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Original Novel 遊真 Presents



寂光堂


月輪の法則

27 鷹志の到達した真実



気づいた時は、寂光堂の前に立っていた。
全身ずぶ濡れで、この古書店に俺は立っていた、翔子を抱きかかえながら…。
もう誰もが寝静まる時刻に、がむしゃらに玄関の引き戸を叩いた。
鷹志さんなら必ずどうにかしてくれる。
俺に祓えなかった女を翔子から祓ってくれる。
それだけを信じていた。
「鷹志さんっ、鷹志さんっ、ここを開けてくれっ!」
戸の向こうは暗い。
あの希代の陰陽師は床についてしまったのだろうか…。
だったら、叩き起こすまでだ。
叫ぶ度に口へ雨滴が降り込む、咽ては鷹志さんの名を呼んだ。
やがて、寂光堂に明りが灯る。
硝子張りの引き戸に掛けられたカーテンが開かれる。
……鷹志さんが俺を睨み付けるようにして立っていた。
鍵が開けられると同時に、俺は戸を開けた。
無風のはずの店内から吹いた風が、雨が降り込んでくるのを防ぐ。
俺は転がる様にして、寂光堂に入った。
「夜月、お前、何を考えている?ずぶ濡れで、古本屋に入ってくるとは…、俺のコレクションをすべて台無しにしたいわけか」
入るなり、鷹志さんが相変わらずの毒舌を閃かせた。
そんな事に今日の俺は、付き合っていられない……。
腕に抱えた少女を鷹志に見せる。
ほんの一瞬だけ、鷹志の片眉がつり上がった……彼の癖だ。
「……こちらへ来い」
何の説明もしない内に、鷹志さんは座敷の方へと促した。
俺は翔子を抱えて続く。
「翔子さんを、ここへ寝かしておけ。そのままでは風をひくぞ」
いつのまに取り寄せてきたのか、タオル一枚と毛布を俺に放った。
俺は、彼女の身体を軽く拭くと、横たわらせた彼女の上に、ゆっくり毛布をかける。
その一通りが終わるのを見計らって。
「俺達はこっちだ」
鷹志さんは、再び店内へと戻っていった。
店内には裸電球の一個だけが、心とも無く点いている。
いつもと変わらず帳場の席に構えると、一呼吸の間を取った後。
鷹志さんは俺に尋ねた。
「……夜月、躊躇ったか………」
躊躇った……、その一言に全てが集約されていた。
やはり、この男は全てを見通していたのだ……。
だったら……。
俺は台に積み上げられた本の上へ拳を落した。
古い帳場の台が、僅かに傾ぐ…。
「違うっ!俺は……俺では、翔子に憑いたものを祓えなかったんだ。だから今、こうしてあんたに頼みに来た」
「翔子に憑いた女、双子の姉妹、依子の悪霊を祓えと?」
「そうだっ」
俺は身を乗り出して、鷹志さんの顔を睨んだ。
お得意の講釈は良い、それより一刻も早く、彼女の闇を……。
「……不可能だ」
ほとんどぶつかり合うほどに接近した俺の顔を、真っ直ぐに見据えながら、鷹志さんが断った……。
俺は、彼の言った科白を理解できず、数秒固まる。
薄弱な光に照らされた鷹志さんの顔は、僅かな陰りを湛えていた。
俺は……。
俺はそのまま、鷹志さんの胸座を掴んだ。
「いい加減な事を言わないでくれっ!……あんたにできない事なんてないだろうがっ!悪霊の一つも祓えない陰陽師がいるかよっ!!」
鷹志さんは俺に身体を揺すられたまま、じっと俺の瞳を射抜き続ける。
底冷えのするその眼差しは、熱くなった俺の感情をも冷やしていった。
背筋が凍り付く……。
俺は、骨の髄から湧き出した脅えに思わず、手を放した。
「………夜月…お前は知っているはずだ。俺にできる事など、たかが知れていると……」
「それでも……、それでもあんたしか……」
あんたしか頼れる人がいない。
続く、鷹志さんの言葉は、あまりにも無造作だった。
まるで頼る俺を、突き放すように……。

