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Original Novel Yuki Presents



終わらない夏


第九幕

帰夏



8/11(土)


「今日は楽しかったね〜。」
帰路につく俺たちを夕日が照らしている
皐月の言うように今日は楽しい一日だった
なんと二人でイルカに触ってきましたよ
それは屋外に用意された水槽に入ったイルカを自由に触れるというものだった
イルカには少し小さい水槽みたいで“ちょっとかわいそうだね”と皐月は言う
とはいえ俺たちも子供に混ざってイルカと戯れてました…
感想というと…なんか、ゴムっぽかった
「ねね、今日このあと暇?」
そんな中、唐突に皐月が尋ねてくる
「ああ、明日の店の鍵もらって帰るだけだから…。」
特に用事もない俺はそう返事をすると
「じゃあ、ご飯食べていかない?」
「行く!」
思いがけない皐月の一言に嬉しい反応を返す
彼女の手料理、これに勝るものはない!!
とはいえすぐに冷静に考えて
「いや、でもやっぱり迷惑だから…。」
「ぜんぜん♪今おじさまもおばさまも旅行に行ってるから。一人で食べるより二人で…だよ?」
皐月がぜひ、と言うので俺はお言葉に甘えることにした
そのため帰り道にあるスーパーにピットする
「なにか食べたいものある?」
「そうだなぁ…皐月の自信作ならなんでもいいよ。」
カゴを持って、二人並んで店内を歩く
そしてそんな会話を交わし、笑いあう
「なんか、こんなこと話してると新婚さんみたいだね…。」
皐月が少し照れたようにうつむいてポツリともらした一言
むむ、やっぱりそう思うよな…
「俺も…こういうのもいいかな、とか思う…。」
だから俺も照れるけどそう返した
皐月となら本当にそうなってもいいと思っているから…
ここは素直に応えた
「ほ、ほんとに…?なんか嬉しいな…。」
「…腕、組もうか。」
「え、あ…う、うん!」
突然の提案に皐月も少し驚いたようだった
自分からこういうことを言いだすのってすっごく恥ずかしい
だけど皐月のためならなんでもできるということを、証明したかった
…と、そこまで大げさなものじゃないけど
「とはいえ結構買いこんだなぁ。」
俺はいつの間にか膨れ上がった買い物カゴを両手で持っていた
とてもじゃないがこの重さは…皐月には無理だと思う
「あ、あははー。ついうれしくてどんどん放りこんでたよ…。」
なのでもう一週店内を回りいらないものを返す
「で、今日の献立はなんなんだ?」
それが終わりレジに並んでいる時に一番重要なことを聞く
カゴの中身は…ジャガイモ、肉、タマネギ、ニンジン…
俺が即答できる食材はこんなものだった
…カレー?
「えっとぉー…できてからのお楽しみだよ♪」
笑顔で皐月はそう答えた
まあ皐月がそう言うなら大丈夫だろう
言われるままに俺はできてからのお楽しみにすることにした
そしてスーパーから歩くこと数分、皐月の家に無事に帰宅
「ただいまー。」
「おじゃましまーす。」
俺は台所に買い物袋を置くと居間でテレビをつけた
俺の今までの経験から得た結論がこれだ
料理のできない人間は厨房に立つのは控えましょう
…なぜなら、絶対に邪魔になるからです
それに皐月に“だんなさんは座って待っててね”なんて言われたら…
待ってる以外俺にはどうしようもできないっしょ!?
すると台所から“トントントントン…”というリズミカルな音
さらに食欲をそそるフライパンの音
そんな音だけでおいしいものがでてくると思わせられる
なんか、家庭っていいなぁ…と思ってしまう一瞬だった
でも俺に手伝えることはありません…ぐすん
仕方ないのでしばしテレビに夢中になる
20分ほどしただろうか
「…おお、いい匂いが…。」
俺は思わず匂いにつられて台所に向かった
「あ、もうすぐできるよ〜。」
皐月は一旦作業の手を止めるとこっちを向いた
エプロン姿もまたかわいくて…
「って、なにか手伝えることある?」
危ない妄想を止めるべく俺は話題を変えた
「ん〜、特にないけど…。あ、じゃあお皿運んでくれる?」
「了解。」
皐月に言われるようにお箸、コップなどを居間へと運ぶ
む、そういえばいい匂いはしているが…カレーじゃないぞ?
