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Original Novel 遊真 Presents



寂光堂


月輪の法則

24 崩壊の予兆



一際強く吹いた風が、背中に背負った翔子の髪をなぶった。
俺の顔にそれが打ち掛かる…。
両手が塞がっている手合い、首を振って、解いた。
…それから、上空を見上げる。
小一時間程前は、中空で確固とあった丸い月は、今、拝む事ができない。
…………暗い雲が、その光を遮っているのだ。
電柱で寂しく灯る常夜灯の光だけが、のろのろと歩く俺の足元を照らしていた。
そっと…背中で翔子の身体が動いた。
振り向いてみる。
すぐそこに安らかに眠る翔子の顔があった。
静かな寝息を立てている……起きる気配はない。
……あれほど熱を出し、うなされていたのが嘘のようだ。
「……いいきなもんだな、あんたは……」
俺は苦笑を浮べると、また、歩く事に専念した。
既に一時間以上歩いているわけで、さすがに腰にも負担がくる。
だいたい止血はしたもの、脇腹の刺し傷は、ついさっきできたもので、まだずくずくと痛む、………それ以上に心が痛む。
コンディションは最悪と言っても良い。
だが、この女だけは……。
家まで送り届けよう……、そう思い、俺は歩いているのだ。
全て俺の意志で。
………また、強い風が吹いた。
今度は道端に捨てられていた、空缶が乾いた音を立てて転がり出す。
俺は、それが足元近くまで来ると、踏みつけて、止めた。
翔子が起きるのを嫌ったからだ。
この状況下で起きられるのは、少し……いやかなり恥ずかしい。
どうせなら家に着くまでは大人しくしていて欲しかった。
だが……。
上着をボロボロにされた俺に、夜風は容赦なかった。
まずいと思った時には手後れである。
「はっ………はっ……はっくしょいっ!!ちくしょうっ」
どでかいくしゃみと共に、ちくしょうのおまけ付き。
両手が塞がれてなければ、顔を覆いたい気分に陥る。
そして、案の定……。
「……んっ……あっ…………夜月……さん?」
俺のすぐ耳元で、声。
たぶん俺は情けない顔をしている。
「……えっ……うそっ、いやだっ、私」
さらには狼狽して人の背中でもがき出した。
「こらっ!静かにしてろっ!!」
別に怒鳴る事はないのだが、どうやってこの情況を説明すれば良いのか解らない。
「えっ!?…どうして、私?……ここは?……みんなは?……ええっ!?」
混乱するのも無理はないが、場所をわきまえて欲しい。
俺はため息を一つ吐いてから、顔だけを後ろへ向けた
「あんたは、あの場でぶっ倒れたんだ。……凄い熱をだして……」
「あ…やっぱり……、………でも……ここは……」
「……終わった、終わったよ。……相原達は全員無事だ。後の事はすべて警察に任せた。鷹志さんにも連絡しておいたから、面倒な事はたぶん上手くやってくれると思う…」
瀬能が元凶だという事は伏せる。
別に今離さなくても良い事だ。

話さなくて良い事は、他に幾等でも在るのだから……。

翔子は難しい顔をして数秒考えると、まだ半開きの目を見開いた。
「助かった……って事……なの………」
俺は前方に視線を戻すと、ゆっくりと深く、肯いた。
「……そう…なんですか。………ありがとう……夜月さん……」
「……なんで、俺が礼を言われなけゃならん」
「夜月さんが助けてくれたんでしょう………」
"助けた"、その言葉は俺の内腑を抉るような激痛を伴う。
極力考えない様にしていた部分に彼女は触れてくる。
自然と俺の歩が止まった。
「……たった数人だけだ、俺が助けられたのは………」
翔子に向けて言うべき言葉でない事は百も承知だ、だが俺だって自棄になりたい時がある。
奴のように俺は冷静に物を考えられない。
どんなに些少であったとしても、俺には力があったのだ。
意味もなく死んでいった人を助ける、その可能性を持った力を持っていたのだ。
持っていながら、助けられなかった、それが現実。
「……夜月さん……」
困惑気味の翔子。
それでも彼女は、絞り出す様にして言葉を紡いだ。
俺のわだかまりを解いてくれるために…。
「……でも、夜月さんは……私を、助けてくれました……」
「……依頼だからな」
俺はすげなく返す、それが真意ではないのに…。
翔子はへこたれない。
「依頼でも、私を助けてくれたのは、事実です。夜月さんは悪くありませんっ」
だんだんと彼女の声が上擦ってきた……。
首筋に冷たい何かが落ちる。
……翔子の涙か……。
「悪い…のは、きっと私。……真帆ちゃんの事も、……剣道部の…みんなの事も、巻き込んだのは私……」
最低だ。
例え翔子の言っている事が事実だったとしても、絶対に言わせてはならない事を俺は言わせた。
そして、それに対して俺は対処のしようがない。
頭に浮かんだ、どんな慰めの言葉も、あまりに陳腐なものだった。
俺はただ、再び歩き出すしかなかった。
まるで通夜の晩のような陰気が、俺と翔子、二人の間で増幅される。
必死で涙を納めようとして、それがままならない翔子は、俺の背中で鳴咽を漏らす。