「そもそも、あれは悪霊なんかじゃない」

意味が分からない。
俺は怪訝な顔をして、鷹志さんの言った科白を反芻する。
「悪霊……じゃない…だと?……それは一体……どういう事……」
「話して欲しいか、全て……」
「当たり前だ、鷹志さんの言う事も、依子の言う事も俺にはさっぱり解らない、説明できるものならしてみろ」
噛み付く俺に、鷹志さんは右手を俺の眼前で開いた。
それをゆらゆらと揺らす。
「話してもいいが。……もう少し冷静になれ。激情は思わぬ力を産むが、間違いを正す事のできない、飛んでいった矢と同じだ。いらぬものまで壊してしまう……」
唐突な虚脱感。
鷹志さんが何か小細工をしたのは明白だ。
俺はそのまま、力無く膝を崩して、背後の椅子に倒れ込む。
……いつのまに椅子が容易されていたのだろう……。
「冷静な心で、俺の話しを吟味しろ。それを真の像と取るか、虚の像と取るか……それはお前が決めるんだ。それがお前の真実になる……」
同じだ……。
五年前のあの日と同じ…。

『俺の話しを理解するなよ、夜月。これこそ、お前を俺のWずれWに引き込む罠なのだからな』

鷹志さんは、今もまた俺を、WずれWへと引き込もうとしている……。
落ち着きを取り戻した俺は、その意味を深く噛み締めて肯いた。
裸電球が明滅する……。
もうすぐそのフィラメントは切れるだろう……。
闇と光が反転し続ける……。

 
 
………。
…雨は鳴り止まない。
むしろ激しさを増していく限りだ。
もしかしたら、このまま全てが水の中に埋没してしまうのではないかと、そう思えてくる。
………それでも明日は来るのだろう……。
昨夜の事など、忘れたとばかりに日が昇るのだろう、晴れるのだろう……。
だが、俺はこの夜を決して忘れる事が無いと、知っていた。
どんな結果が訪れようと、既に、これは俺の物語だった。
「……始まりは、山間の小さな村の、ある名家……」
そして語り手は、漆黒の陰陽師。
かび臭い本の山に囲まれながら、鷹志さんは、凛と透き通った音を奏でる。
騒々しいとしか思えない雨の音さえも、幻想的な背景に変えてしまう……。
「その家の詳細は解らない。ただ姓は川崎、………つまり川崎寛、翔子の父親が生を受け、育った家である事だけは確かな事」
「……川崎寛…、翔子の両親は、依子によって既に殺されていた…」
俺は、観音開きのタンスの中にひっそりとしまわれていた、物体を思い出し吐き気を覚えた。
「知っている。今朝、篠山公園で見つかった首無し遺体、それがかの夫婦のものだという事は、県警を訪れて悟っていた」
「なら、なんで俺に言ってくれなかったんだっ」
俺の非難を、鷹志さんはまるで意に返さない。
ただ、こう簡潔に述べる。
「お前に言っても栓の無い事だ」
無責任な物言いに、一瞬我を忘れかける。
それを制するように、鷹志さんは話しを戻した。
俺は止む無く浮かしかけた腰を、落ち着かせた。
「川崎寛と、その妻洋子、彼等はある理由から、故郷であるはずのその村を出た。……そしてこの町を訪れて、結ばれた……」
「ある理由ってのは………」
鷹志さんは目だけで制した。
まだ足りないという事だ、俺にはまだ話すべき事ではないと言う事だ。
故意的に隠蔽された、キーワード。
俺は途中で口を閉ざすしかない。
「………結ばれたのはいいが、何十年と後進的な生活を営む村から出た二人に、この町はあまりにも、他人すぎた。また頼るべき身寄りも、友人もいなかった。世相に触れず純粋に育った彼等が、この町に潜む、人間社会というWずれWに囚われるのは想像に難くない」
「この町に潜むWずれWだって?」
「言っただろう…夜月…」
鷹志さんは断定する。

