間で、やけに耳に付く。
まずは………。
「翔子さん…」
目の端に涙を溜めながらも、幾分か正常を保っているらしい隣に座る彼女へ話し掛ける。
もっともそれは外面だけを見た話しであって、内面に吹き荒れるものまでは測りしれない。
半呼吸の間を置いて彼女が僕の姿を瞳に留めた。
「……や、夜月さん、これは………どういう……こ、と……」
言葉を詰らせながら、彼女が質問をぶつけてくる。
……まるで熱病に侵されたかのように、言葉が上ずっていた……。
「呪(しゅ)というよりは強力な念(ねん)………ですよ、これは」
僕は端的にそう告げた。
むろん、こんな事が彼女の求める答えではない事は百も承知だ。
しかし、今は一時的とはいえ、僕の"狂い"に皆を引き込む必要があった。
この場の引力よりも強くだ。
ただし、僕は鷹志さんほど扇動者ではない。
「………それは……」
「翔子さんを狙う輩とはとても思えない、関係がないとは言い切れないけど…君が気に病む事は一ミクロだってありはしない」
だから相手に意見をさせず、ただただ強引に引っ張る。
「嘆く事も、喚く事も、我を忘れる事も、まだする暇はない」
僕は立ち上がると朱に染まる外界と柔剣道場を分断する厚いガラス製の二枚扉まで歩いていく。
床板を踏みしめる音に、翔子だけでなく、呆然と虚空へ彷徨せていた他の人等も、僕に視線を向ける。
扉の取っ手に、右手を置く。
………確かこの入り口の扉を、僕は切り落としたはずなのだ、ここへ入る時。
僕はその取っ手を思い切り押した。
………びくともしなかった。
引いてみる。
………もちろん、毛一筋程も動かない。
最後に僕は、勢いよく硝子の部分を蹴った。
何度も何度も何度も………。
結果は目に見えている。
僕は、いつのまにか現実と虚実とを区別する境となった扉に手を置くと、振り返った。
「確かに僕達は生きているけど、今だ死への境界線上に並んで立たされている。そのまま踏み越えるのが嫌ならば、ここから出る事に神経を集中して欲しい」
翔子だけでなく、全員に聞こえるよう、声を大にした。
僕が仕掛けた"狂い"は。
………生への執着だ。

 
 
