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Original Novel 遊真 Presents



寂光堂


月輪の法則

23 予兆、本当の始まり



楠誠司は、苛ついていた。
一体この数日で、何本の大事な髪の毛達が犠牲になったか、計り知れない。
今もまた彼は禿げ上がった頭を、ぼりぼりと掻いている。
点滅する赤ランプは、こんな時は酷く神経を逆なでするものだ。
パトカーの白いボディーを拳骨で叩くと、楠は唾を地面に吐き出した。
「楠警部、それって軽犯罪に当たりますよ。一応、ここ公共の場所ですから……」
若い刑事の余計な一言に、彼の堪忍袋の緒が切れた。
哀れな刑事は楠のメガトン級爆弾に被爆する。
「うるせえっ!西澤っ、お前に俺の気持ちが解って溜まるかっ!!ただでさえ別け解らん事件を受け持って休暇もろくにとれんっ、ストレスで毛はどんどん抜け落ちるわ、食欲不振に陥るわ、女房から冷たい目でみられるわ、娘に男ができるわ、競馬でするわ……不幸が退去に押し寄せて、さらに、今度はこの事件だっ!」
先程、車のボディーをへこませた一撃が、西澤刑事の頭に命中する。
しかし……娘に男ができるのも、競馬でするのも自分の性じゃあないか、とは口が裂けても言えない西澤刑事はやはり不幸だ。
目に涙を溜めながらも絶える。
彼の家系が祖父の代からの警察勤めで、巡査部長止まり。
言い換えればうだつの上がらない家系、突き詰めれば、お人好しの家系である、というのはもちろん余談である。
「な、なんで僕に当たるんですかっ」
「そこに、お前の頭があるからだ」
この調子である。
周囲の仕事仲間は、この二人を一課の名物コンビ、果ては天然漫才師と呼んでいるのを、当の本人達は知らない。
もっとも今は、この野外漫才を鑑賞する客はいない。
誰もが慌ただしく、動き回っている。
時折、青い制服を着た鑑識官が、二人の前を横切っていった。
「おい、機動隊の奴等は、まだ帰ってねえのか?」
楠の言う、機動隊とは、第一機動捜査隊の事である。
この隊の捜索が済むまで、楠達一課は目の前に張られているロープの向こう側へ行く事が出来ない。
「もうちょっとじゃないですかねぇ…」
西澤の返答は曖昧である、楠はふん、と鼻を鳴らすと、暗い夜空を睨み付けた。
ついさっきまでは見事な満月が浮いていたのだが、今は厚い雲に覆われている。
……いつ雨が降り出してもおかしくない。
それが、警察連中が慌ただしく動き回る理由でもある。
雨でも降られた日には、重要な証拠が流されてしまう可能性があるのだ。
くずくずはしていられない。
そして、もう一つ、彼等が急ぐ理由があった。
それは、他でもない、今回起きた事件の、社会に与える影響度である。
………今まで楠は、多くの陰惨な事件を見てきたつもりだった、が、今夜のような、それは過去のどれともかけ離れた異常さを内包していた。
まず事件が起きた場所が悪い。
私立茜上高等学校、つまり教育現場。
これだけで、マスコミ関係は色めきたつ。
さらには、十数人の生徒が首を切り取られ、天井に吊るされるという、猟期殺人事件である事。
考えるまでも無く、この事件は今年最大のセンセーションを巻き起こすだろう……。
自ずと、警察の体面がかかってくる。
警察の威信と誇りをかけて……というやつだ。
もしかしたら、この事件の陣頭指揮を取る事になるかもしれない…。
そう思うだけで楠はもう一杯一杯なのだ。
「そういえばぁ………」
楠の心配なぞ何のその、西澤刑事がのんびりとした口調で、問い掛けてきた。
「通報してくれた男の声って……一体誰なんでしょうね?」
「さあな、ただ現場に急行した奴の話しだと、その時には既に姿はなかったっていう話しだ」
興味深いのか、珍しく楠が話しに乗った。
「……もしかして、犯人だったりして……」
「あのな……」
楠は、額に手を当てると、ため息を一つ吐いた。
「そいつが第一容疑者として上がっているんだよっ、怪しい奴がいないか、目下近辺を捜索中だ」