いったい、さっきの材料からなにがでてくるのか…
「はい、おまたせー!」
タイミングよく皐月が答えを運んできた
「櫛田家特製のコロッケです!」
皐月の持つ皿の上でそれはおいしそうな湯気を立てている
なるほど、ジャガイモはコロッケになったか
さっき台所でしていた揚げ物の音の正体というわけだ
「でも…見た目普通だけど特製ってことはなにか入ってるの?」
そして俺は普通に質問してみると
「どれか一つが激辛唐辛子入りになってます。」
さらりと皐月は俺にそう言い放った
「そんな恐ろしい家訓は捨ててくれ…。」
何はともあれ冷める前においしくいただこう
「いただきます。」
「いただきまーす。」
俺はコロッケを…取る
皿の上には10個のコロッケがある
1/10の確率だ…そう簡単に当たりはしないだろう
そう思って俺は口に運んだ
「って、辛!!!」
普通に大当たりだった
「うわわ、本当にそれを取るとは思わなかったよ〜〜。
 はい、お茶。ゆっくり飲んでね。」
俺はとりあえずお茶で辛さを鎮める
とはいえコロッケの中身は赤:10、白:0の割合だった
っていうか、全部唐辛子なのか…?
「…いや、辛すぎるよ、これ…。それより、今の“本当に取るとは”って?」
微妙に気になる言い方をしたので皐月に尋ねてみた
なにかすごく印象に残る…嬉しくて、懐かしい一言だった
「えっと…昔、夏樹君ってなんでも左端から選ぶ癖があったよね?
 だからわざと左端に置いておいたの♪」
「いや、“♪”とか言われても…。」
俺は顔では困った様子を浮かべていたけど、本当は嬉しかった
そんな昔の、些細なことを覚えていてくれたということがすごく嬉しかった
そして今感じている懐かしさは、自分でも忘れていたことを思いだしたせいかもしれない
そんな自分でも意識しなかったようなことを覚えていてくれたことが嬉しかった
「くそー、こうなったら俺が全部食べてやる!」
「ええー、そんなのずるいよ〜〜。」
「早い者勝ちだ。」
「ご飯はゆっくり食べるの!」
二人で笑い合う
そんな楽しいやりとりの中、食事は進んだ
やがてそんな楽しい食事も終わる
台所からは食器を洗う音が聞こえてくる
どうしてこうも対象的なのだろうか、料理の音ってのは…
“トントントントン”と“カチャカチャ…”の両極端な音
なにか終わる、という音にしか聞こえない片付けの音
俺は気を紛らすためにもう一度テレビをつけた
しかし野球の中継ばかりでめぼしい番組はなかった
それより、一言テレビ局に言いたい
野球の中継はしてもらってもかまわない
実際に俺も観戦するのは好きだし
だけど!延長は止めてくれ!