「WずれWはどこにでも潜むのだと……」

ずぶ濡れの身体に反して俺の喉はカラカラだ。
唾を呑み込もうとしても、喉がただ鳴るだけ……。
「彼等は巻き込まれたんだよ、我々のW狂いWに…。順応するしかなかった、多対一で勝負を挑むのは無謀にすぎない。ならば呑み込まれるしかないんだ、無意識の内に、この町のWずれWにな……」
すべての事物に、WずれWがあるのなら、俺はどうやって俺を保てば良いのだろう…。
「……その……その夫婦はどうなったんだ?俺達の町が発するWずれWに引き込まれた彼等は、狂ってしまったのか?」
鷹志さんは鼻先で笑った。
要領を得ない子供を嘲るような笑みだ。
しかし、怒りは湧かない。
その通り、俺はまだ鷹志さんの向かうべき答えに到達していない。
「何も変わらない、表面上は…。だけど内に潜めた物は、夫妻が村を飛び出た時とはまるで別物さ。しっかりと己の金庫に入れておいた物が、すり返られているとは、彼等は思わない。自分の心を開けて調べてみようなんて思う奴はいない」
そうやってW狂いWは浸透していくのか?
今この瞬間も、俺は心の中を、すり返られているのか?
心とは絶対普遍のものではないのか?
「そしてこの町に順応した、彼等は幸運を手にした。クウェイナイトという喫茶店の事業に成功した…さらにWずれWは極まっていく……破滅に向かって…」
その破滅とは何だ?
俺は完全に鷹志さんの話しに引き込まれていた。
ぼおっと夢見心地のような、それでいて考える部位だけは鮮明に働いている不思議な状態に陥っている。
「破滅とは……」
俺は鷹志さんを急かすように、相槌を打つ。

「破滅とは、川崎翔子、依子、彼女達姉妹が十七年前に、石内診療所で産まれたその刹那に来た」

やはり、そうなのか?
全てはその双子へ帰結するのか……。
鷹志さんは、俺の胸中を見透かしたように、言及する。
「破滅を呼んだのは彼女等じゃない。むしろそれまでの過程で積み重なったW狂いWが、無垢な双子の赤子をも引き込んでしまったのだよ。彼女等を責めるのは筋違いだ、責めるのなら俺達人間はすべて断罪しなければならない」
白熱灯がまた瞬いた。
「産まれてきた赤子の内、一人の女児は奇形児だった…。ちょうど、そう首無しの人間のように、頭が無い、無頭児。川崎寛は狂気に陥ったよ……、怒りで、その産まれてきた、なんの罪も無い子を即座に、片割れの赤子がいる前で………」

「殺した」

俺は勢い欲立ち上がった。
突然話しが飛んだ。
理解できない。
二間程すっ飛ばして、いきなり結果に不時着した。
もちろん俺は反論する。
「双子の赤子が奇形児だったって?無頭児が産まれた?それを父親が殺した?鷹志さんの言っている事は無茶苦茶だ。どこからそんな突飛な事実が出てくるんだっ」
「無茶苦茶とは言ってくれる」
「だってそうだろうがっ、故郷を捨ててまで一緒になりたかった女性との子供が、仮に無頭児だったとして、なんで父親の方が怒りにまかせて子供を殺さなきゃならんっ。愛し合った人との間にできた子だぞっ!」
鷹志さんは笑った。
俺は知っている。
目尻が下がり、口元を皮肉に歪めた時の彼の笑みは……。
悲しい笑みだという事を……。