余裕というものがある時、その隙間を狙って感情は入り込んでくる。
だから、その余裕を無くす。
例えば、自分に及んだ危険に対する精一杯の警戒。
それが死をも伴う危険からの回避ならば、おのずと感情は入る余地を無くす。
……それが僕の経験から得た考察だ。
僕は、無理矢理感情を押し込めた八人を輪にして座らせた。
まるで、お互いを監視させるように……。
瀬能はただ首をうな垂れて、ぶつぶつ何か呟いている、相原と前川の部長、副部長コンビは表情に精彩はなかったものの、瞳に意志の光が宿りつつある。
一番体格の良いはずの滝沢は、何やら周りを気にして落ちつかな気に見回し、間島は神経質そうな顔と同じく、黒縁の眼鏡を意味もなくいじっていた。
井口、佐原と名乗った女性二人は、泣くのは止めたものの、変わらず寄り添っている。
僕は逐一、皆の顔を観察していった。
…………西日に照らされて、床には長く伸びた九つの影。
「……これは……どういう事なんですか……」
相原が代表するような形で口を開いた。
言葉の端端が震えていたが、言葉を紡げるだけでもたいしたものだ。
僕は嘘、偽りはしないと口上するかわりに、鋭い視線を彼に加えた。
「まず君達の希望を砕かしてもらう。これは夢、でもなければ。幻、でもない」
「こんなリアルな夢があるものかっ」
間島がヒステリックに口を挟んだ。
僕はそれを無視する、相原もそれを無視した。
「そうして、これは転変地異でもなければ、たんなるアクシデントによるものでもない。明らかに、誰かが人為的に仕組んだ……所謂、殺人……」
「殺人?……一体……どうやれば、これだけの人を……殺せるんですか、まったく釈然がいかない」
相原は僕と会話を成立させる事で、平常を取り戻しつつある。
隣の前川さんもまた、そんな相原を見て、平常を取り戻してきているのが解った。
今、僕達の間では、天井にぶら下がる友の死体も、板張りの道場内を染めた血の跡も暗黙の内に、その存在を消していた。
……これも一種の"狂い"なのだろうか……。
ただ窓の外で、地平線にとっくに沈んでもいいはずの日が、今だ未練がましく浮いている…。
それだけが僕達の景色だった。
「どんなに法螺だ、詐欺だと言っても、その目でしっかりと見てしまったものは、認めざるを得ないでしょう、君達も。………殺害方法は、念、です」
「……念って……念じるの、念かよ…」
間島の次は、滝沢が言葉を割り込ませてきた、今度は僕も肯く。
「はははははっ!」
ぎょっとするような笑い声をあげたのは瀬能だった。
皆の視線が彼に集中する。
もちろん僕も。
彼は落ち着くどころか、どんどんと精神的に壊れつつ在った。
それが見て取れる。
目は血走り、口の端からは沫が吹いていた。
瀬能の、その態度こそ、一般的に見れば正常なのかもしれない……だが。
その醜悪さに僕は、ほんの一瞬、眉をひそめた。
「な、何を言い出すかと思ったら、念だとっ。馬鹿か、貴様はっ!これは空想の世界じゃないんだ、ふざけるのもいいかげんにしろ、………そうか、解ったぞ。お前だ、お前が殺ったんだろっ、部屋の電気が切れたのを狙って、暗がりなのを良い事に……ひ、一人づつ順番に殺していったんだっ、この殺人鬼めっ!!」
彼の言動は完全に破綻していた。
夕暮れ時に、蛍光燈の明りを消した事で、あれほどの闇がつくれるわけがない。
まして、いかなる殺傷道具を使った所で、あれほど手早く、惨い死体を生産できるはずがない。
これはもう、彼等の現実で測れる事態ではないのだ。
これは僕に置ける現実で測らない限り説明はつかない………つまり、彼等が非科学的と称する呪術という分野で……。
「先生、落ち着いてくれないか」
男のような言葉使いで、前川美紀が顧問の醜態を諌める。
井口さんと佐原さんは、瀬能のあまりの剣幕に、脅える。
相原も、滝沢も間島も、冷たい視線を瀬能に送っていた。
瀬能の錯乱ぶりが、彼等にとっては逆に鎮静剤となっている。
……ああはなるまい、と……。
その気配を多少なりとも察したのか、この可哀相な先生は、膝立ち状態の足をしまう。
僅かの間、物凄い形相で僕を睨み付けると、顔を逸らした。
「……夜月さん、でしたか……。話し、続けてください」
今度は相原に変わって、前川が聞き手となった。
「…………念とは、文字通り、念じるだけで行為を成してしまう業の事です。因果を組み、儀式の複雑な呪、例えば………」
そこで一度言葉を切り、僕は立ち上がる、そうして息を腹に溜め込んだ。
溜め込んだ息を、鋭く吐き出す。
「天蓬、天内、天衝、天輔、天禽、天心、天柱、天任、天英」
星の名を発しながら、右足を出し、左足を引き寄せるようにして、円を四回描いた。
肺に残った最後の空気を、音の無い呼気で吐き出す。
同時に、音叉のような共鳴音が大気中を伝播していった。
「これが、中国、道教に端を発する兎歩。尊星都藍兎歩作法(そんじょうとらんうほさほう)つまり陰陽道で言う所の反閇(へんばい)という歩行用の呪です。そして……」
僕は皆の理解の程を伺うように、ぐるりと視線を巡らす。
呪(しゅ)の実演に、すべての目が僕へ集まっていた。
完全に自分のペースへ引き込んでいる……。
その手応えを感じた。
「朱雀、百虎、玄武、匂陣、天台、文王、三台、玉女、青龍」
四神、神人、星神の名を唱え、縦四、横五の早九字を切った。
「これが、九字です。陰陽道五行、木火土金水(もっかどごんすい)もまた同じ意味を持つ。……他にも、丑の刻参りで有名な厭魅(えんみ)、結界の物忌み、白木の弓を弾き鳴らす鳴弦、調伏の秘儀後霊会(ごりょうえ)。これら全てに内在するものは精神的なもの、つまり呪とはそういうもので、学問的な理論体系があるんです。だから対処法を練る事も出来る。例えば五行では、金気を持って木気を制す、金克木などの、五行相克などです。ちなみに克は殺すという意味になる。………だけど……そんな呪とは違い、念は……」
僕がそこで言い淀むと、間島が床板を思い切り叩いた。
「なんだ、はっきりしろよっ」
「……念はそうはいかない、これは一種の神通力や超能力であって、それこそ対処し難い。僕はその手の力を一切もっていないからね」
厳密に言えば、僕は、である。
建御雷命(たけみかずちのみこと)を使用する相棒は間違いなく物理的力を行使する超能力者にあたるだろう。
ただ、今この段階で、相棒との交代はありえない……。
半日もすれば交代できるだろう……が。
………僕達には半日ものんびりと胡座を掻いている暇はない。
時間がない訳があるのだ。
僕は、その訳を話す。
「僕はある呪を掛けてこの念に対抗した……いや正しくは緊急的に避難する事を考えたんです」
そうして輪の中心、鍔元まで深々と床に突き刺さった布都御魂剣を指差した。
「この剣を要、八人の人間を支柱にして、陰陽道、"乾 兌 離 震 巽 坎 艮 坤"の八卦(はっけ)を想像し、そうして、その八人だけが共有できる異世界を作り上げた」
つまり自然を象る八卦を具現化させたのだ。
人間の発する旺気を人柱に利用して……。
相手の結界を破れないのならば、相手の念が届かない別世界へ逃げ込む。
それが俺の相棒が出した答えだ。
「ちょっと、待ってくれっ!」
相原が、頭を抱えて悲鳴じみた声を上げた。
やはり、彼はかなり冷静だ。
僕の言いたい事が既に呑み込めたようである。
他の者は、まだ事の重大さには気がついていない。
皆一様に突然叫んだ相原に怪訝な表情をする。
「八人だけが共有できる世界に、僕達が逃げこんだと、あなたは言いたいんでしょう」
「そう……」
「だったら、なぜっ!」
僕は、そのまま絶句してしまった彼に、肯定の意を持って肯いた。
「そう、なぜかここには僕も含めて、九人の生き残りがいる………これは明らかに…………おかしい」
危険なのは、それだけではない。
この別世界を維持するため、人柱となった僕達八人は絶えず旺気を放出しているのだ。
生気、旺気、晩気。
万物が産まれる気を生気。
万物が己を維持する気を旺気。
万物が滅ぶ気を晩気。
地球という大きな循環系の中では差して気にならない旺気の放出も、人為的に作り出した箱庭程もない小さな世界の中では、致命的な放出を促してしまうのである。
僕達が、この異世界で存在していられる時間は希望的観測で一時間。
つまり、あの斜陽が、地平線へと沈んだ時。
………死ぬ。



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