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Original Novel 遊真 Presents



寂光堂


月輪の法則

22 鬼朱天神



瀬能に向かって走りながら、僕は皆に掛けられた呪(しゅ)を解く。
そして僕と、瀬能の対角線上、中央に差し込んである布都御魂剣を、加速しながら引き抜いた。
しゃらん、と軽い金属音を立て、剣が抜ける。
その刀身に、みなぎる力は付与されていない。
持ち主が違うからだ、しかし……。
人を切る上では、この程度で十分に剣呑な武器となる。
刃が抜けると同時に、要を失った八卦の異世界が崩壊した。
闇の世界へ立ち戻る。
だが、瀬能に、皆を念殺する暇などやらない。
瀬能の姿は、闇に隠れてしまったが、その立ち位置は残像となって僕の目に焼き付いていた。
そうして、この間合いでは絶対に僕は標的を外さない……その自信がある。
なぜあの平凡な教師がこのような狂った所業を仕出かしたのか。
どこでこれほどの力を身に付けたのか。
ちらりと疑問がかすめたが、一切合切の雑念を振り払い、僕はこの一太刀にかけた。
体勢を低くし、疾駆しながら、腰だめに溜めた刀を……。
一閃。
金属が激しく打ち合わされる音。
赤熱した鉄同士が産み出す火花。
僕の刃は、瀬能のいるだろう空間で、がちりと受け止められた。
「なに!?」
驚嘆しながらも、鍛練を積んだ身体が、自動的に第二撃へと移る。
手の内が勝手に返り、一撃目とは逆胴に当たる位置へ返しの刃、…が。
暗闇で虚しく四方に散る、金属音。
また……また、僕の剣は瀬能に弾き返された。
「ひゅいーっ!」
奇声が上がる。
僕達と喋っていた時とはかけ離れている、注意しないと解らない、瀬能の声だ。
その声と共に、頭上から風切り音が迫った。
ほとんど無意識的に、跳ね上がる僕の両腕。
そしてまたも閃く刃の交差。
慌てて、僕は一歩後退した。
接近して反撃を受けるなど思っても見なかった。
一振で肩がつくと思ったのは、あまりにも甘い考えだったらしい。
溢れ出す、汗。
三合を打ち合い、瀬能が小太刀を二つ、手にしている事を悟った。
懐にでも隠し持っていたのか……。
敵は念だけでなく武術までも、僕を凌いでいたようだ……。
……なんなんだこいつは……。
底が知れない…。
「くは、くはははは、よく、よくわかったなぁぁ、やつきいぃぃーーー」
間延びした声が、酷く耳障りだ。
「黙れっ!」
叩き付ける怒声と共に、僕はもう一度、間合いへ踏み込んだ。
上段に構え、床板を蹴破るほどの強い、踏み込み。
頭頂から股下まで吹き抜けろとばかりに、僕は刀を振り下ろした。
「しまっ!」
避けられたっ。
いや、既に移動していたのか?
僕の渾身を込めた一撃は、手応え無く闇を凪ぐ。
体勢が…崩れた。
それと同じくして、右隣に、身体が痺れるほどの殺気が出現する。
出現したと同時に、脇腹へ熱いものが押し当てられた。
ずくずくと、体内へ潜り込んでくる。
「がああぁっ!!」
苦鳴とも気合の声とも判別のつかない声を上げて僕は刀を振り回した。
刃を差し込まれた部位に、筋力をかけ、食え込む。
それで、瀬能の手から小太刀が離れた。
僕はそのまま大きくバランスを崩すと、床板に倒れ込んだ。
倒れ込み様に、小太刀を抜き取り、投げ放つ!
「ぎゃっ!」
瀬能の悲鳴。
狙い違わず、小太刀が奴に突き刺さったのだ。
そして、闇が晴れる。
舞台の暗幕が、すっと開くように……。
僕の視界が戻った。
窓の外は既に暗い、だが、光はある。
中天に浮かび淡い光彩を発する、満月が……すべてを曝け出す。
翔子さんも、相原も、前川さんも………皆が、気を失い倒れている。
天井には相変わらず、首無しの死体がぶら下がっていて、柔剣道場は血に濡れている、これが現実であると、嘲るように……。
そして。
今この場で、まなこを開き時を流しているものは、僕と。
瀬能。
「かはあぁあぁぁっ。よぉっくもっ、よぉっくもっ。いたいじゃあぁないかぁあっ!!」
奴の目は既に腐りきっていた。
ぽっかりと広がった深淵が覗いている。
白木で出来た柄が、瀬能の太股から生えている……僕が投げた小太刀だ。
どくどくと濁った血液を垂れ流し、僕を呪い殺さんばかりの形相。
「二度も、僕を舐めた、貴様がたわけなだけだっ!」
脇腹の苦痛に耐えながら、剣を杖代わりにして、僕は立ち上がった。
傷は浅い……と思う、そう願いたい。
呼吸を整えながら、布都御魂剣を平正眼に持っていく……瞬間。
「しねえぇぇっ」
妬みとか、恨みとか…そんな余計なものなどすべて削ぎとり、ただ対象を破壊するだけに向けられた、純粋すぎる負の念が迸った。
一瞬の内に剣道部員十数名の命を吹き消した、瀬能の念殺だ。
それをまともに僕は浴びる。
脳内麻薬の分泌が制御を失ったように、意識が混濁し。
体内を流れる血液が沸点に達したかのように、身体全体が燃える。
痛みの域を越えた痛みが僕を襲った。
声にならない絶叫を僕は上げた。
上着が余波で契れ飛び、舞う……その中に紛れて…一枚の……符。
……あ…れは……。
そこで僕の意識は途切れた。
……………。