ビデオの録画がずれるんだよ…ブツブツ
「はい、お茶。」
「あ、さんきゅ。」
などと不満をもらしているところに皐月がお茶を持ってきてくれた
「なにか面白い番組あった?」
「いや、野球中継ばっかりでさ…特になし。」
俺は皐月がいれてくれたお茶をすする
またしばらく無言の時間が流れる
お互いがそこにいる、という認識の上に流れている時間
言葉が無くしてもそこにいるぬくもり、そばにいる幸せ
それをただゆっくりとかみしめるように体感する
そんな無言の時間だった
「…ねえ夏樹君。」
「ん?どうした?」
そんな時間の流れからでた皐月の声
「今日、泊まっていけば?」
「ぶっ!?な、なにを?」
「だ、だって、今日ならおじさまもおばさまもいないし…それに少しでも一緒に…いたくて…。」
しどろもどろに、顔を赤くしてうつむく皐月
別にただ“泊まっていけば?”という誘いなんだからそんな顔しなくても…
とはいえ俺も子供ではないし…その言葉の意味は…わかる
だけどそれはこの時間には合わないものだった
長い空白を経てやっと動き出した二人の時間
それは今もゆっくりと、確実に動いている
それなのに…なんでその流れを無理に急に流そうとするのか
「なあ皐月、なにかあったの?なんか…皐月らしくないよ?」
「え、そう、かな…?」
えへへ、と照れ隠しに笑おうとする皐月
しかしその表情は曇っている
もちろんこんな事を言うのには勇気がいることだとは思う
それをこんな風にあしらう事はしたくない、けど…
「私、来週の水曜日に向こうに帰るんだけど…ね。
 こ、こんな事言うの恥ずかしいけど…夏樹君のぬくもりがほしいの。」
真剣な眼差しが俺に向く
「そっか…もう、皐月…帰るのか。」
「うん、本当はもう少しこっちにいられるはずだったけど…。
 少しだけ予定が早まっちゃった、ごめんね…。」
そんな眼差しに返したそんな言葉
もっと他に…言うべきことがあるのに
皐月だけがそんな気持ちなんかではないということを
俺だって…皐月のぬくもりが、ほしい
だけどここで俺が皐月を抱いても後悔しないだろうか?
たとえどんな理由があっても、その理由に逃げてもいいんだろうか?
皐月にまた大きな負担を、傷をつけてしまうんじゃないだろうか?
こんな綺麗ごとばっかり並べてる俺はとんでもない意気地無しだろう
こんな俺で…皐月はいいんだろうか
でもあの時のようにまた後悔するのは嫌だ
だから…
「皐月、その…俺、皐月を…抱きたい。」
自分から動けばいい
それで拒絶されればそれでいい
皐月に任せっきりで…それで皐月が傷つくのだけは嫌だ
「え、あ、あの…う、うん…。…いいよ。」
ストレートな俺に少し戸惑う皐月
だけどその返事はしっかりとしたものだった
その時間に流された答えではない、自分の答え
またしばらく別れてしまう皐月と俺
その時間を埋める絆に…皐月を抱きたい
遠く離れても今までのように、絆でつながっていたいから…


8/12(日)


今日は俺と皐月と店長の三人だったはずだ
「なんで先輩がここにいるんですか?」
「なによー、店長が出張って言うから休日出勤してきたのにー!」
せ、せめてあんな日のあとぐらい二人きりがよかったのに…くそぅ
なんてことを考えながら俺はチラッと皐月を見る
「♪〜〜、るららら〜。」
どうも鼻歌がでるぐらいにテンションが高い模様
「♪〜〜、るらら、…ぁぅ。」
しかし時折顔を赤らめうつむく皐月
そんな皐月を見ていると俺まで照れるじゃないか…
「し、商品の前出ししてくるね!」
そう言って俺はそこから離れる
