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Original Novel 遊真 Presents



寂光堂


月輪の法則

18 二重調査



なにか胸騒ぎがしてくるような空の色だ。
嵩穂は、黙々と坂道を上り続ける兄の一歩後ろを歩きながら、そっと背後を見た。
自分よりも低い位置に太陽がある。
それは眼下に広がるごみごみとした住宅街の中へ埋没するようだ。
沈んでしまえばこの世は終わる……。
そんな胸騒ぎを覚える夕焼け……。
そうして西に堕ちる日とは対照的に、東より昇る夕月………。
薄く、ぼやぼやとしていて……はっきりとしない。
十三夜月なのか、満月なのか…形が解らない、暦的に言えば、今宵は満月のはずなのだけど………。
それを見極めようとして。
「きゃっ」
舗装の丁寧に行き届かないアスファルトの窪みに嵩穂は足を取られた。
つんのめりそうな所を横合いから出された華奢な腕に助けられる。
嵩穂は長身の兄を仰いだ……逆光で表情が見えない。
「ありがと、お兄ちゃん」
「背中に目がついているわけではないんだよ。もう少し慎重な行動を試みたらどうだ」
背中に目がついているわけではない、……そのような事を鷹志が言っても説得力がない。
後ろの方で勝手に躓いた嵩穂を、落ち着きを持って助けられる鷹志には……。
(いつだって、そうだ……)
またも妹を置いて、先に行く兄の背を、嵩穂は一歩遅れて追った。
いつも、鷹志は嵩穂の一歩先……いや、二歩も三歩も先を行っている。
追いつこうと、躍起になる妹などお構いなしに進んでいく…………。
小さい頃は、親にも親戚にも果ては泰山家縁者にさえにも言われものだ。
嵩穂は天才、鷹志は神人。

『嵩穂様は選ばれて御生まれになったのですよ。鷹志様という偉大なお方の側に在るため……』

所詮、自分など兄のお飾りでしかないのだ。
劣等感……そう表現するのは嵩穂の自尊心が許さない。
だが、それが現実。
それが兄妹の、気の遠くなるような隔たり……埋める事はできない…。
嵩穂は思う。
だったら見捨ててしまえばいい……自分なんて。
ただ血を別けただけの唯人なんて、気にしなければ良い……。
嵩穂は良く動く大きな瞳を、閉じると、首筋に手を当てた、そうして軽く引っ掻く。
その僅かな痛みが、嵩穂を常に戻した。
(こんなの僻みでしかない……)
そんな何の足しにもならない事は考えない方が良い。
ひたすら……それこそ周りなど気にせず目指すのは……兄の背中……。
無意識の内に、嵩穂は歩を速めていた。
やがてそれは小走りになり、そうして……間近に迫ったロングコートの裾を小さな掌が掴む。
「なんだ?」
「なーんでもないっ」
瞳に打ち掛かった前髪を、小犬のように首を振ってどけると、嵩穂はにかっと笑った。
そうして鷹志の歩を止めた、右手を、コートから離す。
はすに見下ろしてくる鷹志、しかし、すぐに彼の顔は前方へ向いていた。
嵩穂も、前を向く事にする………今は。

足元には背後から浴びせられる赤光で二人の夕影が地に写っていた。
細身で、長身の鷹志はそれこそ爪楊枝のように見えて滑稽だ。
思わず含み笑いをする嵩穂。
ついさっきまで、暗い気分に浸っていた分、その反動が来ている。
「……唐突に思ったんだけど。お兄ちゃんもうちょっと、太ってみたらどうかなぁ」
「本当に唐突だ。この妹は、一体何を言い出す」
一瞥も加えず、それでも律義に鷹志は言葉を返す。
「だって、不健康的すぎるよ、お兄ちゃんの姿って。それだから、言われるんだよ。鷹志さんって凄く奇麗だけど、怖い、なんてね。細すぎるって病弱とか陰気とか、そんな感じを与えるものなんだから」
「あいにく俺は容姿にたいして、他人の価値基準は気にしないのでな。嵩穂の忠告は取り下げさせてもらうよ」
「お兄ちゃんが気にしなくても、私が気にするんだけど」
「…………」
それ以上は不毛だと判断したのか、鷹志は答えず、口を結んでしまった。
嵩穂が何を言っても、反応しない。
「すぐ、そうやって無視するんだからっ」
終いには、嵩穂も音を上げて、口を閉ざす。