 
…………。
『……呼べ』
黄昏の世界で揺れながら寝ていた俺を、誰かが起こした。
不動を保つはずの水面が、小波だつ……。
それが俺を起こしたのだ。
『夜月か……?』
自分でそう誰何しておいて、首を振るう。
奴……じゃない。
静謐な空間が、不協和音を上げて、不快を示した。
この世界が不快を示すとはすなわち………世界が拒絶をしているという事。
本来、あってはならぬ存在がこの世界に降り立ったという事。
『誰だ………』
俺は内心の動揺を極力抑える。
心の移ろいが、もろに影響するこの場所で、激しい感情は禁忌なのだ。
現に、俺の動揺に共鳴して、黄昏色が鈍い色へ変わり、空間が歪む。
『誰だ……出てこい……』
『妾の姿を見たくば妾の名を呼べ………』
女の声だ。
瑠璃のように透明で、それでいて雷鳴のように轟く、二律背反の声。
摩訶不思議としか形容できない。
少なくとも……。
人間が持ち合わせる事のできる響きでないのは理解できた。
では……。
誰だ?
『おい、俺はあんたの名前なんて知らんぜ』
『戯れ言を……、主は妾の名を良く知っているだろうに……』
あるじ、とは俺の事を言っているのか?
それにしては高飛車な言い草だ、気に入らない。
『知らんものは知らん、それよりもさっさと、ここから出ていってくれないか。俺の世界が、あんたを怖がっている』
俺がそう言い捨てると、女が哄笑する。
『慈悲で伸ばした救いの手を、主は要らんと申すか』
『救い…だと?』
『妾の名を呼ばなければ……死ぬよ……』
『う……』