あのままあそこにいたら俺も真っ赤になっているに違いない
そんなつもりで一時的に離れたのに
「夏樹君〜〜、私も手伝うよ〜。」
って皐月まできたら意味ないじゃないか
それでもなんとか意識しないように頑張ってみる
「じゃあ、俺はこっちやるから、皐月はそっちのシャンプーとか頼める?」
「うん、任せてよ!」
しばらく仕事に没頭していればそのうち普通に戻るだろう
しかし背中越しに
「夏樹君、私ね…今すっごく幸せだよ…♪」
顔は見えなくとも満面の笑みを浮かべている事はよくわかった
「そ、そう言ってくれると…俺も嬉しいな。」
たとえ相手が見えなくてもその気持ちが伝わってくる
そんな恋人の階段をまた一歩…登った気がした
皐月がしばらくいなくなってもこのつながりがあるなら
俺達はきっと大丈夫、そう思えてくる
皐月がいなくなることはずっと前から決まっていることで
俺のわがままでそれを曲げることはできないけど
それまでの間少しでも一緒にいたい
こんな時間でさえも共有できることの幸せを忘れないように
ずっと皐月だけを想い続けようと思う
こんな俺を見続けてくれた皐月だけを…
「夏樹君、どうかした?」 
「ああ、ごめん。ちょっと考え事を。」
いつの間にか前出しも終わっていたようだ
俺は皐月と一緒にレジに戻る
今日も一日何事もなく無事に終わっていく…
「ねえ、お別れ会よ!!」
わけにもいかなかった
「先輩、突然なにを?」
俺も皐月もいきなりでわけがわからない、という顔をする
「皐月ちゃん、もうすぐ向こうに帰るんでしょ?だったらお別れ会は絶対必要でしょうが!?」
休日出勤という過酷な労働下で先輩のテンションは最高潮に達しているようだ
この状態の先輩を止められる人物ははっきり言っていないだろう
「ほんとですか?うわー、嬉しいなぁ!」
「ただ先輩が騒ぎたいだけでしょ?」
「…そ、そんなことないわよ?うん。私は純粋に送別会でぱーっと騒ぎたいだけで…。」
そこまで言いかけて口をつむぐ先輩
やっぱり騒ぎたいだけなのね…まったく
とはいえ皐月もまんざらではなく喜んでいる様子
「でもいいですね。バイトでもお世話になったし、騒ごうか?」
「うん!騒ぐぞー!」
だったら俺もそれに乗っかっていくだけだ
「よし、決定!!良子ちゃんには私から連絡するとして…。いつにする?今日?明日?」
すでに携帯を取りだし連絡する準備万端の先輩
いや、さすがに今日は急すぎると思うんだけど
「あ、ごめんなさい。明日はちょっと用事があるから今日、明日の夜はちょっと…。
 でも明後日の夕方なら大丈夫です!」
ということで明後日のよるということで決定
場所は皐月宅ということになった
あの広さなら少しばかり騒いでも大丈夫だろう
「お別れ会ってどんなだろうな…わくわく。」
「ふふふ…飲むわよ…。」
すでに目的が違う人が一名いるみたいだけど…
ま、楽しめればそれでいいか
良子ちゃんからの返信も“参加オッケー”だったし
いっちょ盛大に送りだすとしますか!
「じゃあいい?私と良子ちゃんで食材を買っていくから夏樹君が飲み物ね。」
「了解。7:3でジュースにするけどいいね?」
「あ、私オレンジがいいなぁ〜。」
などと暇な店内に笑い声が響く
その時の皐月の笑顔は決して忘れられないだろう
今までで一番寂しい笑顔だったのだから


8/13(月)


ピピピピピピピ…
頭の方で目覚ましが鳴っているのがわかる
しかしそれを止める手が動こうとしない
しかもその音が微妙に波打って聞こえている
…俺の耳おかしい?
