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Original Novel 遊真 Presents



寂光堂


月輪の法則

30 月輪の法則



僕と翔子との物語は終わった…。
もっとも、紙面やブラウン管上では今だにこの事件はにぎやかに報道されている。
やれ、崇りだとか、殺人鬼だとか……。
真実を知る僕から見れば、低俗で下劣でしかない情報が飛び交っている。
そうして、世間は、これらを暇つぶしの娯楽としか捉えていないのだ。
遠い場所で起きた、好奇心を呼び起こす事件としか……。
これが、誰の前にでも現われる可能性を持ったものとは思わない。
これが、誰もが持っている"狂い"によって起こされたものとは思わない。
これが、二人の少女の死によって終結を迎えた事を知らない。
そうして、またどこかで悲劇は起こるべくして起こる……。

 
一週間程前、依子の葬儀に顔を出してきた。
両親と娘が別々の棺に入れられて、別々に荼毘に付され、別々の骨壷に入り、鷹志さんが提供した同じ墓へ眠った。
それを見守る親族は誰一人としていない。
連絡は行っている筈なのに、川崎夫妻の両親すら現われなかった。
訪れたのは、僕と鷹志さん、そして前川さんと相原。
「クウェイナイトを含めた川崎夫妻の遺産はすべて実家の方へ行くそうだ」
鷹志さんが、火葬される三人を見守りながらそうこぼした。
「……実の子を、追い出して絶縁までしておいて、何を今更……」
「つまり、汚点を残した子に罪はあるが、金には罪がないと言う事だろ」
鷹志さんは突き放したように、そう結論づける。
そんな馬鹿な話しがあるものか。
近親相姦が、凶悪だと?
ならば、その凶悪から、金だけを奪う血を別けた親は、凶悪でないというのか…。
そんなでたらめが許せるのだろうか…。
そもそも全ての元凶は、愛し合っていた川崎夫妻を冷たく追い出した、親に責任がある。
「怨むな、夜月」
まるで見透かしたように鷹志さんは忠告する。
「何度も言うようだが、元凶は俺達も含めた全てであって、決して誰か独りに集中するものではないんだ。恨みは、ただ自分の罪を人になすりつけているのと変わらない。そうやって自分を楽にしようとしているだけで、もっとも意味のない行為だ」
「解っていますよ……」
僕はそれだけを告げると、後は口を閉ざした。
鷹志さんもそれ以上追求はしない。
火葬される四人の家族をぼんやりと見守った。
視界がぼやけていると思ったら、それは涙だった……。
今まで出なかったものが、この時溢れた。

 
僕は、脚立の上に座りながら、脇に抱えた本を棚へと並べていく…。
取り替えたばかりの裸電球が、すぐ間近で僕の冴えない顔を照らしていた。
「夜月さん、お茶入りましたっ」
下の方から、嵩穂ちゃんの覇気のある声がかけられる。
その明るい声も、どこか鬱陶しく感じてしまい、僕は返事を返しそびれた。
「夜月さんっ」
今度は真下から声が聞こえ、不意をつかれた僕は迂闊にも脇に抱えた本を一冊落としてしまう。
「きゃっ!」
「あっ……ごめん……嵩穂ちゃん」
落下した分厚い本を軽やかにかわした彼女に僕は慌てて謝罪した。
「あぶないなぁ、ぼっとしてないで、気をつけてください」
別段気にした風もなく、腰に手を当てて、嵩穂ちゃんは俺を見上げる。
その瞳は僕を気遣うような、心配の念を抱いていた…。
五歳以上も年下の女性に、心配されている……。
情けない…。
心底そう思う。
だが、どうにも胸の間にぽっかりと空いた寂寥感は拭えそうにない…。
「こら、家の妹を傷ものにしたらただではおかないぞ…」
鷹志さんが、口を挟んできた。
帳場の台に古本を広げて読む鷹志さんは、とりたてて変わっていない。
いつも通り、丸眼鏡を掛け、涼しい顔をして、あまり楽しくもなさそうに本を捲っている…。
あの事件は、彼にとっては取るに足らない事だったのだろうか……。