『主は死ぬよ』

「うるせえぇぇっ!」
怒鳴る。
ふらつく身体を立て直すべく、俺は四肢に喝を入れた。
閉じかけた瞳を、かっと見開く。
手中から抜け落ちそうになった、布都御魂剣を俺は、強く握り直した。
同時に、ただの鉄剣だったそれが、紫電の息吹を発した。
まだ、死ぬものか。
「いひ、便利だなぁ、夜月くーん。たおれるたびにコロコロと入れ替って……、ひひっ」
下卑た笑いを浮べる男に冴え冴えと在る刃の先を向けた。
狂った奴に掛けるべき言葉などない。
右手で剣をささげ持ちながら、俺は、破けた上着の破片と共に、ひらひらと落ちてくる一枚の符を空いた手で掴み取った。
鷹志さんから譲り受けた符だ。
真名を持つ鬼の、式符……。
通常、鬼に名はない。
『御伽草子』で名を連ねる、酒天童子、茨城童子、紅葉、大嶽丸、橋姫……これらは全て強力な鬼共だ。
神格の域まで達した鬼にこそ、人々の恐れによって真名は付けられる。
恐れは鬼の糧。
つまりは、名を持つこそ、彼等のステータス。
そして、俺の手には、その真名を持つ、鬼の式符が握られている…。
「お望み通り……呼んでやるよ」
俺は符に向かって挑戦的な視線を送った。
「なーに、無視してんだあぁっ!」
焦れた瀬能が、第二波を打ち出した。
目に見ない死の波動が迫る。
次にあれを食らったら、俺はお仕舞だ。
笑い続ける瀬能を睨み付けながら、俺は手の中の符を握り締めた。
「鬼朱天神っ!出てこいっ!!」
刹那、俺と、瀬能の放った念との間で、大気が歪んだ。
柔剣道場の全ての窓が、外側に向けて、立て続けに割れ飛ぶっ。
月光で反射した、それはダイヤモンドダストのような美しくも壮絶な情景を作り上げた。
更には、俺に向けられた力のベクトルが、いともた易く捻じ曲げられた。
瀬能の念殺は俺の眼前で砕けると、まるで俺を故意的に避ける様、四散する。
そして、何も無い虚空の一点から湧き出してくる影一つ。
それは、唖然とする俺の目の前で人の型を取った。
直衣を纏いし絶世の美女。
足元まで垂れるだろう長い黒髪を結い上げ、名工の手で作り上げられたかのような精緻な顔には、艶やかな笑み、白い頬には黒塗りの刺青が走っている……。
これが……。
「鬼朱……天神……か……」
鬼の女は、優雅に袖で口元を隠すと、鈴を転がしたように笑った。
『主よ、好機を逃すな』
思わず魅入りそうになった俺を現実に戻す、強い口調。
鬼朱天神に言われるまま、俺は瀬能に注意を戻した。
奴は、不測の事態に対処できていない、混乱している……それが、不思議と手に取るよう、解った。
これもまた、鬼の魔力か……失ったはずの膂力が賦活される。
「解ってらあぁぁっ!!」
俺は雄たけびを上げると、剣を構え直し、突進した。
慌てて、小太刀を構える瀬能。
念を練る暇はない……それが勝負を別けた。
腹のど真ん中に向けて、突かれた刃を小太刀がからめとる。
一瞬、にたりと笑った瀬能の表情は、次の瞬間凍った。
……本性を現した布都御魂剣を止める刃など存在はしない。
受け止めたはずの小太刀が、粉々に砕け散る。
手に伝わる鈍い感触を無視して俺は、瀬能の胴を貫き通した。
「うおぉぉぉっ!」
尚も俺の勢いは止まらない。
瀬能を貫いたまま、駆ける。
「これでっ、終わりだっ!!」
柔剣道場の上座。
その壁に俺は奴を串刺しにした。
飛び散る血飛沫。
ごぼり、瀬能の吐血が、俺の背中を染める…。
一度痙攣して……。
完全に瀬能は、その生命活動を停止させた……。
………俺は興奮覚めやらず、そのままの姿勢で息を整える。
やがて……。
その身を瀬能から離した……。
夜の柔剣道場。
いつも部員の練習を見ていた、その場所で、瀬能は刃に身を委ね、人形のように立ち尽くす、そして彼が動き出す事はもう……ない。

 
情けない話しだが……。
文字通りの死闘を演じた俺は、緊張の糸が切れた途端、床にへたり込んでしまった。
額を伝って滴った汗の雫が、床板に落ちる…。
そんな小さな雫にも、月が映り込む……。
空ろな視線を向けて。
「……おい」
俺は目の前の死体に意味もなく語り掛けた。
「……あんた、一体、どうしたんだ?」
死人が答えるわけもない……。
自然と……苦いものが込み上げた。
俺はそれを無理矢理笑いに返ると、掌で双眼を覆って笑った。
……人間の淀んだ深淵を覗き込んでいると……深淵もまた自分を覗き込んでくる。
ちょうど、そんな感じの……食中りにも似た気分。
………瀬能雅彦に何があったかは知らないが……誰でもこうなる可能性を孕んでいるのだ。
『人は、刹那事に狂いを積み重ねていく……』
そう言った鷹志さんの顔が浮かんでくる。
浮かぶと同時に、俺はその幻影を振り払った。
笑いを納める。
ゆっくりと、己の正気を確かめるようにして立ち上がった。
鬼朱天神が現われた空間には、もう奴はいなかった…。
ただ、その床の上に、一枚の符があるだけ……。
俺はそれを回収する。
サンキューと礼を言って、ポケットの中に仕舞い込んだ。
後は……。
翔子。
俺は翔子に駆け寄ると、その背中と床の間に手を入れて、身体を起こさせた。
月の光に照らされた彼女は、もともと白い肌をさらに透き通らせ、薄い色の髪は銀髪のように輝いている。
素直に…奇麗だと思えた。
嘆息するほどだ………。
まるで、手で触れればすぐにでも沫となって消えるような……儚さ…。
俺は彼女を背中に背負う。
「……帰るか…家へ…」



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