「違う…おかしいのは俺の頭か?」
なにやらぼーっとしている俺の頭
「というか、すごく寒い気がする、この部屋。」
俺はのそのそとベッドから抜け出すと温度計を見る
…ふむ、19度か。まあ夏場ならこれぐらいだな
「んなわけねえだろ!29度の間違いか!?」
俺は慌ててもう一度温度計を確認する
しかし何回見ても温度は19度だった
「おいおい、ここは日本だろ?今は夏じゃないのか?」
そこでこの異常気候を調べるためテレビをつけてみる
なんでも“上空に寒気団が入りこんだため…”だそうだ
こんな季節に寒気団なんてあるのかどうかは知らないが、
理由がわかればそんなものでもう一度眠りの世界に…
「いや、頭が非常に痛いぞ?」
寝不足、寝すぎとも取れない頭痛
しかも目覚ましを止める事すら億劫だったように体もだるい
俺の勘が正しければこれはまぎれもなく風邪と呼ばれるモノに違いない
それを確認するべく一度体温を測ってみることにする
しばらくするとピピピ…と電子音の合図
「38度…か。そりゃ頭も痛いだろうなぁ。」
昨日まで連日30度近い猛暑が続いていたところに
こんな風に突然気温を下げられたら誰だって体壊すよな…
しかもその熱帯夜に慣れた体はものの見事に布団を吹き飛ばしている
そこにこの温度差だ…風邪の一つもひいてあたりまえだ
「さすがにだるいな…薬、あったっけ…?」
このまま寝ていてもよくなるとは思えないのでとりあえず薬を探す
しかし所詮は一人身の家、消毒液とキズテープしかない
薬局でバイトしているとは思えないラインナップだった
「やばい、薬がないと知ったら余計にだるくなってきたぞ?」
たいして効かない薬でも“飲んだ”という気持ちだけでなんとかなるものである
しかしこのようになにも無いとなると…精神的にダメージがくるものだ
「…仕方ない、病院、行くか…。」
正直俺は病院は好きではない
あの出来事があったからかもしれないが生理的に受け付けない場所だ
注射が嫌い、という決して子供じみた理由ではないぞ、うん
とはいえこの状況でそんな事も言っていられないわけで…
俺は早速病院へと向かった
「しっかしいくら頭が痛くて思考がまとまらないからって…
 なにも家から遠い国立病院までくる必要無いだろうに。」
俺は高齢者でごったがえすロビーで順番を待っていた
家の近くにもっと空いてる病院があったっていうのにな…まったく
とはいえあの病院は先生がいつ入院するか、みたいな状況だったし
新しい病院の開拓のいい機会とでも思っておこう
「そういえば家の近くに必ずといっていいほど年老いた開業医がいないか?
 俺の実家の近くにも2件ほど危ない医者があったな…。」
誰に聞くでもなく俺はそうつぶやいた
昔その医者で風邪の時に注射を打った事があった
しかしその手は朦朧とした意識の中でもわかるぐらいに“危ない手つき”だった
それから何年もしないうちにその医者もいなくなったわけだが…
どこにいったかは考えたくはない
「澄原さーん、3番の部屋にお入りくださーい。」
そんなくだらない事を考えていると診察室に呼ばれた
医者のありきたりな質問に俺は答えていく
それが終わると、下された診断は“風邪”だった
まあ予想通り、というか違う病気だったらかなり困る
俺は診察を終えるとロビーで待つようにと促された
待ち時間40分で診察5分か…遊園地の人気ジェットコースター並だな
「そういえば薬局のお客さんも前に言ってたな、国立は朝早く行かないと混むって。」
まさしくその通り、であった
スタートダッシュの遅れた俺が全て終わったのは12時過ぎだった
「なんか、ロビーで待ってた時間で余計悪化した気が…。」
よく考えれば俺と同じような人もあの中に何人かいるわけだよな
ああいう場所で新たな凶悪ウイルスが誕生するんじゃないだろうか?
例えばいくつもの菌が集まって一つの菌へと進化する…
熱でぼーっとした頭が変に動いてついそんな事を考えてしまう
そんな事が起こったらとっくに地球は滅んでるよなー
「ってだめだ。ぜんぜん思考がまとまらないよ。」
こんなくだらない事を思いつくくせに注射とか点滴とか打ってください
と医者に言う頭は働かなかったようだ…なんというマイ頭脳だろうか
もちろん、注射が嫌いという子供じみた(以下略)
だから今日はおとなしく帰って寝よう…という行動は本能として体が悟ったらしく
病院の前のバス停目指して足が動いた
が、病院を出ようとしたところで俺の目に映った人影
その人影のせいで俺はもう一度病院内に向き直る
↑:心臓、脳、神経外科、MRI、CT…
と書かれた階への階段を登るその人影
「…皐月…。」
俺の目にはそう映っていた
ここからは距離もある、熱のせいで頭もぼーっとしている
それなのにはっきりと確信を持ててしまうほど鮮明に映っている人
否定したいのに否定できない…皐月の影だった
“それより皐月は?なにか予定あるとか言ってたよね?”