「えっ、そうなんですか?」
「そうなんだっ。お前もこんな所で暇を潰すぐらいなら、手伝いにいってこいっ!」
「でも、僕、警部に付いていけって…課長が……」
「馬鹿野郎、お前は金魚の糞かっ。もっと主体性を持ちやがれっ!」
うっとうしいとは思いつつも、楠が西澤をしかりつける時のそれは、教育者のそれだ。
「はいぃっ!」
直立不動になる西澤。
「行ってこいっ!」
「はいっ!」
西澤は、雲の子を散らすように校門を出ていった。
あまりの勢いに、すれ違った捜査員が、何事かと首を傾げる。
「まったく……」
やれやれとばかり、腕を組んだ。
それとほとんど同時に。
「なかなか、大変そうですね、警部殿」
不覚な事に、ぎょっとした。
一般人が入る事のできない、この場所で、奴の涼し気な声が聞こえたからだ。
楠はきょろきょろと当たりを見回した。
「後ろです」
言われてやっと楠は振り返った。
言葉通り、濃紺の闇を背負って、男、泰山鷹志が立っていた。
(……この男は一体、どこから湧き出てくるんだ?)
できる限り不審な顔つきで、鷹志を、楠は睨んでやる。
人を驚かせて何が楽しいのだろうか……あまりに悪趣味な奴だ。
楠が、そう考えたのを知ってか知らずか。
「驚かせてすみません」
鷹志は、浅くお辞儀をした。
ふわりと黒髪が、舞う。
「何しにきやがった、泰山」
警戒を含ませた問いに、鷹志はしれっと答える。
「礼を言いに。川崎夫婦の件は感謝します」
「………あの夫婦の経歴を調査したやつの事か?あんなのが何かの役に立つのか」
「ええ、大いに役立ちました」
にこりと微笑むと、泰山は胸ポケットから煙草の箱を取り出した。
「………なんだ、あんた煙草吸うのか、似合わんな」
「いえ、これは警部殿の分ですよ」
そういって、とん、と箱の側面を叩くと、煙草が一本せり出す。
「どうぞ……」
丁度吸いたい気分だったので、楠はそれを手に取ると口に咥えた。
鷹志は指を弾いて、ぱちりと乾いた音を鳴らす。
それで咥えていた煙草に火が点いた。
「手品です。種明かしはしません」
説明を求める前に拒否された。
合点がいかないまま、煙草を吹かす楠。
紫煙が、よいよ雲行きの怪しくなった夜空へ呑気に浮いた。
「で、………結局、今回の事件も、そっち方面なのか?」
一服吐いて、楠は本題へ入る事にした。
どうせ、鷹志が現われたのも、そんな所が理由だろう…。
「そっち方面です」
率直に、鷹志が言ってのける。
その時にはもう、楠はどうやって事件の調書をまとめようかに心がいっていた。
鷹志が出張ってくる様では、迷宮入り確実なのである。
そこらへんはもう、楠は達観していた。
「誰が犯人なのか、と警部が望む確かな事実は残らないでしょう。形としては迷宮入りとなります、この事件は」
「犯人を野放しにするってのか?」
鷹志は首を振った。
予言者のような彼の言葉は続く。
「人一人が問題ではないのですよ、この事件は。誰がやったのかではなく、どうしてそうなったのか……それが重要。……だが、安心してほしい、この事件の発端となった禍根は今夜中に全て片が付きます。もう同じような事件が起こる事はない」
楠は眉を潜めた。
心なしか、鷹志の声に精彩がないように思える……。
「おい……」
「一つ、質問があります」
それを問いただそうとするより、鷹志の質問の方が早かった。
「……なんだ…」
「……確認したいのです。今、ここで起こった事件の被害者について…」
「被害者? 死亡者15名、軽い心神耗弱に掛かっているものが6名。………そんな所だが……」
「……死亡者は、全て生徒達でしたか?」
不可解な問いに、楠は首を捻った。
「…………そうだ。全て生徒だ、それだと何か不都合でもあるのか」
一瞬、ほんの一瞬だけ鷹志は口の端を釣り上げた。
「いいえ、それで都合が良いのです」
ごうっと嵐を予感させる強い風が、校舎へと続く桜並木の花びらを撒き散らしたのはその時だった……。



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