 
 
 
………何か、変だ。
歯車が合わない。
俺という存在が酷く希薄になっているような気がする。
全ての行動がちぐはぐで、俺らしくない。
何か大きな狂いに流されかけている錯覚に俺は囚われた。
もしそうだとするなら……俺を捉えた"狂い"を発するものは誰だ?
死んだ瀬能か?
それとも……。
俺は口を結んだまま、夜道を歩く。
翔子はあれから、俺に話しかける事も無い。
歩道の左手には、腰の高さ程の柵。
下草がほとんど奇麗に刈られた木々の合間から、篠山公園の夜の風景が覗き見れた。
………確か、今朝、白骨死体が見つかった公園。
彼女の家はこの近くだ……。
「……夜月さん……」
翔子が俺を呼んだ。
「……ここ、入りませんか。……まだ少し外に出ていたい気分なんです……」
彼女の指差した先には、車止めのされた篠山公園の入り口があった。
俺は空を眺めながら返答する。
「……雨が降りそうだ。止めておいた方が……」
それよりも、俺は少し休息が欲しい。
たぶん、この情緒不安定な様は、疲れから来るものに違いないのだから…。
「お願いです」
初めて、翔子が俺に意見した。
思わず顔を向ける、そこには目を腫らしてはいるが、すっきりとした表情の翔子がいた。
「お願いです。…まだ夜月さんと話しがしたい」
「………」
俺は無言で、その言葉に従うしかなかった。
そうしなければいけない気が、この時、俺はしたのだ。

 
 
公園に、人の気配はまったくといってなかった。
もっとも今朝、首無し白骨死体が見つかったこの篠山公園に、のこのこと人が訪れるわけがない。
聞こえてくるのは、耳を通り過ぎる風の音と、その風の音によって運ばれて来るサイレンの音……。
「もう……大丈夫です。………降ろしてくれませんか……」
俺はやはり無言のまま、彼女を背中から降ろした。
赤いレンガが敷き詰められた道に、彼女は自分の足で立つ。
少し、よろめいた。
俺はそれを予期して、すぐに腕を貸す。
「すみません……」
一言謝罪の言葉を述べて、彼女は俺の腕から逃げる……そう俺には見えた…。
「……無理するな」
「……あそこに座りましょう、夜月さん」
彼女は俺の科白を無視して、一つのベンチを指差した。
球形の水銀灯の光に照らされて、やけに寂しい感じのする古びたベンチ。
俺は不安定な翔子の手を取って、そのベンチに歩いていった……。
先に彼女を座らせる。
ベンチといっても、端の方は腐りかけていて座る事はできない。
俺は、翔子の傍らに立つ事にする。
しかし…翔子はそれを許さなかった。
ほんの少し空いているスペースを指差して、にこりと微笑む。
隣に座れ、と言う事らしい。
「……遠慮する」
「立っているの、辛くないんですか?もうずっと私をおぶって、歩きづめです…それに……」
彼女の視線の先には、傷ついた俺の脇腹があった。
千切れた上着で止血したはずの、そこはじわりと赤く染みている。
次に俺へ目を合わせた翔子の顔は、なんだか悲しそうな顔……。
……また泣き出されては、厄介だ。
俺は、降参の意を、肩を竦める事で告げ、彼女の隣に座る事にする…。
「…これ、使ってください……」
差し出されたのは赤いレースの入った、白いハンカチ。
四隅には刺繍がしてある……。
俺はそれを受け取って、少しの間眺めた。
「これは……」
「それ、私が小学校の頃に家庭科で刺繍したものです。妙に気にいっちゃって、まだ使ってるんですけど……、変ですか?」
答えようが無かった、ただ俺は。
「……いや……別に……」
そんなぶっきらぼうな答え方しかできない。
俺はその刺繍をじっと見詰める……。
その白いハンカチの上に、一つ、花びらが舞い落ちた。
紅淡色の花びら。
それで始めて俯けていた顔を上げた。
咲き乱れるのは、桜の花。
夜風にざわざわと、ざわめきたち、今夜中に全てが無くなるよう、大量に散って行く…。
夜闇に溶け込む、幻想の世界。
俺はその光景に、今の今迄"気づかなかった"。
………いや、そうじゃない……。
そうじゃなくて………。
俺は力無く首を振ると、深く瞼を閉じる……。
………こういう事は、往々にしてあるのだ。
誰の前にも現出するのだ。