「川崎夫妻が、兄妹。近親相姦の果てに結ばれた仲だと言えば納得するのか?」

鷹志さんのその科白は俺の反論を跡形も無く打ち砕いた。
俺は立ち上がった勢いを無くし、またぺたりと座り込んでしまう。
「なん……だって……?」
自分の声が掠れている……。
「川崎夫妻は実の兄妹だ。村を出たのは、それが許されぬ恋だったからだよ」
だから……。
「だから……、奇形児が産まれる可能性も十分に孕んでいた……そう言いたいのか、鷹志さんは……」
俺を打ち砕いた男は、肯定も否定もしない。
ただ、俺の瞳を避ける事無く見据えてくる。
「……彼等が、この町のW狂いWに囚われなければ、そんな不遇の赤子を手に掛けるなどと、馬鹿な事をすまいよ。だがこの町で多くの辛酸を舐め、やっと愛する妻と形ある幸せを手にした……」
形があるからといって、それが確かな物となるわけが無い。
言い換えれば、形ある物は壊れてしまうのだ、永遠ではない。
形の無い愛に逃げた二人に、それが解らなかったのか?
………いや……違う。
それもまた…WずれWだ。
彼等の価値観をがらりと変貌させるWずれWがここでも幅を利かせたのだ…。
「すべての苦難をねじ伏せてきた、これからはただ穏やかに流れていきたい……。そう思う二人の気持ちは良く解る。だが彼等には悩みがあった。もちろんそれは自分達が近親相姦者という引け目。社会に排斥されてしまう爆弾を抱えている、事実。その事実が知られたら、彼等はまた落伍者の烙印を押される……そして……」
鷹志さんは一つ間を置いた。
これから自分が引き起こすWずれWに陥るなよと、双眸を閉じて警告する。
それから、ゆっくりと目を開いた。
「そして……無頭児が産まれた。夫婦の間の消せぬ罪の形が、こうも醜悪に具現化したんだ。夜月にその時の父親の思いが解るか? 子供のいない俺にはまったく検討もつかん。父親はほとんど発作的に、それを隠滅しようとした。すなわち、近くにある何か鋭い物、診療所であったら包帯を切る鋏などを手に取り……刺して、刺して……存在を消そうとしたんだ、殺すという手段で」
血だ。
俺には赤い血が見えた。
生まれ落ちたばかりの、頭のない赤子が切り裂かれ、鮮血で染まる視界。
全て……赤…。
この視界は誰のだ?
父親か?
母親か?
居合わせた医師か?
いや……違う、これは……もう一人の……。

赤子。

なによりも堅い絆で結ばれるはずだった、片割れの赤子。
「やめてくれっ!!」
幻影を振り払うように、俺は絞り出すような悲鳴を上げた。
「解ったよ、依子がそうやって殺された、不遇の霊だという事は解った。だからもう、その話しは……」
「なにも解ってないじゃないか、夜月」
「止めろっ!」
「それとも……もう答えは出ているのか? 真実を受け入れるのは酷か、お前には」
あの……。
…あの幻影がすべてを物語っていた。
鷹志さんの言いたい事はもう、俺の仲で確固としたものとなっていた。
だが、だがそれでは、俺が救われない。
それでも、鷹志さんは容赦が無かった。
「……死んだ者は、零だ。この忍土(にんど)を当ても無く浮遊する暇もなく、輪廻転生の流れへとすぐ組み込まれる…。悪霊というのはな、死んだ者が元凶ではないんだ。生きている者が発するW狂いWに引き込まれて現出する弱い魂なんだ。いいか、生きている者こそ、この世界を、黒にも白にも彩る事ができる。死んだ者に、決定権なんぞない。ましてや生きている者に取り憑く事など不可能」
その先は言わないでくれ。

「無頭児として死んだのは翔子の方だ。依子はその犯行現場のWずれWに捉えられ、強烈なW狂いWにより翔子を己が身体に取り込んだのだ」

『だって、首がないのだもの……』
……依子の言った言葉。
あれはそう言う事なのか……。
大事な片割れの首を探し続ける、依子の本心の声だったのか……。
そして翔子は……。
…なんて、儚い存在なんだ……。
力無く、机上へ拳を叩き付ける。
明滅していた白熱灯は、とうとうその寿命を全うし、一瞬の強い光を放った後消えた。
辺りが闇に包まれる……。
先程まで消えていた雨の音が存在を取り戻した。
そして閃光。
闇の反転。
……俺は気づいた。
鷹志さんの背後…、店と座敷との敷居、その引き戸が僅かに開いている事を。
その隙間から、儚げな少女がこちらを覗いていたのを。
全ての真実を悟り、身体は震え、瞳は見開かれていた事を。
「……翔子」
「夜月さん……わ、わたし……わたしは……」
心細い声が、なんとか声を発しようとして……徒労に終わる。
俺は闇の中、彼女に近づいていく。
鷹志さんはそれを黙ったまま見守っている。
次の瞬間。
響いたのは、雷鳴ではなくて、硝子の砕ける音。
ごうっと、雨滴を伴った強風が、寂光堂の店内を蹂躪した。
「夜月っ」
日頃では考えられない、鷹志さんの緊迫した声。
「翔子が外へ出た、追え!」
俺はその声に押される様にして、寂光堂を飛び出た。
降りしきる雨は、まだ、止まない……。



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