 
帳場の台を囲んで、僕、鷹志さん、嵩穂ちゃんの三人で茶会を開く。
熱い緑茶は、腑抜けた身体に、ほんの一瞬の活力剤として一本の芯を通した。
「美味いね……また上達したか嵩穂ちゃん」
「お茶の入れ方を、誉められてもなぁ」
不満そうな科白だが、顔はにやけていた。
俺の口元に僅かだが笑みが象られる。
少しだけ胸につかえた物が取れた気がした。
だから、鷹志さんに、尋ねてみる事にした。
一週間もの間、考え続けていた事を……。
「鷹志さん…」
鷹志さんは、本へ落としていた視線を僅かに、こちらへと向けた。
「………翔子さんは、一度でも幸せを感じた事があったんでしょうか…」
あったような気もする。
だがなかったような気もした。
ただ、僕としては、幸せを感じていたと解れば救われるのだ。
それはやっぱり、自分の利己でしかないけど…。
「さあな」
鷹志さんはすげなく答えると、お茶を一口すすった。
そして湯飲みを、僕の前に掲げると……。
「お前は、どう感じたんだ?」
逆に問い掛けてきた。
返答に窮する、すると、彼はにやりと笑みを浮べて、眼鏡をそっとはずした。
深い黒を湛えた瞳が露になる。
「夜月。人間はな、誰でも"狂い"を持っている……。だがそれは俺達を貶めるような忌むべき存在でしかない、と言うわけではないんだ」
本を閉じると、彼は立ち上がった。
俺はその長身を仰ぎ見る。
「人が求めて止まない幸福。その幸福追求の原動力こそ"狂い"なのだよ。自分にとってもっとも有益な形に持っていこうとする力が"ずれ"を生むのだ。だからな……」
鷹志さんの瞳が優しく揺らいだ。
「だから、狂気に捉えられた彼女の行動は破滅的ではあったが、唯一の幸福への道だったのさ。両親の遺体を捨てて、自由を得る。真帆を殺した事を忘れる。夜月に会う。そして妹と共にこの世を去る。……すべては彼女の望んだように進み、幕が閉ざされた…」
ロングコートを羽織ると、僕と嵩穂ちゃんの間を、鷹志さんは抜けて行った。
そうして、新しく張り替えられた、硝子張りの引き戸に手をかける。
「夜月、お前のポケットの中には何が入っている」
言われた通りに探ると、古ぼけた鈴が一つ。
くすんだ光を放っている。
「それはな、鈴(りん)のお守りだよ。たぶん川崎夫妻が依子に持たせたものなのだろうな」
ゆっくりと僕の方を振り返る鷹志さん。
顔は、外から差し込む光の加減で良く解らない。
照度を絞り込むように、僕は目を細めた。
「たいした御利益もないがな。ただ一つだけこいつはある反応を示した」
それは何だ。
「葛藤だよ。依子と翔子の心が産み出す葛藤、それがその鈴を鳴らすのさ」
「…………」
「それをずっと携えていたお前なら解るだろ……。それが鳴るという事が、翔子が生きていた事実であり、自分の意志を貫こうとした事実となる」
「僕は気づかなかった…」
「気づく必要もない。知った所で、どうしようもないさ。己の不甲斐なさに歯噛みするだけで終わったろうよ」
鷹志さんは気づいていたのか…。
翔子さんが、必死に生きようとしたシグナルを聞きつけていたのか…。
「鷹志さん……」
鷹志さんは、寂光堂の戸を開けた。
外界から吹き込む春風は暖かい……。
「こんな天気の良い日に、暗い店に閉じこもっているのも陰気なものだ。久しぶりに花見にかこつけて酒でも酌みか合わすか、夜月」
僕は……。
僕はゆっくりと、噛み締めるように肯いた。



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