"気づかなかった"のではなく……"気づこうとしなかった"。

「夜月さん……」
翔子が口を開く。
彼女もまた俺と同じように、頭上の桜に気を奪われていた。
「私……、よくこの公園で遊びました」
彼女の目は一体何を捉えているのか……。
………ただ、この世界を捉えていない事だけは確かだ。
もっと遠くの、彼方を見詰めている……。
「……まだ私が、幼稚園に入りたてぐらいの時、両親と一緒に、良く遊びにきました。家の父と母ってとても仲が良いんです。いつも笑いが絶えなくて、私は両親と一緒に過ごすだけで、あの頃は楽しかった。青々と繁った芝生の上でボール蹴りや、昼寝をしたり。枯れ木の下で十数えて鬼ごっこしたり…」
昔の事を思い出したのか、笑みを零して翔子は語る。
………俺は彼女の真意を掴みかねていた。
「でも、一番印象に残っているのは、これです」
満開の夜桜。
「父の大きな背中におぶさって、この桜並木を歩くの……」
彼女が俺の顔を覗き込んでくる。
悪戯を思い付いた子供のような笑み。
「…ちょうど、さっき夜月さんにされていたみたいに」
「……俺か?」
「そう、だってつい呟きそうになったもの、……お父さんって…」
「それは、いい迷惑だ。俺はそんなに老けてみえるのかよ…」
翔子がそっと目を閉じた……。
風に流される彼女の、髪の色は闇の中で映える……そして桜の花とも…。
「ううん、別にそうじゃない。そうじゃなくてただ雰囲気が……なんでも包み込んでくれる雰囲気が……」
「……買い被りだ、それは。俺は自分の事で精一杯。月末になると財布の中は空っぽ、一日の食事代にさえ四苦八苦の情けない人間だって…」
「それって金銭感覚にずぼらなだけでしょう、頼りになる、とは関係ないと思う」
ずばりと指摘され、俺はぐうの音もでない。
どうも今までと立場が逆転している。
「ねえ、夜月さん……」
翔子の語尾が少し掠れる。
そうして紡ぎ出した彼女の言葉は、俺の予期しないものだった。
「今度、……すべてが終わったら…私と、この桜並木……、歩いてくれませんか?」
「……………」
それは願いといっても良い。
それだけの強い響きがあった。
彼女が俺に惹かれている、俺も彼女に惹かれている…。
それは…最初に出会ったその時からの真実。
……………だけど、何故、互いに惹かれ合うのかが解らない……。
それがまた、何か別の思惑が働いて、引き寄せられているような感覚を呼び起こし、俺は無視していたのだ、…直視するのを嫌った。
……それらの感情を…。
俺の中での葛藤など、知る事のない翔子は話しを続ける。
「……一度でも、いいんです。……あなたと、この場所を歩きたい……」
「……それが、あんたの話したかった事か?」
翔子は肯く。
ぽつりと、冷たい雫が俺の鼻先を濡らした。
俺は上空を眺める。
とうとう、空が泣き出した……。

俺は、彼女のその願いへ返答を返す前に……聞かなければならない事があった。

「………答える前に…一つ聞かせてもらえないか……?」
別に、今日、この場所で聞く必要などないのに……。
俺の心は焦っていた。
たぶん、俺が自分に対して違和感を感じていたのは、この疑問を抱えていたから…。
俺はそれをはっきりさせなければならない……。
それをはっきりさせなければならない……。
……俺の口を使って、別人が語る……。
本当の俺が止めろと言う……だが。
「俺が、柔剣道場で呪言を使った時……。………なんで、………なんで、俺の呪があんたには、効かなかったんだ?……あんたがどんなに深い眠りについていても、耳さえ開いていれば呪は……効くはずなんだ…」
言い出してしまうと、俺の口は非常に滑らかになる。
矢継ぎ早に発せられる俺の疑問に、翔子はただただ困惑した。
彼女にしてみれば、ただ眠っている時の事。
身に覚えの無い事なのだから…。
だけど、俺は覚えている。
呪を完成させ、縛糸の言霊を吐いた俺の腕の中で、彼女が寝言を口にしたことを…。
『夜月さん…』と……。
そんな事はありえない、あってはならない。
寝ている時こそ、呪は掛かりやすいのだ。
寝ている時こそ、人間は聴覚を尖らせる。
瞼を閉じた人間の外界と繋がった情報経路は、ただ一つ、耳……。
ならば、翔子に呪が効かなかったわけは一つしかない。
儀式が間違っていたのだ。
翔子だけ。
翔子だけ儀式が間違った理由……それはすなわち……。
真名。

「……翔子、あんたは翔子ではなくて、………誰だ?」

次第に雨脚が強くなる。
翔子はベンチに座ったまま、硬直している…。
俺はいつのまにか、彼女の傍らから立ち上がり、向かい合うようにして対峙していた。

凛、濡れたズボンのポケットの中から、不明瞭な鈍い鈴の音一つ……。



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