“え?私?…おばさまと買い物に行ってたけど…?”
この前の月曜日、皐月はそう俺に答えてくれたはず
だから俺もこの間の先輩の話しは別人という事で決着をつけた
なのに…今ここにいるのは誰なんだ?
今すぐにでもあとを追いかけて正体をつきとめたかった
そうすれば俺の心も晴れるのはわかっていた
でも動けない、動こうとしない
もしもあれが皐月本人だった時に、俺がどんな行動に出るか、どんな気持ちになるか
自分に自信を持つ事ができなかった
皐月にも事情があって隠している事なのはわかっている
けれど、俺にだけは、というくだらない考えで頭は一杯だった
昔聞いた客の一言が心に刺さる
“国立の2階って、病気が進行している人しかいないらしいよ?”とか
“あの階、末期の人ばっかりだから末期病棟って呼ばれてるらしいわよ”とか…
もちろんそんなのは根も葉もない噂だと思っていた
しかし火の無いところに煙は立たないだろうし…
実際末期ガンの患者さんが多いのは事実だった
それが理由でそう呼ばれている、と光先生は言っていた
そこに用があるということは、少なくともそこの患者に準ずる病気を持っている…
そんな風にも考える事ができる
「いや、あれはきっと人違いだ。」
俺は自分の考えを吹き飛ばそうと声に出した
明日皐月に本当の事を聞けばそれで全てがわかる
もう皐月がいなくなる事は無いと信じていたい
それに皐月が病気と決まったわけではない
誰かの付き添いだったかもしれないのだから…
そう考えて俺は素直に帰路についた


8/14(火)


ガラガラガラ…
今日も一日暇な日が終わった
とはいえこれからお釣りがくるぐらいの楽しい時間が流れるんだろうと思うけど
「さあ飲むわよー。」
そしてすでに先輩は飲む気満タンの模様
明日は第三水曜日で店が休みだからいいんだけど…
「先輩、一人で飲むならいいけど回りを巻き込まないようにね。」
「なによぉー!一人で飲めっていうの!?」
飲んでもいないのにすでにできあがってる様子だった
ちなみに病みあがりな俺は飲む気はしないんだが…付き合わされるんだろうな、絶対
「お疲れさまでしたー。」
閉店準備を終えて店の外にでたところに良子ちゃんが合流
手には大きめの鞄
海に行った時もそうだったけどそんなに持っていくものあるんだろうか?
女の子だし男より荷物が多いのはわかるけど…何が入っているかは謎だ
「じゃあ揃ったことだし、皐月亭に乗りこむわよ!」
先輩の微妙なハイテンションについていくのが精一杯な二人だった
とは言えあの家を見たら…多分静かになるだろうな
そんなことを考えながら俺は皐月の家へと歩き出す
この中で皐月の家に行ったことがあるのは俺だけだった
必然的に俺が先頭に立つわけだが…
「いや、先輩…先に行きすぎ。道知ってるの?」
なぜか先輩がはりきって前に行く
「もちろんよ!住所見たらどの辺りかすぐわかるわよ。」
そういえば先輩は人間方位磁針だった
確か山で迷った友達を助けたこともある、とか言ってたっけ
ということは、待てよ?住所で場所がわかるということは…
「ほら、ちゃんと着いたでしょ?思ってた通り大きい家ねー。」
その家がどんな場所に立っているかもわかるということだ
高級住宅街に並ぶ、豪邸だということまでも…
「がくっ。」
俺はその場にうなだれた
「夏樹くん、どうかしたの…?」
そんな俺に良子ちゃんは“?”を浮かべて手を差し出す
「せっかく先輩の驚きに満ちた顔を見ることができると思ったのに…。」
俺は良子ちゃんの手をとって起きあがる
その先には
「ふふふ…甘いわよ、夏樹クン?」
勝ち誇る先輩の姿があった
「それより中に入りませんか?こんなところで漫才してても周りの人に迷惑ですよぉ…。」