沈黙が訪れた。

車道を通る車もなければ、前方から歩道を歩いてくる人影もない。
二人分の靴音だけが耳につく。
今度の沈黙は、嵩穂の思考を嫌な方向へ持っていきはしなかった。
(…………一体、どこへ行くつもりなのかな…)
相手にされない故、嵩穂は自分達の行き先に考えを巡らせる。
泰山鷹志は、車も自動二輪も免許を取っていない。
ここまでバス、電車を乗り継いで来た。
その間、どんなに嵩穂が尋ねても、鷹志は秘密だ、と笑みを浮べるだけ。
終始、情報公開をしなかった。
たぶん、これは自分への嫌がらせだ。
掴み所のない兄の性格をそれなりに、嵩穂は把握している。
伊達に十六年、兄妹はやっていない。
鷹志の事は誰よりも良く知っている。
そう豪語する嵩穂から言わせれば、この状況は、自分を焦らして遊んでいる図、となる。
(やっぱり、夜月さんがらみだよね……)
それは間違いないはずである。
実際、鷹志は嵩穂に対して、『夜月が気になるのならついてこい』そう言ったのだから。
これで、ただの散歩だよ、なんて言ったならば……。
(引っ叩いてやるんだから)
奇麗な顔立ちに似合わず、乱暴な事を考える。
妹とはいえ鷹志に対してそういう発想が浮かぶのだから、大した度胸だ。
そうやって自分の考えに嵩穂が思いを馳せていると。
「昨日、新聞に載っていた事件。あの被害者が依頼人の両親だったのさ」
唐突に鷹志が喋り始めた。
嵩穂は鷹志の横顔を見る。
彼の長い黒髪が、奇麗に後方へ流れていた………。
嵩穂が髪をショートにしているのは単に、兄が髪を伸ばしているからである。
そんな所まで比較されるのは更々御免だったからだ。
「依頼人……それ川崎翔子って人でしょ、私は会った事ないけど……」
「ふん、まあそうだ。……所でお前、クウァイナイトとかいう喫茶店知っているか」
「クウァイナイトって………駅前にある、ちょっと落ち着いた感じのカフェレストランの事? ……もちろん知っているけど…それが?」
「川崎翔子の両親、その喫茶店のオーナだ」
「は?嘘っ、だって、あれって全国チェーンの店だよ。情報誌でも毎回取材されるような人気の…」
「…そうなのか」
「そうなのっ、知らないの、お兄ちゃん」
怪しげな知識は要らないほど持ち合わせているくせに、世間一般的な情報にやたらと疎い。
もっともこんな事で兄に勝っても嬉しくないわけで。
「クウァイナイトのオーナなら、やっぱり凄いお金持ちなんだ」
「そうらしい」
……………。
それで会話が止まる。
嵩穂は口を尖らせて、鷹志の顔を覗き込んだ。
「何よ、お兄ちゃん、自分から話し掛けておいて、その中途半端な締めくくりは」
「俺は話しの目的を果たしたからな、クウァイナイトとは何か、という……」
「だからって途中で会話を放棄しないでよっ、自分の聞きたい事だけ聞いて、後は知らん、なんて。身勝手すぎるわっ」
頬を膨らませて抗議する嵩穂。
鷹志は、わざとらしいため息を一つ吐くと、鼻先で笑った。
「ああ、解った、解った。一つだけ、お前に何か話してやる。それでイーブンにしてくれ」
「それじゃあ、一体どこに行くつもりなのかっ、答えてよね」
間髪入れず嵩穂は尋ねる。
急に鷹志が歩を止めた。
勢いに乗せて嵩穂は、何歩か行き過ぎる。
「こら」
「はい?」
鷹志の静止の声に、嵩穂は間抜けな声を発して、ようやく立ち止まる。
「どこまで行くんだ…」
鷹志はすっとしなやかに腕を伸ばすと、一つの建物を指差した。
「どこに行くつもりなの、と尋ねたな、答えてやるよ、ここだ」
慌てて戻る嵩穂。
そんな妹を置いて、鷹志は歩道の左手に建てられた、木造の平屋へと入っていった。
嵩穂は門の前で立ち止まると、鷹志の入った建物をざっと見渡した。
汚れが染み込んだ板張りの平屋。
築二十年以上はたっているだろうか……。
その小さな建物を囲むように、嵩穂の身長程の板の塀が立てられている。
そうして嵩穂の立つ門の横……つまり板塀に。
緑色の看板が立て掛けられていた。
ほとんど消えかかった文字で………。
『石内診療所』
そう看板には書かれていた。



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