それを制止するかのように良子ちゃんが言う
確かに夜中に他人の家の前でじゃれてたら不信に思われても仕方が無い
俺はインターホンを押した
『どちらさまですかー?』
「あ、バイト仲間三人集です。」
後ろでネーミングセンス悪い、とかつぶやいている先輩は無視することにしよう
そうこうするうちに俺達は家の中へと招かれる
「ようこそいらっしゃいませー。」
「店じゃないんだからさ。」
皐月の一発目の、精一杯のボケをさらっと流す
そんな俺に皐月はむぅー、とした顔を向ける
そんなやりとりも俺には楽しかった
「遅くなってごめんね、皐月ちゃん。ささ、飲むわよ!?」
先輩は俺に持たせた荷物をテーブルの上に広げていく
「よぉし、飲むよー。」
皐月もそんな先輩についていく
「あ、私食べるもの作ってきました。」
良子ちゃんはそう言って鞄の中からおつまみになりそうなものを取りだす
なるほど、鞄の中にはそれが入っていたのか
重箱…とまではいかないが三段に重なった大きめのお弁当箱
それにはからあげ、おにぎり、などが収まっていた
「おお、うまそー。」
それに俺は釘付けになる
今日一日バイトで実はかなり空腹だったりする
「いっぱいあるからたくさん食べてね。」
「すごい、良子ちゃんてお料理上手なんだね。」
その言葉と同時に俺達はお弁当をつつきだす
うん、味も確実に“うまい”部類に入ると思われる
「そういうえば海に行った時もおいしかったけど…良子ちゃんって料理上手だったっけ?」
そこで俺は少し昔のことを思いだす
“私あんまり料理得意じゃなくて”
確かバイトに入りたての頃そんな風に言ってたような
「あ…っと練習したんだよ、前に夏樹くんが言ってたから…。
 冗談で料理上手な女の子を嫁に貰うって。」
苦笑しながら良子ちゃんはそんなことを言う
しかも微妙に場の空気が変わる
うぁ…皐月の視線が、痛い…
「あ、えとまぁ、そんなこともあったっけ?もう一年ぐらい前だよね?あはは…。」
俺はもう昔のこと、を強調しようとそんなことを言った
「ヒドイ!夏樹クンったら私に嘘を言ったのね!?」
「先輩には言ってませんから。」
いいタイミングで先輩のボケが入る
通常なら真剣にきり返すこういう危険なボケも、今の俺には救いの手に見えた
「それより、乾杯するわよ!ほらほら飲み物持って!」
どうもいち早く飲みたいのか先輩は強引にグラスを持つように促す
俺達は苦笑しつつも手にグラスを持った
「今日は皐月ちゃんの歓送迎会を祝って、乾杯!!」
という先輩の謎の音頭と共に幕を開けるのだった
乾杯を交わすととりあえずビールに口をつける
「皐月、歓迎会遅くなってごめんな。しかも送別会と一緒だし。」
「ううん、嬉しいよ。こういうの初めてだから。」
そう言う皐月は酒を飲んだことが無いらしいので今回はオレンジジュースとなっている
「うーん、私もビールはだめかなぁ…。」
そう言う良子ちゃんもビールは苦くてだめらしい
「ふーっ、おいしい〜〜!」
プシュッ
「って先輩早いよ!もう二缶目だし…。」
「仕事の後の一杯は格別なのよ。」
そんな親父みたいなセリフを残しつつ先輩は二缶目に突入していく
そんな先輩を見て
「ねえ、びーる、っておいしい?」
皐月がそんなことを聞いてくる
「うーん、俺は別段好きって言うわけじゃないけど…。まあ一口でもいいから飲んでみれば?」
そう言って俺も皐月にビールを勧めてみる
すると一口だけ、と皐月が酒に初挑戦
「…変な味がするね…苦いしぴりぴりするよ…。」
しかしさもまずそうに顔をしかめる皐月
いきなりビールはまずかったか…
なので俺は段階を踏んでみることにした
「皐月、こっちはどうかな?甘いぶん飲みやすいよ?」
無難にピーチサワーを選択
ビールよりアルコール分はあるけど甘いから女の子は飲みやすいかもしれない
飲み過ぎない限り問題は無いだろうし、大丈夫だろう
「んくっ、んくっ、んくっ…ん!これはおいしいよ!」
そう言って皐月も喜んで…一缶飲み干した
「って一気に飲んだらだめだってば!」
あまりに一気過ぎて俺は止める事ができなかった
しかし時すでに遅し…だった
「うふふ…これ、おいしい…。もう一本飲ーもぉっと。」
そう言い終わる前にもう一缶袋から取りだすと豪快に飲み干していく皐月
すでに目が座っており何気に顔も真っ赤になってきている
これはまずい、早く止めないと…そう思ったのだが
「あら、皐月ちゃんいい飲みっぷりね!ほらほら、ぐぐっと!」
もう一人の問題児もすでにできあがっているらしくそれを煽る
「二人とも…大丈夫かなぁ?」
横で二人の様子を見ていた良子ちゃんが口を開く
よかった、まともな人間がまだいたようだ
「このペースが続くようだったら止めよう…。」
せっかくの楽しい時間に水を注したくは無い
だけども何かあったら大変だし
なので無難にそう答えておいた
「夏樹君!飲んでるかね!」
しかしその言葉の説得力を無くすかのように皐月が俺にからんでくる
その親父っぽいセリフはなんなんだ、いったい
と言いたかったのだがすでにできあがっている人間に一般理論は通用しない
「飲んでるよ。でも皐月はもうその辺で止めた方がいいよ?」
だから相手の言い分を肯定しておいてから要望を伝える
これで大丈夫のはずだった
「こんなおいしいものを止めるなんて、夏樹君はヒドイのれす。」
完全にできあがっている人間には何を言っても無駄という事を知った
しかももう語尾もおかしいし…皐月まずいんじゃないか?
「ほら皐月、飲み物ばっかりじゃ飽きるだろ?枝豆も一緒に食べなよ?」
「ん!いただくであります!」
すでに何語かわからない言葉で話す皐月にさりげなく俺は勧めた枝豆
豆類はアルコールや油分の分解を助ける働きがあるはず
昔から食べているようにただのおつまみではないのだ
ちゃんと根拠があるからこそ今に伝わっているのだ
これで少しは負担も軽く…ならないかもしれなかった
今度は枝豆がおいいしいのかそればっかりを食べだした
「皐月…あんまり食べ過ぎると後が怖いぞ?」
「大丈夫なのだ!?」
いや、すでに大丈夫じゃないんじゃないのか?という皐月のセリフに
「そうよ、皐月ちゃん!一気にそんなに食べちゃだめよ!」
普通なら煽っていく先輩が珍しくそれを制止する
むちゃくちゃでもちゃんと考えて行動してるんだな…と思った
「一人占めは反則よ?私にも少しちょうだい。」
…が、自分が食べたいだけだったようだ
まあ結果的に二人で食べてれば単純に量は半分
とは言えあれだけあった弁当箱の中身ももう風前の灯だった
それを見て料理をはじめる先輩
酔った勢いで突然に歌いだす皐月
はっきり言ってただのどんちゃん騒ぎだった
だけどこの時間もまた思い出の一ページとして刻まれる
…皐月は覚えていないかもしれないけど、貴重な1ページになるだろう
そんな楽しい時間は深夜まで続いた
ほとんどの飲食物は先輩と皐月のものになった
おかげで俺と良子ちゃんは酔わずに済んだけど
暴れていた二人が気持ちよさそうに寝ている中俺達は後片付けをする
そんな二人を見て俺は言った
「…たまにはこういうのも…いいよね?」
「…いいと思いますよ、たぶん…。」
苦笑していた二人だったけど、こういうのもいいと思う
みんなで騒いで、話して…
毎日だとちょっときついかもしれないけどな…
そんなしらふの俺と良子ちゃんの控えめの判定で宴は幕を閉じた



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